西寒多神社 |
ぶらり 2007/4/30
拙宅から約5kmほど南、大分市寒田1644に鎮座する
西寒多(ささむた)神社
武内社、豊後国一宮で、旧社格は国幣神社。かっては西寒田神社とも表記した。
主祭神は「西寒多大神」で、これは天照皇大御神のこととされる。
社伝によれば、神功皇后が、三韓征伐からの帰途、西寒多山(現在の本宮山)に
臨幸し、その証として山頂に白旗を立てた。応神天皇9年(278年)4月、その地
に武内宿禰が祠を建てたのが当社の始まりと伝える。
国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従
五位下を授けたという記述である。延喜式神名帳では豊後国唯一の大社に列し
豊後国一宮とされた。平安時代後期以降は衰退したが、中世以降領主大友氏の
崇敬を受けた。応永15年(1408年)3月、大友親世が現在地に遷座した。
明治4年5月14日に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社と
なった。
万年橋 神 庫
県指定有形文化財 万年橋
指定 昭和55年4月8日
Mannenn Bashi(Bridge)
軽快で美しい弧線を描く、太鼓橋とも呼ばれる石造り単アーチ橋です。
全長22m、幅3m、11mの径間に対してアーチの高さが3.9mと低く、
アーチと路面の間も狭いのが特徴です。
江戸時代末1862年(文久2)、延岡藩寒田(そうだ)村の庄屋佐藤氏らが
発起し大野郡柴北村(現犬飼町)の石工後藤氏らによって同年完成しま
した。
市指定文化財 神 庫
指定 昭和49年1月9日
Cultural Assets of Sasamuta
本殿の西に位置する校倉造を特徴とした入母屋作りの桟瓦葺、高床
式の建物です。校木(あぜき)を井型に組み合わせた井篭(いかご)組
みという形式の校倉造で、県下では余り例がありません。
1866年(明治19)6月に改築したものです。
桁行5.73m、梁間4.8m、床高0.98m
西寒田市民緑地 大分市大字寒田字宮ノ前1642<5570u> |
平成17年3月1日告示 この市民緑地は都市緑地法に基づき、土地所有者
からの申し出により市が無償で借り受け自然学習や憩の場として市民に公
開された緑地です。
大分市の名木 藤 |
樹高/3m 樹齢/450年 幹周/2.3m 枝張/22m