私のお宝 |
私のお宝 <2>
石垣島のサンゴ礁で出合ったシャゴウ
殻はほぼ三角形で重厚堅固で、長さ約25cm
シャゴウ(蒐集日1995年8月)
これはシャコ貝の仲間です。
魚博士の義兄(当時/西海区水産研究所の石垣支所の初代の支所長)が石垣島の
珊瑚礁のくぼ地に転がって棲んでいたのを採取したものです。
シャコ貝の仲間では水っぽく、ちょっと味が劣るそうです。
母と妻と共に石垣島を訪ねた折にこの殻を貰いました。
1億4千万年前のダクテリオセラス(アンモナイト)
アンモナイト/Dactylioceras commune (蒐集日1992年12月)
標札にダクテリオセラス/ジュラ紀/西ドイツ/1億4000万年前と書いておりま
したが、正しいかどうかは不明です。
アンモナイトは古生代デヴォン紀から中生代白亜紀末に海中に生息していた有殻の頭
足類の絶滅分類群。平らな巻貝の形である。
標準的な殻の形態が、古代エジプトの神アモンの持つヤギの角に形が似ていることか
ら、フランスのグリュギェールがAmmoniteという呼び名を作った。日本ではその形
から菊石と呼ばれることがある。(百科事典wikipediaから)
セブチリメンクマサカ
セブチリメンクマサカ Xenopho granulosa(ponder,1983)
グループ/ クマサカガイ科/クマサカガイ科超クマサカガイ科
分布/沖縄以南、西太平洋域
生息場所/50~150m砂礫底
(蒐集日2007年1月・タイ国)
この貝はビサヤン海(フィリピン)サンゴ網50-70m 砂礫底で2004/10(海綿付)
に 採.取されたもの。
同じ種類のクマサカ貝でも外見は全く違い「巻貝」を中心に集めるもの、「二枚貝」
ばかり集めるもの、「サンゴ」を中心に集めるもの、はたまた、小石ばかりにこだ
わって収集するものもいるそうです。
物をくっ付けるほんとうの理由は謎のままだが、自分の好みの品を選んで殻につけ
て粋なお洒落を楽しでいます。
石 斧
表 裏↓
何やら印が刻まれているようにみえる
石 斧 (1997年6月大分市小野鶴橋下流の河原にて発見)
旧石器時代では打製石斧もしくは局部磨製石斧(刃の部分だけ磨いて実用に供した
もの、片刃がやや多いが両刃も少なくない)が作られた。
縄文時代(約1万6500年前から約1万年前)に入って、定住生活が一般化すると、
用途に応じた打製石斧、磨製石斧、大小や形状さまざまの石斧が作られるようにな
った。
縄文時代の人々は、竪穴式住居に住み、弓矢での狩猟、貝塚に見られる漁労、植物
の採取と調理、後には栽培など多様な手段で糧を得た。保存と煮炊きに縄文式土器
を用い、さまざまな用途に打製石器、磨製石器と骨角器をあて、丸木舟を用いた。
人々の交流は広い範囲にわたり、時には環状石蘺 (環状列石)、巨木工事のよう
な大事業を起こした。
石器作り 石器は縄文人の生活上なくてはならないものであった。石器を作る石材
は集落の周辺にあるとは限らない。特に黒曜石やサヌカイトは何処にでもある石材
ではない。専門の石器製作の集団が存在し、各地に供給する組織が存在したものと
思われる。 (百科事典wikipediaから)
姫島の黒曜石産地(国指定天然記念物)
石器石材としての利用は、旧石器時代から弥生時代にみられ、特に縄文時代に利用
の急激な拡大がみられる。東九州では石器石材の中核を占め、微量ながらも南は鹿
児島県種子島から北は大阪府までの広い範囲に運ばれたことが判明し、人々の生活
と密接に結びついた歴史的な役割も高く評価されている。
(姫島村ホームページから)
<渕野コメント> この石斧が本物かどうかは今のところ定かでありません。河原
を散策していた折に偶然に発見したものです。この辺りは荏隈古墳群がありますか
ら、かっての遺物かもしれません。あるいは河川工事の折にトラックに運ばれてき
たとも考えられます。今はただ縄文時代に夢をはせております。
ISUZU Bellel
Cigarette-case
当時現存した「いすゞ自動車」が制作した記念品
1970年6月 K氏からいただいたときはピカピカでした。
女 子 像 平山史郎 作
高さ/110cm 蔵 1986/3 レオタードの女/1983(大分市中央通)
世界の王/一区切り
王/長嶋の現役時代にいただいたサインボール 最後の指揮を執った楽天戦を終えファンの
2008/10/7 声援に応えるソフトバンクの王貞治監督
(2008/10/8大分合同新聞掲載)
素顔の佐伯祐三/山田新一著
伯父新一は「好きと嫌い」が極端で、大変わがままなところがありました。
それでも、気に入られると無条件に受け入れる優しさがありました。
2008/9/16
1980年(昭和55年)6月 |
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中央公論美術出版 昭和55年6月20日初版 画家山田新一の素顔 Fuchino collection |
人間国宝生野祥雲斎が青竹を削いで作られた正月の祝い箸
1970年(昭和45年)頃
生野祥雲斎師は青竹を削いで作った箸を正月になると親しい方に与えられていた
ものと思われます。昭和45年頃に、私はその箸をいただく幸運にめぐり合えたの
です。
今や天下にとどろく芸術家から手作りの箸をいただき感激一入でした。
箸の竹の外皮はみずみずしい青でした。今は白竹になっていますが師の技の冴え
が窺われる切り口は私の心をえぐります。
生野祥雲斎(本名:秋平) 1904年(明治37)別府市内成に生れました。 1940年文展入選、 1943には時代編盛籠『銘心花賦』が特選。 日展では1956年『怒涛』が北斗賞、 1957年『炎』が特選・北斗賞。 1967年に竹芸で重要無形文化財保持者に認定 された。69才没。 |
大野マンドラ
1991年(平成3年)に届いた大野政/作の絢子愛用のマンドラ
マンドリン、マンドラと言えば大野マンドリン制作の楽器が名高い。
その中でも今は手に入らない大野政作のマンドラは愛好者の垂涎の楽器です。