俳句雑誌『花鶏』2024年1-2月号 <生命力の一句>
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女
渕野 陽鳥
汀女の生まれた熊本では、秋には群れをなして飛ぶのを見かけるのはウスバキトンボで
ある。お盆の頃に成虫がたくさん発生することから「精霊とんぼ」「盆とんぼ」などと呼
ばれる。毎年海から渡ってきたウスバキトンボの個体群は数回の世代交代を繰り返しなが
ら、季節の移ろいとともに日本列島を北上してゆく。しかし、寒くなると個体群は死滅す
るものと考えられている。死ぬためだけのために海から渡ってくるのか、理由は分かって
いない。ウスバキトンボのメスの成虫はほぼ同体長のメシトンボの蔵卵数の三倍以上であ
るから、個体数が急増する。
ところで汀女は、そんなトンボの生態を知っていたとは思えない。飛び交う蜻蛉に季節
の移り変わりを実感したのではあるが、夥しく群れる蜻蛉に生きる力を強く感じさせられ
たのであろう。一般市民は耐乏生活の中にあった敗戦後の昭和7年の作品だから、汀女の
豊かな感受性がうかがえる。
角川『俳句』 2022年10号
<角川「俳句」2022年12月号>
合評鼎談 第12回『俳句』10月号を読む
●渕 野 陽 鳥(花鶏)「つくづく」
佐怒賀 新涼や蛤碁石の縞模様
蛤で作った碁石は高級なもの。貝殻を研いでいくうちにだんだんきれいな
網目模様になってくる。それに「新涼」を置いたのが読み応えのあるところ。
前山に日暮の及ぶ藁こづみ
実景をしっかり書き留めていて、下五の「藁こづみ」のあしらいがよい。
牛蒡引く地球の裏も誰か引く
農作業もこんなことを考えながらやっていると楽しいだろうな。
相子 天平の伽藍の跡のねこじやらし
〈ねこじやらし〉が素朴。一読、スッと風が抜けていくような奈良の感じ。
〈牛蒡引く〉の句、みずみずしい詩心で、楽しい一句です。
秋を訪ふにつころがしといふを手に
〈につころがしといふを手に〉に、「お口に合えばいいのですが」という
感じがちょっと見えて、そこが笑いにつながっています。
望月〈牛蒡引く〉の句、およそ〈牛蒡〉には不釣合いなスケールの大きさが
ユニーク。
鬼灯をかかげ閻王とはをかし
閻王様と鬼灯のかかわりが分らない。供えられているのか、たまたま鬼
灯が掲げられているのか、いずれにせよ、同系色ですね。色味の差異が面
白い。
(佐怒賀正美「秋」主宰・相子智恵「澤」同人・望月 周「百鳥」編集長)
俳句雑誌『花鶏』2021年1-2月号/特集『つむぎうた』一句鑑賞
盆提灯たためば熱き息をせり 野中 亮介
渕野 陽鳥
盆提灯の灯は迎え火・送り火の大切な役割となるのです。お盆は家族と共に先祖の
霊を迎え、先祖に感謝と供養を表します。お盆が明けると、盆提灯は蝋燭の灯を消し
てたたまれます。すると、盆提灯に溜まっていた蝋燭の火の熱が作者の額を撫でたの
でしょう。熱き息こそ、ご先祖からの励ましの声とも覚えたに違いありません。
ご先祖が再びあの世に帰り、寂莫たる風情がそこにあるのです。
角川『俳句』 2019年7月号
東京四季出版『俳句四季』2019年9月号