双葉山忌


   
  季語として創出しましょう 
 
         双葉山忌  12月16日
  





  郷土大分が生んだ大横綱双葉山関が
 生誕100年を迎えた2012年2月9日、
 出身地宇佐市で「生誕祭」があった。
  この日、郷土が誇る横綱の節目の日を
 祝い、相撲道を極めた精神の偉大さをあ
 らためてかみしめた。












  横綱双葉山の像<双葉の里>





    
        2012年(平成24年)2月10日 大分合同新聞

 双葉山  四 股 名  双葉山 定次
          本   名 穐 吉 定 次 (あきよしさだじ)
          愛   称 不出世の横綱/相撲の神様/昭和の角聖
                生年月日 1912年(明治45年)2月9日
                没年月日 1968年(昭和43年)12月16日(満56歳没)
                所属部屋 立浪部屋→双葉山相撲道場
                得 意 技  右四つ、寄り、上手投げ
                最 高 位  第35代横綱
                       昇進年月1937年(昭和12年)5月
                       引退年月1945年(昭和20年)11月
 人物・来歴
 少年時代の負傷が元で右目が半失明状態(5歳の時吹矢が右目に当たったという)
だったことや、右手の小指が不自由(事故で2度も右手の小指に重傷を負いその後遺
症による)といったハンディを抱えながら、「木鶏」を目標に相撲道に精進し、昭和屈指
の大力士となった。
 注:木鶏(もっけい)とは「荘子」にでてくる鍛えられた闘鶏が木彫の鶏のように静かであるさまをいう。

 本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。年2場所時代の力士で
あるが、その数々の大記録は未だ破られていないものも多い。
 日中戦争の泥沼化、太平洋戦争が間近に迫る時局もあり、国民的英雄となった。
「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」という言葉の示す通り、まさに不世出の
大横綱であり「角聖」の異名で知られた明治の常陸山谷エ門と並ぶ偉大な力士として
「相撲の神様」「昭和の角聖」と呼ばれることも多い。

 69連勝
 1936年(昭和11年)1月場所7日目〜1939年(昭和14年)1月場所3日目。同場
所4日目に前頭4枚目安藝ノ海に破れる。
 1935年蓄膿症の手術を機に体重が増え、それまでの取り口が一変した。 立合い
「後の先をとる」を地で行き相手より一瞬遅れて立つように見えながら先手を取り、右
四つに組み止め後、吊り寄り、ないし必殺の左上手投げで相手を下すようになった。
 1936年1月場所6日目、横綱玉錦に敗れるが、 翌7日目前頭4枚目瓊ノ浦(のち
両國)を下すと残りを連勝して9勝2敗。この場所中に祖母が死去している。
 新関脇で迎えた同年5月場所で9日目に玉錦を初めて破って11戦全勝で初優勝を
し大関に昇進。このとき以来双葉山は玉錦に負けることはなかった。 玉錦は前々場
所(1935年1月場所)4日目から双葉山に敗れるまで27連勝しており、その連勝の
1勝目が他ならぬ双葉山だった。玉錦最後の優勝と双葉山初優勝をまたいで二度以
上優勝した力士は一人もなく、 明確な覇者交代の一番として現在まで語り継がれて
いる。
 さらに、1937年1月場所を11戦全勝、5月場所を13戦全勝で連続全勝優勝し横
綱に推挙される。この推挙後に父親が死去。 横綱昇進後、1938年1月場所と5月
場所はいずれも13戦全勝で5場所連続全勝優勝を果たす。5月場所で双葉山の前
の記録保持者である谷風の63連勝(分・預・休を挟んだ記録)を 約150年ぶりに塗
り替えている。
 1939年1月場所4日目(1月15日)、前頭4枚目安藝ノ海に敗れるまで69連勝を
記録。69連勝は歴代最高記録である。双葉山以降の昭和、平成の大横綱達の誰
一人としてこの記録を超えることはできていない。 2010年に横綱白鵬が63連勝と
肉薄する成績を挙げたが、あと一歩及ばなかった。この69連勝という大記録は、お
そらく永久に破られることのない不滅の記録であると言われている。
 双葉山が三役に上がった頃、一場所の取組日数は11日だったが、双葉山人気
が凄まじく、1月場所でも徹夜で入場券を求めるファンが急増したため、日数が13
となり(1937年5月場所から)、 さらに現在と同じ15日(1939年5月場所から)と
なった。

 イマダモッケイタリエズ<70連勝ならずの一番>
 双葉山は約3年ぶりに黒星を喫し、69連勝でとめられたにもかかわらず、普段
通り一礼をし、まったく表情も変えずに東の花道を引き揚げていった。
 その日の夜、双葉山は師と仰ぐ安岡正篤に「ワレイマダモッケイタリエズ(我未だ
木鶏たりえず)と打電した。これは双葉山の言葉を友人が取り次いだものという
説もある。
 双葉山自身は著書の中で、友人に宛てて打電したもので、友人が共通の師であ
る安岡正篤に取り次いだものと見えると述べている。
                      ( 記事抜粋/フリー百科事典 wikipedia )


      
季語として創出しましょう 双葉山忌(木鶏忌)

 平成9年5月30日発行の合本俳句歳時記(角川書店)による忌日一覧をみると、
12月に次の記載がある。
(俳人の場合は職業を省略されている)

三日    龍雨忌 増田龍雨 
昭和9年
四日    耕二忌 福永耕二 昭和55年
九日    漱石忌 夏目漱石 小説家 大正5年
十五日   青邨忌 山口青邨 昭和63年
十六日  双葉山忌(木鶏忌) 双葉山定次 第三十五代横綱
十七日   憲吉忌 楠本憲吉 昭和63年
二十日   劉生忌 岸田劉生 画家 昭和4年
       石鼎忌 原石鼎 昭和26年
二十二日 青畝忌(万両忌) 阿波野青畝 平成4年
二十五日 槐太忌 下村槐太 昭和41年
二十六日 哲郎忌 和辻哲郎 哲学者 昭和35年
三十日   横光忌(利一忌) 横光利一 小説家 昭和22年
三十一日 寅彦忌(冬彦忌・寅日子忌) 寺田寅彦 科学者・随筆家 昭和10年
旧十五日 吉良忌(義央忌・高家忌)吉良義央 幕臣高家 元禄15年
〔1702〕
旧二十三日 几圭忌 高井几圭 宝暦12年
〔1762〕
旧二十五日 蕪村忌(春星忌・夜半亭忌)与謝蕪村 俳人・画家 天明3年
〔1783〕

(注) 
十六日 双葉山忌(木鶏忌) 双葉山定次第三十五代横綱は筆者が
   挿入させていただいた忌日である。


 日本国内には正式な国技はない。国技が相撲であるという考えが提唱されること
になった起源は1909年(明治42年)に両国に初めて相撲常設館が完成した際、
それが「国技館」と命名されたことであるとされている。
 国民に深く親しまれ、日本文化にとって特に重要な位置を占める相撲は歴史が古
く我が国の伝統文化と深く結びついている。国技として公式に制定されていないもの
の多くの国民の間では日本の国技という認識がされている。
 歳時記の忌日一覧の中には、この伝統ある日本文化を担う相撲界から誰一人そ
の名を見出せないのはまことに侘しい限りである。
 不出世の横綱/相撲の神様/昭和の角聖と称される双葉山の忌日を「双葉山忌」
として季語に創出し、もって文化の高揚につなげたい。
 多くの皆さまのご賛同とご声援をお願い申し上げます。
                                      2012年2月15日

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