7回目のオーストラリア訪問 (石塚 洋子) |
初めてのホームステイ (武藤 洋子) |
石塚洋子
今年こそオーストラリア行きはやめようと思っていました。英語の学習も充分に出来なかったし、数行く程に知り合いが増えて礼状やクリスマスカードを出すだけでも70歳に限りなく近づいている身には重荷になってきていました。 奈良日豪協会からのお誘いがあった時には、個人負担でもあるし希望者は無いだろうが、とにかく募集だけはしてと軽い気持ちだったのですが、当会員の武藤洋子さんと21歳の男性渡辺君が応募してくれました。又市外からも19歳の女性品田さんが応募してくれました。 若い人たちを連れていく時はいつも楽しみにしている事があるのです。それは皆さんが行く時に見せる心許ない様子が、旅行をしている間に次第に代わっていって、帰る時には別人の様に自信に満ちた生き生きとした表情に代わる事です。今年もその喜びを感ずることが出来ると思ったら嬉しくなりました。気がついたらうきうきと荷造りを始めていました。 7月27日関空から出発してシドニーで1泊し、ロッドさん(元捕虜の息子さん)に会いました。彼の新築の家が完成していたら滞在を延ばす予定でしたが、残念ながら未完成でした。おまけに途中で彼の車がえんこして夕食会に遅刻してしまいました。でも憎めない人柄です。 キャンベラでは31日にリジーズ・キャピタル・ヒル・ホテルで行われた日豪・豪日両協会の総会に出席しました。会は通訳無しで行われたので大変でしたが、内容はさほど難しくなく会の目的も、各会員同志の親睦が目的のようでしたから気が楽でした。 各会代表のスピーチもありましたので、私は自分の番に直江津捕虜収容所跡地に記念像を建てるまでの市民運動について話しました。そんな機会にはオーストラリア兵の事だけではなく、犠牲になった日本の警備員やその後の家族についても忘れずに話すようにします。終わったときに思いがけない拍手が起こり驚きました。 前日は日本大使館で夕食会があり、当日はディナーパーティーが華やかに催されたのですが、お世辞だとは思いますが、私のスピーチを褒めてくれた人もおり、平和を愛する上越市民の気持ちがいくらかでも伝わったと思うと今回の訪問も無駄では無かったとほっとしました。 元豪日協会会長のカーメル・ライアンさんの家では4泊し、キャンベラの高校生に案内して貰って市内見学や学校訪問をしました。個人的には家でカレーライスを作ってあげたり、美術館、郊外の古い豪農の館、ガバメントハウス等を案内して貰ったりしました。おとなしい渡辺君とは別行動が多く時々は心配になりましたが、彼は予想どおり日に日に積極的になっていくようでした。 その後カウラで1泊、8月3日からのステイ先のモーロングは私にとっては3回目でしたが泊めていただく家は初めてで、渡辺君の事を案じながら自分自身もなれるまでは必死で一番困ったのはやはり言葉でした。家族同士が早口でしゃべりまくると、これでも英語?と思うくらい聞き取れませんでした。
学校ではロジャー先生が各教室で私達が折り紙、習字、茶の湯、紙芝居等をして参加出来るように手配してくれます。子供達と一緒に、たこ焼き、五平餅、焼き鳥等を作って食べて貰ったりしました。以外にも渡辺君はたこ焼き作りが上手いのです。でも羊の毛狩りを見学したときには、大きなバリカンのようなもので自分もやろうとして指を切ってしまったときはあわてました。 112キロ離れたダボと言う町の動物園や水上スキーが出来るダムを見学してゆっくりした日もありました。 8月14日雪のちらついているオレンジ空港から小型、大型、中型と3機の飛行機を乗り継いでタスマニアへ向かいました。途中シドニーで分団の人達と合流です。上越からは武藤さん、柏崎から品田さんが加わりました。タスマニアで私のホストファミリーは去年と同じジェニー・キンチさん一家でした。
品田さんは現役の大学生なので英語の心配はありませんでしたが、日豪協会基礎クラス3年生の武藤さんも立派でした。家族みんなに辞書を持たせてのコミュニケイションだったそうですが、かなりの情報を得る事が出来て自分の用も不自由なかったそうです。
たちまち一週間が過ぎて、子供達が開いてくれた暖かいお別れパーティーに涙をこぼし、狭いバーニー空港の待合室がいっぱいになるくらい大勢のファミリーに見送って貰って帰路につきました。 シドニーで元捕虜の姪ごさんのキャサリンさんに、オペラハウスの中を案内して貰った後、観光バスもあまり行かない穴場へ連れていって貰いました。シドニー空港から帰る時には元捕虜のジョン・クックさん夫妻が見送ってくれました。
私の人生で欠落している学生生活をオーストラリアで取り戻した様な旅でした。上越市からの2人も予想どおり何かを発見してきたようで、8月23日の朝直江津駅に着いたときも疲れを見せず生き生きとして見えたのは決して私の錯覚ではないでしょう。 |
武藤 洋子
私はこの夏上越日豪協会、オーストラリア派遣団のメンバーとしてタスマニアのバーニーという町で6日間過ごしてきました。 私は英語が苦手なので、海外は添乗員付きのパック旅行しか行ったことがありません。いつか英語が上手くなって外国旅行が自由にできたらいいなぁと思っていたのが、突然その時が実現してしまいました。誘われるまま話に乗ってしまい、英語を話せない私は大変な苦労をしてきました。
ホーム・スティでは朝から寝るまで16時間位は、英語を聞いたり英語で答えたりする訳ですから、英語が出来ないということは話にならない訳です。最初のうちは黙って食事をして、意味の分らないテレビをずっと見ていました。気分も滅入り英語ができないことで後悔の念に囚らわれていました。しかし、現実にはもう後戻りは出来ないし、このチャンスを無駄にするのも悔しいから、通じないことを恐れず話してみようと覚悟を決めました。知っている単語だけ並べたり、辞書とメモ帳で筆談もしました。ホスト・ファミリィも辞書を引くのを手伝ったり、同じことを何回も繰り返してくれたり、時間をかけて付合ってくれました。長い時間をかけてようやく互いの仕事の事、家族の事、暮らしの事など、理解しあうことができました。この作業は大変なエネルギーを必要としましたが、黙っている時に比べたら、互いのことが分ったぶんだけ親近感も増し、喜びがありました。スティ5日目くらいには、ちょっとした冗談を理解して即答することもできるようになり、きた時よりおしゃべりになったと評されました。 英語に強い人がホーム・スティするのが理想的でしょうが、私のようにチャンスが先に釆てしまった場合でも、パックツアにはない感動にであえました。この悪戦苦闘の6日間は、心に残る感動の6日間でもありました。
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