8月13日、日曜日。日本で世界平和という特別な祈りを捧げる1週間が始まります。その日、私は奈良にある教会−−それは故トニ・グレン神父が建てられたものです−−でのミサに出席することができました。ミサが始まる前に教区で亡くなられた方々のお名前が、ミサの最中には司教からのメッセージが読まれ、また終わりには仏教様式にのっとり、信徒によりお香が配られました。 8月15日、火曜日。私は「平和の集い」に参加するため、直江津という小さな田舎町をたずねました。直江津を訪れたのは、上越日豪協会設立者であり会長でもある石塚正一さんと奥様の石塚洋子さんの招きを受けたからです。そこには第二次世界大戦中、日本でもっとも悪名高い捕虜収容所がありました。 日本の看守の中には大変残忍に、日常的に収容されているオーストラリア人捕虜を殴打した者がいましたが、そのようにする理由は何もなかったのです。捕虜への食料配給はわずかでしたが、捕虜は製鉄工場で長時間働かされました。気候は厳しく、夏はうだるような暑さ、また冬は豪雪です。たくさんの捕虜が過労や酷使により亡くなり、唯一、ある仏教僧がオーストラリア兵の遺灰を引き取りました。現在、彼らは日本の横浜にある戦没共同墓地のオーストラリア区に葬られています。 直江津の人たちは元捕虜収容所跡地に平和記念公園を建て、世界平和を推進する努力をしています。戦時中の捕虜に対する真実を知り、驚いた人は少なくありません。特に、日本兵がオーストラリアのカウラ捕虜収容所でいかに良い待遇を得ていたか、また脱走時に亡くなった日本兵が手厚く葬られたことを知るに至って、それは衝撃ですらありました。 今年、上越日豪協会(直江津は上越市内にある)は小規模な平和記念公園展示館を開設しました。直江津収容所で生き延びたジャック・ミューディーさんの娘であるリネット・木勢さんと私は展示館開館式への賓客として招待されたのです。ミューディーさんは収容所にあって数編の詩を書かれましたが、次の詩はその内のひとつです。
平和公園にあるふたつの像は、桜の花を髪に飾った日本の少女とユーカリの葉の髪飾りを着けるオーストラリアの少女を表しています。 私が初めてその公園を訪れたのは1997年のことで、直江津で亡くなられた60名のオーストラリア兵に捧げられた記念碑へ花を手向けるためでした。 今回で公園を訪れるのは3度目になります。私は直江津から来た手紙を引用して、皆さんと彼の地の人たちの考えを分かち合いたいと思います。 「オーストラリアをすばらしい観光地と見ている日本人はたくさんいますが、戦争について知っている人はほとんどいません。戦争にまつわる日本に対する感情は未だにオーストラリアには根強く、圧倒的な存在感で残っています。しかしその一方で、バカンスをオーストラリアで過ごす日本人には共有すべき戦争の知識がありません。直江津の人たちは日豪間の真の友情と理解を確立したいのです。私たちは若い人たちに事実を教え、このような悲劇が二度と起きないようにしなければなりません。」 日本には親友がたくさんいます。その人たちは真剣に平和を懇願しています。そしてそれ故、私はいっしょに平和の祈りを捧げることに幸せを感じるのです。 |