近藤 芳一
今回の訪豪で印象に残ったことを書きます。
●シドニー空港にて
私たちがシドニー空港に着いたとき、元捕虜であったクックさんと元捕虜の子息、ロッドが出迎えに来てくれました。クックさん曰わく、
「私たちが3年前、日本を訪問したとき、あなたは私たちを出迎えに成田空港まで来てくれました。同様にあなたがシドニーに来るときはいつも私はこうして出迎えます。」
旅の始めに嬉しい言葉をいただき、今回もすばらしい旅になる予感がしました。
●迷い道
カウラでのこと。4月に来越されたロジャーさんを探すため、ひとりだけ日本庭園でバスを降りました。しかし、彼は見つからず、しかたがないので徒歩でホテルまで帰ることに。事務室で地図をもらい、歩き始めたのですが、天性の方向音痴のため道に迷いました。
道すがらの家で庭の手入れをしていた人に道を尋ねました。道を聞くだけならほんの1分もあれば事足りるのですが、人なつこい彼の性格か、話はそれだけにとどまりません。カウラには交通信号が2個しかなく、そのふたつを通って目的のホテルへ戻ること。庭の木や花はどうだこうだと、5分ほど話してその場を離れました。
途中で出会う小中学生もとても友好的です。必ずこちらを見て「ハイ」とか「ハロー」と言います。こちらも挨拶を返します。気持ちのいい子供達です。友好的なのは小中学生だけではありません。通り過ぎる車も時にはクラクションを鳴らしたり、運転手が手を挙げ、合図を送りながらすぎていきました。
こんな些細なことが、町の印象を良いものにするのでしょう。治安の良い所で道に迷うのも楽しいものです。
桜が咲く日本庭園入り口で
●思いがけない再会
キャンベラのロイヤルゴルフコースで外務貿易省の高官と昼食をともにしました。この席で思いがけない嬉しい再会がありました。
3年前、平和記念公園開園式に出席する訪日団を成田空港で出迎えたとき、オーストラリア大使館から来られたビル・パターソンさんと初めてお会いしました。訪日団入国に便宜を図るため彼は空港にいたのです。彼とはホテルに着いてからも、また上越でも会いました。
それから3年後、今度はキャンベラでビルさんと再会したのです。彼は、
「3年間の日本滞在期間中で最も印象的な出来事が平和記念公園だった」
と言われました。
別れ際、次回会うときは公式訪問ではなく、プライベートに会いたいですね、と一言。以前まいた種が思わぬ所で芽吹いている、と言う印象を持ち大変嬉しく感じました。このような芽がいたるところで吹いてくれたら、と思わずにはいられません。
●Everyone in
Australia is Australian.
話は前後しますが、カウラでの晩餐会後、私たちはキャンベラの外務貿易省から派遣された女性と同乗してホテルへ帰りました。その車中で彼女が言った言葉は今回の訪豪中で最も印象的なものでした。
「オーストラリアにいる人はみんなオーストラリア人よ。」
市主催の国際交流ボランティアアカデミーでは、「外国人にとってバリアフリーな環境とは」と言うことを考えました。私は、大きな障壁のひとつは異なる人や物を除外しようとする私たちの心だと思います。彼女同様、私たちも上越に住む人は皆、上越の住民だと考えることができれば、もっと「バリアフリー上越」に近づくのでは、と思いました。
サーキュラーキーでハーバーブリッジを背に
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