上 越 市 長 訪 豪 同 行 記

石塚 洋子

近藤 芳一



 
市長とオーストラリアへ
石塚 洋子


8月に市長がオーストラリアを訪問する事になり、当会からは常任理事の近藤さんと私がお供をして行って来ましたので報告します。

8日夜成田出発、9日午前はオリンピック会場を案内して貰い、SOCOG(シドニーオリンピック事務局)を訪ねてボランテア関係、環境関係などについて説明して貰いました。午後一時からは元の捕虜関係のジャック・ミューディー氏夫妻、ジョン・ロバートソン氏姉弟、ジョン・クック氏夫妻、ジョイ・リーさん、パット・ホールさん、ロッド・イェイツ氏達と昼食会をさせて貰いました。皆さんに大変喜んで頂き、私達にとっては1番大切な行事を無事に済ませ先ずはほっとしました。上越の皆さんにくれぐれもよろしくと言われました。

at Homebush
 オリンピックメインサイトのあるホームブッシュにて

翌10日はカウラへ向かいカウラ市長や日本庭園園長リビーさんの協力を得て、上越市長が捕虜収容所跡地に近い場所に桜の植樹をしました。夕方は就任したばかりの高橋駐オーストラリア大使、カウラ市長夫妻を中心に夕食会がありました。日豪合わせて50人位いたでしょうか。三味線や尺八の演奏もあ盛り上がりました。
 
翌11日は外人墓地と日本人墓地での慰霊祭、昼食会と公式行事が続きましたが、モーロングからロジャーさんが駆けつけてくれましたので、良いとこ幸いに近藤さんと私はお昼に抜け出して3人で町のレストランへ行きました。
 
午後2時にバスでキャンベラへ向かいました。翌12日は豪日協会の方の案内で戦争記念館へ行きました。館長さん達が待っていて下さり、時間前にいれて貰い聖堂で市長の献花の後、中を案内して頂きました。私達は壁に書かれた全戦死者の名前の中にA・ロバートソン大尉の名前を見つけることが出来ました。
 
続いてキャンベラ主席大臣との面会では大臣が名前を覚えていて「ヨーコ」と挨拶をしてくれたのには驚きました。8月にもお会いし、今回は4回目の面会でしたが、上越での市民運動で捕虜収容所跡地に記念像が出来たことを高く買って下さっている方です。市長との話が弾んで予定の時間が過ぎてしまい気が気ではありませんでした。
 
次は外務省の高官達とのフォーマルランチでしたが、上越へ来られた時に案内をさせていただいた、ビル・?パターソン氏とグレンダ・ゴーシさんがいられたのでとても気楽に過ごすことが出来ました。上越での行事は日本に駐在中の中で1番感動的な事だったと言って貰い、是非上越市民の皆様にもお伝えしたいと思いました。
 
キャンベラのロイヤルキャンベラゴルフクラブで外務省アラン・トーマス氏招待のランチがすんでから、外務貿易相内会議室で日豪の資源貿易の考え方とかについて会議がありました。外務省の日本課長はジョン・ウッヅさんと言って、お父さんが捕虜として日本におられたのだそうです。記念像が出来た事をお話して持っていた人形をお父さんにあげて下さいと言って渡す事が出来ました。

at Department of Foreign Afairs and Trade
  外務貿易省庁舎前で

夕食会は市長の主催でキャンベラ豪日協会の会長、副会長2名、元会長の4名をお招きして、私達がいつもお世話になっているお礼をして貰いました。
 
翌朝は早起きをして小型機でシドニーへ行き、オリンピック・レガッタコースを見学しました。お昼はロッドさんも見えてシドニータワーのレストランで頂き、夕食は日本料理店で、今オーストラリアで仕事をしておられる高田の曽武川さんのお世話にもなりました。
 
市長さん達一行はそこから空港へ、近藤さんと私はロッドさんの家へ向かいました。ロッドさんの未完成の家でのホームステイは、最初はちょっとたじろく思いをしましたが、男性2人と中性の私と3人で別世界へでも行ったような、開放的で楽しい3日間を過ごす事が出来ました。
 
1日目はジャックさんの家へおじゃましてご馳走になり、2日目はクックさんの家へ呼んで頂き、3日目は近藤さんと一緒にシテイまで電車で行って買い物をして、帰りも電車とバスを乗り継いで少し冒険をした気分でした。近藤さんはきっと邪魔者がいなければもっと楽しかったでしょう。

Trying to get some honey with Rod.
 養蜂家Rod宅で蜂蜜取り。

仕事をしながら私達のアッシー君もしてロッドさんも大変だったでしょうに、いやな顔1つ見せないでかえって自分も楽しんでくれたようです。家が完成したら日本からのホームステイや勉強をする人達の宿をしたいそうです。その節はぜひ行ってやって下さい。
 
16日夜、空港にはクックさんご夫妻も見送りに来て下さり、後ろ髪引かれる思いで帰路につきました。
家へ帰った今、浦島太郎のようにお婆さんに戻り孫と遊んだりしていますが、向こうにいた間はすっかり年を忘れていた事に気付きました。



 
 
訪豪'98印象記
近藤 芳一


今回の訪豪で印象に残ったことを書きます。

●シドニー空港にて
私たちがシドニー空港に着いたとき、元捕虜であったクックさんと元捕虜の子息、ロッドが出迎えに来てくれました。クックさん曰わく、
「私たちが3年前、日本を訪問したとき、あなたは私たちを出迎えに成田空港まで来てくれました。同様にあなたがシドニーに来るときはいつも私はこうして出迎えます。」

旅の始めに嬉しい言葉をいただき、今回もすばらしい旅になる予感がしました。

●迷い道
カウラでのこと。4月に来越されたロジャーさんを探すため、ひとりだけ日本庭園でバスを降りました。しかし、彼は見つからず、しかたがないので徒歩でホテルまで帰ることに。事務室で地図をもらい、歩き始めたのですが、天性の方向音痴のため道に迷いました。

道すがらの家で庭の手入れをしていた人に道を尋ねました。道を聞くだけならほんの1分もあれば事足りるのですが、人なつこい彼の性格か、話はそれだけにとどまりません。カウラには交通信号が2個しかなく、そのふたつを通って目的のホテルへ戻ること。庭の木や花はどうだこうだと、5分ほど話してその場を離れました。
途中で出会う小中学生もとても友好的です。必ずこちらを見て「ハイ」とか「ハロー」と言います。こちらも挨拶を返します。気持ちのいい子供達です。友好的なのは小中学生だけではありません。通り過ぎる車も時にはクラクションを鳴らしたり、運転手が手を挙げ、合図を送りながらすぎていきました。
こんな些細なことが、町の印象を良いものにするのでしょう。治安の良い所で道に迷うのも楽しいものです。

at Japanese Garden
  桜が咲く日本庭園入り口で

●思いがけない再会
キャンベラのロイヤルゴルフコースで外務貿易省の高官と昼食をともにしました。この席で思いがけない嬉しい再会がありました。
3年前、平和記念公園開園式に出席する訪日団を成田空港で出迎えたとき、オーストラリア大使館から来られたビル・パターソンさんと初めてお会いしました。訪日団入国に便宜を図るため彼は空港にいたのです。彼とはホテルに着いてからも、また上越でも会いました。

それから3年後、今度はキャンベラでビルさんと再会したのです。彼は、
「3年間の日本滞在期間中で最も印象的な出来事が平和記念公園だった」
と言われました。

別れ際、次回会うときは公式訪問ではなく、プライベートに会いたいですね、と一言。以前まいた種が思わぬ所で芽吹いている、と言う印象を持ち大変嬉しく感じました。このような芽がいたるところで吹いてくれたら、と思わずにはいられません。

●Everyone in Australia is Australian.
話は前後しますが、カウラでの晩餐会後、私たちはキャンベラの外務貿易省から派遣された女性と同乗してホテルへ帰りました。その車中で彼女が言った言葉は今回の訪豪中で最も印象的なものでした。

「オーストラリアにいる人はみんなオーストラリア人よ。」

市主催の国際交流ボランティアアカデミーでは、「外国人にとってバリアフリーな環境とは」と言うことを考えました。私は、大きな障壁のひとつは異なる人や物を除外しようとする私たちの心だと思います。彼女同様、私たちも上越に住む人は皆、上越の住民だと考えることができれば、もっと「バリアフリー上越」に近づくのでは、と思いました。

before Harbour Bridge
 サーキュラーキーでハーバーブリッジを背に


back to HOME