オーストラリア訪問記 1996
カウラ・ディナー交歓 山賀 昭治
 
10月8日、1年前の直江津を偲びつつ服装を整えて、日本庭園の夕食交歓会に臨んだ。にこやかに待ち受けてくれたのは、カウラのミラー市長夫妻、日本庭園及び文化センター前理事長T・ムーニー夫妻、現理事長リビイ・リード女史、ここニューサウスウエルス州評議員で帰還兵士連盟のG・スチュワート氏の皆さんで、6人だった。 

6時に始まったあいさつの中で、ミラー市長が、「石塚会長から聞いたので、早速、上越のお花見の桜のビデオを見てさた」こと「カウラ市の学校では、第一外国語を日本語として、小学校でも学んでいる」と話された時は、「オー!」という驚きと感動の声が挙がった。 
 

Mayor's speech at dinner
晩餐会でのカウラ市長のスピーチ

宴の途中、小山氏が「直江津南小学校児童」の図画・習字を披露しつつ、「カウラの子供たちに...」と、市長に託したり、贈り物の「日本の風呂敷」の使い道について、三浦氏と猪股夫人が実演で教えてあげたりと、実に楽しい場面が展開した。そんなテーブルの間を、笑顔が印象的な若いウエートレスが、気持ちのいい接待で動いくれた。 

うろ償えだったが、オーストラリア国歌を歌って終わったのが9時すぎ。真っ暗な空に、サザンクロスをさがしてバスに乗り、瀟洒なホテルヘ戻った。

 

 
オーストラリア訪問記 1996
うれしいオーストラリア 山賀 昭治
 
この旅行でしみじみ思ったのは、「国と国の、本当の友好と平和は、その国の自然や風物、そして人々を好きになり、親しみを感じてこそ実現するものだ・・・ということだった。 

僅か6日ほどで、そんなことを感じさせてくれたオーストラリアがうれしい。 さっと、20項目もあがった印象記を無理に三つにまとめてみた。 

(1)民主主義の自信か? 
首都キヤンベラで、思わぬことにオーストラリアの国会を見学した。白豪主義時代の旧国会議事堂の後に建つ、新しい議事堂は、物々しい雰囲気などなく、議事堂を覆う芝生を人々が散歩し、私たちのような、行きずりの旅行者までもすっと受け入れてくれた。 大理石の階段を上がり、下院の入口で荷物を預け、廊下を静かに進むと、何と開会中の本会議が見えた。テーブルをはさんで対峙した与野党の論戦の最中だったのだ。まったく意識になかった私は、「これは何か!」と、たいへんな驚きと感激であった。何やら様々な部分で民主政治の意志的展開と、その行き届いた配慮を感じ、「これは民主主義の成熟とか自信なのか」と強い憧れをもったのだった。 

(2)外国の人と卓を共にできた嬉しさ 
シドニーの夜、デナーのテーブルを共にしたのは、直江津で最初に亡くなった中佐の子、ロバートソン夫妻であった。英語だめ人間では、どうなることかと心配したが、同卓の北山夫妻にも救われ、3時間も実に楽しく過ごせたのだ。片言と身振り手振りで何とかなり、果ては奥様と輪唱まで出来たなんて!私にはとってもすごい体験だったし、「とにかく話かけることなの」という石塚さんの話が効いて、嬉しかった。 

(3)あの広大な大地の中で 
カウラヘ向かうバスの窓からは、どこまでもどこまでも続く緑の丘が見える。時に点在する羊や牛、それに馬と農家。考えられないほど広い真っ黄色の菜の花畑。旅行者の目には、「こんなにも広くゆったりして、美しく」と羨望が走る。 

あの広大な大地があって、巾広い大らかな人格が育ち、過去を許し合い、カウラの墓地にもなったのだろう。 

そんなゆとりや豊かさがほしい!