オーストラリア訪問記 1996 | |
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私のフリータイム | 大嶽 里恵子 |
一週問のオーストラリア滞在中、三日問のフリータイムを利用して、オーストラリア人家庭を二軒訪ねることができました。
シドニーから40キロ南西にあるキャムデンに住むガイルさんは、元捕虜バーバー氏の娘。シティレイルの終点マッカーサー駅から車で15分の距離です。彼女はテクニカルカレッジで英語を教え、夫のジムさんは小学校の先生。14歳のジョアンナと11歳のルイーズの二人の娘さんがいます。 サンドイッチで軽く昼食を済ませてから、更に40キロ離れたバラゴラング湖ヘドライブに出かけました。ブルーマウンテン国立公園の端にある人工湖です。 途中オーストラリア固有の鳥、白いオウムの一種で頭に黄色の毛が立っているコツカトゥーと、赤と青の色鮮やかなロゼーラを教えてもらう。 夕食は、ジムさんが庭のバーベキューグリルで焼いてくれた牛肉と、ソーセージのサラダ添え。オーストラリア人の多くが大好物というベジマイトもパンに塗つて試してみました。野菜をビール酵母で発酵させたというペーストで、黒くてしょっぱい味です。 ルイーズに折り紙を教えたり、日本の話や彼らの旅行の話などして、ホテルまで車で送って頂く。 カウラからシドニーに戻った夜、今度はマージョリーさん宅を訪問。ロバートソン中佐の娘さんです。夜のハーバーブリッジを越え、西へ車で約40分走るとビークロフトに到着。 その夜は彼女の家族全員集合。彼女達夫婦に長男夫婦、六月に生まれたばかりのダニエル、次男夫婦と末娘のジュリーさん。 私がシーフードが好きなのを知っていて、その日のデナーエビやカニ、スモークサーモンなどのシーフーードオードブルに、夫のロイドさんがプールサイドで焼いてくれたスナッパー(タイの一種)のバーベキュー。話がはずんで気がついたら11時。その夜は泊めて頂きました。 朝小鳥のにぎやかな声で起こされ、朝食前に散歩に出てみると、周囲はなだらかな起伏のある土地で、人々の間に家々があると言えるくらい緑が多く、絶えず小鳥の鳴声がします。心が洗われる思いがしました。キッチンで目についたのは、人形の形に編んだティポットカバー。彼女のおばあさんの作品とのこと。 その日はマージョリーさんの刺しゅうのグループの一日バス旅行の日で、私も飛び入りで参加させてもらいました。 総勢27人で南へ出発。途中ミッタゴンの公園で休憩した時に、バスのトランクから出てきたのは、折りたたみテーブルと大きなポットとカップ。それにコーヒー、紅茶とビスケット。そこでモーニングティーになりました。日本なら各自、自動販元機でジューースなど買うところですが、さすがにイギリスの良き伝統と感心しました。 目的地のバラルでは、刺しゅう展を見て、近くの教会でつつましいランチをとりました。 帰途「ケナートン・グリーン」という植物園のような所へ寄って、一日の行程が終了。 その夜はロイドさんが出張で、彼女とジュリーさんの三人でささやかな夕食をとりながら、主に彼女達の日本に関する質問に答えていました。 書斎にはロバートソン中佐の写真の横に、ミューデイさんから贈られた詩が大事に飾られていました。中佐の結婚式の写真や、マージョリー・ジョン姉弟の幼い頃の写真なども見せて項き、感慨深いものがありました。 オーストラリア最終日は、マージョリーさんと10時にタウンホールの時計台の前で待ち合わせ。一挙に夏。じりじりするくらい暑い日でした。 サーキュラーキーからフェリーで対岸のタロンガ動物園へ。オーストラリアの学校では春休みに当り、いずこも親子連れで大にぎわい。写真でよく見る、抜けるような青空をバックにしたシドニーハーバーを、帰国前にようやくこの目で見ることができ、ラッキーだったと思います。 オーストラリア特有のコアラ、カンガルー、ワラビー、かものはし、ウオンバット、ハリモグラなどを優先的に見て、再びサーキエラーキーへ。とにかく喉が乾いて、食物より水分という日でした。 午後はロックスヘ行って、ダウンアンダーマップ(南半球が上になっている地図)を探し回り、マージョリーさんと別かれました。彼女の行き届いた心退いに対する感謝の念と、いつまた会えるだろうかという気持ちが交錯し、胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じて、何度も何度も手を振りました。 |