オーストラリア訪問記 1996
改めて世界平和を 小山 憲雄
 
1.水腐屍(みずくかばね)フィンガーファイブのシドニー湾で、シドニーを攻めた日本の特殊潜行艇2人乗り、1隻はまだ水底に。引き揚げられ自決した乗組員は、敵にその勇敢さを称えられたという。 
今残る潜行艇は、キヤンベラ戦争記念館で、丁重に保存されているという。
我が国民性と豪州の国民性や教育の相違によるものと認識を新たにした。

2.草生屍(くさむすかばね)キヤンベラ戦争記念館に残された、戦場に架ける橋、いわゆるタイメン鉄道の、橋脚の頑丈さに驚く。同時に、多くの捕虜が日本軍によって水も食料も与えられず、ボルネオやサンダカンの死の行軍で(日本軍は大量の捕虜の処置に困り、歩かせ餓死させた)1800名のオーストラリアの若い捕虜のうち、生き残ったのは6名という。戦死者の写真の列に、息が止まる程であった。

ニユーギニアのジャングルで、我が日本兵の多くも今は草生屍として...。

 

 
オーストラリア訪問記 1996
「オーストラリア」吟行 小山 憲雄
 
○握手せる サーキュラーキー 春の雨(一年ぶりの再会)
○雲低く シドニー湾の 底深し(特潜まだ眠る)
○ロックスの 璧に和平の 春の歌(カンガルー・ワニ、食べる平和)
○モノレール 十月の空 広くせり(オリンピックの旗辻々に)
○まだオペラ 開かぬ春の シドニー湾(オペラハウスにて)
○戦いし カウラの兵は 春を見ず(カウラ出撃)
○香煙や 流るカウラの 桜まで(経を読めり)
○太平洋 越えてひびくや 短の春(日本庭園)
○子等の絵や 梵鐘包み 今うらら(カウラにて)
○春の園 小さき政府 キヤンベラに(キヤンベラ国会見る)
○子羊も 子牛ものどか 人も皆(広い国・国民性)