オーストラリア訪問記 1996
カウラ市長との会見 石塚 正一
 
9月25日、上越日豪協会名誉会長である宮越上越市長に旅行することを報告に行った。そこでカウラ市長と、キヤンベラ市長へのメッセージを預かることになった。 

出発ぎりぎりに、両市長あてに文書をファックスで送り、返事は「シドニーへ着いてから電話で聞きます」と、綱渡りのようなやり方で連絡をとって行った。 

シドニーからカウラの日本庭園へ「二時に着く予定です」と、電話をしたのだが、実際にカウラヘ着いた時は大幅に遅れていた。 

トニー・ムーニー氏が途中まで来て、待ちかねていた。「市長が待っているかとらすぐ行って下さい」とシビック・ホールの前でバスを止め、「六名だけ」と家内に言って、ムーニー氏は急いで降りて行った。 

それからの事は家内にまかせ、上着も着ないで降りた私は、おおあわてで戻って上着を着て「しっかりしてよ」とパニック状態の家内に叱られる有様だった。 

そそくさとムーニー氏の後について、市長の待っている部屋へ行った。ブルース・ミラー市長に、にこやかに迎えられてほっとした。気が付いてみたら、近藤さん、柿村さん、猪股さん、丸山さん、引場さん、串橋さんが一緒だった。クッキーとお茶をムーニー氏が用意してくれた。 
 

meeting with Cowra Mayor
カウラ市長との会見

私は、上越市長が桜祭りの招待状を頂いたのに、議会中のために来られないで残念だといわれたことを伝え、メッセージとお土産を手渡した。カウラ市長からもお土産のお返しを預かった。カウラ市長は、ムーニー氏から直江津の様子を聞いている事や、自分もいつか行ってみたいこと等を話された。 

上越の桜祭りのビデオを、日本庭園のリビーさんに送ってあることも話した。あとで夕食会に出席したカウラ市長が、「上越の桜祭りのビデオを見てきましたよ」と言われ、お陰でしばらく桜の話に花が咲いて、会話が盛り上がった。 

直江津の平和公園や、記念像建立の運動は、カワラが原点だったと伝え、お互いに理解しあうことが、両国の友情を深めることになると、意見が一致した。一緒に行った皆さんには、払の言葉不足を補ってもらい、近藤さんは通訳で、引場さんはビデオで、串橋さんはカメラでそれぞれ大活躍した。 

四十二歳の若くて人なつこいカウラ市長だった。 

何とか会見は無事に終わることが出来たが、能力不足の上、準備不足で、あたふたと情けない会長の姿を、同行の皆様方にお見せしたことを、申し訳ないと思っています。