|
1994年4月29日
カンボジア選手団の来日が遅れたため、今日はカタール選手団付きとなる。 「皮膚に刃物を触れてはいけない」というイスラムの教えのためか、この国の選手、役員は全員髭をはやしている。髭をはやした高校生というのはなんだか奇妙。 選手のおやつとして、バナナと笹団子が配られた。「甘い団子」と説明して今大会最年少10歳の選手に差し出す。おもむろに笹をめくってガブリと一口。2、3回噛んだ後、すぐにペッと吐き出す。残りもポイッと袋に。カタールの少年は笹団子をお気に召さなかったようだが、それでもこちらを向いて一言、「グッド!」。10歳にしてはリップサービスがうまい。それにしてもこの国の人たちは皆、英語がうまい。彼も例外ではない。 |
4月30日
はじめて会うカンボジア選手団は、報道陣のカメラの洗礼を受けたためか、はたまた、これからはじまる試合のプレッシャーのためか、皆一様に緊張しているように見えた。今日はクメール語専任通訳の方がおられたため、あまり出番はない。 |
5月3日(大会最終日)
午前中、本町での買い物につきあう。カンボジア選手は皆、まじめ。買い物のほとんどは卓球に関係するものばかり。快く値切りに応じてくれたスポーツ店のかた、また、卓球雑誌を無料でくださった社長さん(?)、ありがとうございました。 決勝戦を見るためリージョンプラザへ向かうバスの中、田植えをするトラクターの説明をした後で、一人のカンボジア選手曰く、
サヨナラパーティー後、カンボジア選手団とともに喫茶店に入る。すっかりリラックスしたのか、話が弾む。通貨のこと、天候のこと、カンボジアの生活のこと、果ては、ポルポト政権下の悲惨な経験、等々。
|
5月4日(選手団を見送りに高田駅へ)
直江津へ向かう特急列車がまさに出発しようというその時、ひとりの選手が飛び出し、自分のネクタイピンを市役所職員のネクタイにとめた。周りで見ていた私たちは今にも列車が動き出すのではと、ハラハラドキドキ。職員の方はとても嬉しかったに違いない。その場に居合わせた私たち全員も、彼にそのような行動を起こさせる何かを与えることができて嬉しく思った。 市や県が行う国際交流プログラムは何となく胡散臭さを感じてしまう。国際交流とは、個人の日常生活レベルで起こるもので、市、県が音頭をとって起こさせるものではない。しかし、そのようなプログラムも私たちにとってはよい刺激にはなる。今大会がまさにそうであった。今年を「国際交流元年」と宣言された市長さん、次はどんな刺激を私たちに提供してくださるのか。期待しよう。 |