オーストラリア・キャラバン日記
・・・アウトバックの旅・・・
 


以下の日記はあるオーストラリア人兄弟が幅3メートル、長さ7メートルものキャラバンホーム(キャンピングカーの大きなもの)を牽引するピックアップトラックに乗って、北部のタウンズビルから南部のポート・オーガスタ、そしてナラバーからパースへ至る旅行中に書き記し、電子メールで発信されたものです。下のオーストラリアの地図を見てください。出発地のタウンズビルはこの大陸の北東に位置します。北にはケアンズが、近くにはグレート・バリア・リーフがあります。途中のポート・オーガスタはスペンサー湾に面する都市で、すぐ南の都市はアデレードです。また、最終目的地のパースは西海岸に位置し、西オーストラリア州の州都です。

この旅ではアウトバックと呼ばれる乾燥し、人口が少ないオーストラリア内陸奥地の町を繋ぐルートを取ります。私たちがよく知るシドニーやメルボルン、パースとはまったく違う、本当の意味でのオーストラリアの田舎をかいま見る旅です。それでは、「一度はこんな旅をしてみたい」と思わせるキャラバン日記をお楽しみ下さい。


Map of Australia


キャラバン日記

ニール・マクファーソン

8月2日午前5時40分、タウンズビル(Townsville)を出発。520キロを走り、クラーモント(Clermont)で一夜を過ごす。68日間も「冬眠」状態だったので、今日の一日は長く感じた。明日も500キロ余りを走る。

Cunnamulla Oasis in the desert
カナマラのオアシス

8月3日、クラーモントからブラッコール(Blackall)へ。道の両端には死んだカンガルーや生きているカンガルーがたくさんいる。これら奥地の町々はオーストラリアでもとりわけ孤立しているが、住民の親切心は厚い。

8月4日、ブラッコールからカナマラ(Cunnamulla)へ。旅を初めて3日目。3日とも朝5時に起床して、8時間も運転を続けた。明日は休日にしよう。道路にもいろいろあるが、1車線の道路がまっすぐ続くような場合は常に気を引き締めて運転しなければならない。すぐ後ろには大きなキャラバンホームを牽引しているのだから。

Neil's F100 & Caravan home
ニールのFord F100とキャラバンホーム

8月5日。カナマラは人口1,600人の町で、自給自足ができるようだ。他の町からかなり離れている。北のチャールビル(Charleville)へは200キロ、南のバーク(Bourke)へは257キロ、東のブレワリナ(Brewarrina)へは96キロ、また西のサーゴミンダ(Thargomindah)へは195キロだ。ワレゴ川(Warrego River)が町を流れ、この乾燥地帯をいくらか潤している。

8月6日。午前6時まで寝た。夜中に運転するのは余りにも無謀だ。このあたり一体にはカンガルーが多く生息しているからだ。午前6時40分に出発。夜が明け始める。カンガルーが何百頭も群れをなして道路脇で草を食んでいた。運転中、速度は控えめにする。道路を横切るカンガルーとの衝突を避けるためだ。車とぶつかるカンガルーはとても多い。

車に轢かれ、人が近づくと、それでも必死に立ち上がろうとするカンガルーを見るのは心が痛む。たぶん、背骨が折れたのだろう。しかし、この哀れな動物を救う手だてはない。ちょっと前に轢かれたのであろう。この辺を頻繁に走る連結トレーラーにでも轢かれたか。

バークには驚くことがある。町へ通じる道路沿いには、オレンジ果樹園やブドウ園が延々と続いているのだ。ダーリング川(Darling River)の源はここバークだ。小さい川が4つバークで合流してダーリング川になる。

私達が一夜を過ごす町、コバー(Cobar)はとてもにぎやかだ。ほとんど住む人のいないうち捨てられた町を想像していた。この町にあった鉱山は、私達がここを最後に訪れて以後、閉山されたからだ。新聞の見出しには、鉱山労働者は倒産した会社からはなんの保証も得られない、とあった。ちょうど時を同じくして、ハワード一族が経営する衣料工場も倒産したが、政府は被雇用者に公的給付金制度を適用すると確約した。失業した鉱山労働者にはなかった保証である。

8月7ー8日。ブロークンヒル(Broken Hill)でまた休日を取る。最後の大型鉱山、パスミンコ(Pasminco)が閉山して以来、町の人口は減り続けてはいるが、それでも24,500人もある。この地で長い散歩をすることができた。自分の健康を維持するにはとにかく歩くことだ。

弟のジャックと私はこの地で休日を取っている。この後、ナラーボー(Nullarbor)を抜ける長い旅に向かう。ナラーボーまでの道のりもこれまた遠い。狭い道路を毎日8時間車を走らせる。道路には危険がいっぱいだ。カンガルーや羊、エミュー、山羊などが私達の行く手を阻む。

スペンサー湾の奥に位置するポート・オーガスタに到着。この地で給油を済ませ、必需品を車の屋根に載せた。旅はまだ3,600キロもあり、その大部分は辺境の地だ。

Port Augusta Spencert's Gulf
スペンサー湾に面するポートオーガスタ

セデューナ(Ceduna)・ノースマン(Norseman)間2,000キロの間にあるのは点在する建物だけで、各々は200キロも離れている。ここで旅人が得られるのは燃料と食事だけだ。この間、自動車整備を受けられる場所などありはしない。まさに、自己責任で生き延びていかなければならない。

クイーンズランド州やニュー・サウス・ウェールズ州西部の干ばつ地帯では、カンガルーやエミュー、家畜はみんな道路際で草をはむ。そこにはそれでも少しばかりの草があるのだ。他の草は枯れはて、上を歩くとパリパリと音を立ててくずれる。

私達はこの地域にはあまりなじみがない。通常はアイサ山(Mt. Isa)、テナントクリーク(Tennant Creek)、アリススプリングス(Alice Springs)を通るルートを取るが、聞いたところによると、チャーターズタワーズ(Charters Towers)、エメラルド(Emerald)、バーカルデン(Barcaldine)、ブラッコール、チャールビル(Charlevill)、バーク、コバー(Cobar)、ブロークン・ヒルを巡るルートなら600キロも行程を短縮できるそうだ。

バークやその少し下流でダーリング川と合流するのは、クルゴア川(Culgoa)、バーウォン川(Barwon)、ボーエン川(Bowen)、マルガ川(Mulga)、ヤンダ川(Yanda)、ワレゴ川などであるが、この時期、これらの川のほとんどは干上がっている。

これら点描によってオーストラリア奥地の旅がどのようなものか少しは分かるだろうか。オーストラリア旅行で訪れただろう都市とは少し違っているだろう。

(和訳:近藤 芳一)


さて、皆さんはこの日記の作者はどのような人物だと想像されますか。日本で言うならフリーターのような人、それとも各地を転々とするホーボー?または、冒険家?

作者のニール・マクファーソンさんは今年(2004年)83才。太平洋戦争中、日本軍の捕虜となり、ビルマの「死の鉄道」で2年間、またその後、長崎の炭鉱で奴隷的労働を強いられました。現在、春から夏にかけてはパース近郊に住み、秋から冬には寒さを避けて北部の亜熱帯地方で過ごされます。その移動の手段は、日記にあったようにキャラバンホームを牽引するピックアップトラックです。何日も続く旅の間、このように家族や親戚、また私のような海外の友人へ電子メールで旅の様子を伝えます。さらに、健康のために毎日2時間は歩くとのこと。もし、私に十分な時間があったとしても、このような旅ができるかどうか心もとありません。このような人をスーパーシニアというのでしょう。年をとっても外へ出る、コンピュータのような新しい道具も積極的に活用する、毎日運動を欠かさない。見習わなければいけないことはたくさんあります。