2004年3月21日、私は元直江津捕虜ミック・ゴーマン氏(捕虜番号172番)の100歳の誕生会に出席する栄誉を得た。
この誕生会に参加した彼の子供、孫、ひ孫、そしてたくさんの友人もさることながら、ミックが大変喜んだのは私が連れてきた懐かしい直江津捕虜収容所時代の仲間3名であった。
三人の旧友は、リズモアに住むミック・マッカリフ氏(捕虜番号251番)、アルストンビルのハリー・ジュリアン氏(捕虜番号212番)、そしてマクリーンのジャック・ハリス氏(捕虜番号201番)である。
3月21日日曜日の朝、先ずアルストンビルへ車を走らせ、隠居村に住むハリー・ジュリアン氏を迎えた。隠居村は小さな田舎町にある美しく近代的な複合施設で、海辺の町バリーナから内陸へ約10キロほど入ったところにある。
アルストンビルから約20キロ西に走るとリズモアという人口約3万人の町に着く。そこでミック・マッカリフ氏をひろう。リズモアは大変豊かな農村地帯の中心で、教育・医療設備が整っていることでも知られている。
次に向かったのはマクリーンというクラレンス川沿いにある風光明媚な町で、沿岸の町ヤンバから内陸へ20キロほどのところにある。この地域一帯は重要なサトウキビ栽培地域で、畜産や林業、漁業でも有名である。
総走行距離約250キロの旅は昼前に終わり、私たちはコフス・ハーバーに到着した。
ミック・ゴーマン氏はこの地に戦後から住んでおり、たぶんもっとも有名な住人の一人であろう。コフス・ハーバーは豊かな農業、漁業の中心地であるばかりでなく、観光地としても、退職後に移り住む場所としても人気がある。また、シドニーとブリスベンのほぼ中央に位置するため、コフス・ハーバーで一泊する旅行者も多い。
約10年前に妻が亡くなって以来、ゴーマン氏は、体がきかなくなるまで自分の身の回りのことは自分でこなしてきた。2年ほど前、老人ホームに移ったがゴーマン氏を英雄として尊敬している職員も多い。
誕生会が始まる前、私は4人の旧友が集う内輪の会を催すことができた。もちろん、この手の会には冷やしたビールは欠かせない。
残念ながら、ゴーマン氏にかつてほどの聡明さはないが、それでも旧友を認識するや彼の目はたいそう輝いた。さらに、昔の好物ではあったが、近頃はすっかり飲まなくなったビールも一杯飲んだのだ。
公式の誕生会では英国女王や豪州総理大臣など要人からのメッセージも読まれ、大変喜ばしい機会ではあったが、ゴーマン氏が何にもまして喜んだのは直江津時代の旧友達との再会であったに違いない。
ウールグールガというコフス・ハーバーの北25キロにある町で一泊した後、私は3人のゆうに80歳を超えた「ナオエツ・ボーイズ」の面々を月曜日の午後までにそれぞれの家に送り届けることができた。
私が初めて4人に会ったのは戦後、私がまだ10歳のときである。彼らと再会し、互いに親交を深めることは私の喜びとするところである。
最後に、元捕虜の4人はそれぞれ、平和記念公園や展示館事業を行った人々に感謝の気持ちを表した。この事業の素晴らしい点は、故国に帰ることができなかった仲間が常に思い起こされることであり、また1995年10月8日の平和記念公園開園式の写真やスピーチ等にもよく目を通す、と話した。願わくば、直江津への旅ができるほど元気で若ければ、とは彼らの願望である。
ケビン・ニコル
コリン・ニコル(直江津捕虜番号257番)の息子
(和訳:近藤 芳一)
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