JASJ mlより
直人くんリポート
2001年ホームステイ事業の報告
 

上越市は毎年、中高生をオーストラリア、イギリス、イタリアへ派遣し、ホームステイ交流事業を通して世界の文化への理解を深め、国際感覚を養う機会を提供しています。昨年のオーストラリアへは上越日豪協会会員の小学校教諭、中川さんが引率者の一人として参加されました。帰国後、中川さんは当協会が主催する「上越日豪協会メーリングリスト」へ事業報告と一人の高校生の経験を投稿をされました。ここではメーリングリストにアップされたものの一部を紹介します。

多感な時期に自暴自棄となっていた高校生が、オーストラリアでのホームステイを通して、親友と出会い、自分の将来の進路まで見いだした。中川さんの投稿には彼の変化が良く表わされています。以下、中川さんの投稿をそのまま転載します。長い文章ですが、皆さんおつきあい下さい。最後に、暖かい気分になれますよ。


Subject: [jasj-ml2:0395] ホームステイ事業の報告
Date: Sun, 09 Sep 2001 13:07:51


JASAの皆さん、ご無沙汰しています。
中川です。
本当はもっと早くにご報告をしなくてはいけなかったのに随分と遅れてしまい、失礼しました。

今年の夏、8月2日から21日まで、市の中高生ホームステイ事業の引率としてシドニーとカウラに10人の生徒を連れて行ってきました。

生徒達は、それぞれの家庭にホームステイをし、毎日学校に通ってホストスチューデントと共に授業に参加しました。

今年の生徒達はとても元気がよく、高校生を中心としてよくまとまっており、授業にもコミュニケーションにも積極的に取り組んでいました。英語についても始めは少し心配したのですが、一緒に料理をしたりスポーツをしたりする中で自然と打ち解け、ほとんどといっていいほど問題がなかったようです。あれだけのボキャブラリーで何とかしてしまう彼らに若さを感じましたし、また言葉だけがコミュニケーションの手段ではないことを改めて感じさせられました。

ほとんどの生徒が運動部(偶然にもバスケ部が多かった)に所属しており、空き時間さえできれば「一緒にやろう。」「私も入れて。」といって共にスポーツを始め、向こうの生徒達や先生達と楽しそうに盛り上がっていました。私はというと運動は苦手なので、もっぱらカメラマンでしたが。

カウラでもみなさんとても温かく迎えてくださり、我々のために特別に日本人墓地でサービスを行ってくださいました。副市長さんを始め、市役所の方々が何人かみえたのですが、阿部さんたちの名刺を見せて「先週も日本からゲストを迎え、いい時間を過ごせた。今回もたくさんの生徒達を迎えてとても喜んでいる。」とおっしゃっていました。

カウラで感じたことは、かつて起こった事への人々の認識と扱いの差です。日本人が大勢亡くなったことを悼み、大きな日本庭園、市役所の平和の鐘、ホログラムで説明してくれる資料館など、多くの施設があることに感動しました。日本庭園にしても、気候の違うあの土地で、日本のものとそっくりに作るには大変な労力が必要だったことと思います。それを作ろうと思い立った気持ちや建設に努力している間、日本のことを本当に思いやってくれたであろう懐の広さに感動しました。(どうしたらそっくりのものができ、日本人の魂が浮かばれるか考えたのではないでしょうか)

我々が宿泊したホテルもCawra Brakeout Motelという名前で驚きました。忘れたくない、ということなのでしょう。カウラでは、過去の事実をしっかりと受け止め、それを残し、学ぼうとする姿勢を感じました。(夜にパブで初めて会った人からもそのような話が聞け、それが一部の人ではなく、普通の人たちにも浸透していることを感じました。)

日本では、捕虜収容所の跡に直江津のように振り返り、資料を残し、後世に伝えようとしている土地はあまりないと聞きました。残念なことですが、その分、直江津の事業の意義も大きいのだろうと感じさせられました。

今年は私は小学校で平和記念公園のことについて扱っているのですが、事実を調べるだけではなく、そこから学び、未来につなげていってもらいたいという願いを持って取り組んできました。子供たちからは、学習後「2度と戦争がおこらないように、いろんな国のことをもっと知って、お友達になりたい。」という声が自然と聞こえましたので、7月にカウラの訪問先の学校にお願いをして交流してもらう許可を得ました。そのため、わがクラスでは、上越や学校、日本の様子などを紹介したビデオと写真のパネルを作り、それを私が今回持参して、説明をしました。

カウラでは、中学生から日本語を学んでいるので、高校生ならば日本の小学生と日本語で文通できるだろうし、それは彼らのためにもなる、と喜んで引き受けてくださいました。小学生や高校生のうちに外の国に目を向け、文化の違いに気づき、交流の楽しさを味わうのはとても大切なことだと思います。友達のいる国とは戦争できない、といいますし。今後の展開を楽しみにしています。

せっかく向こうに行ったので、ぜひ直江津捕虜終了所の関係の方にお会いしたいと思い、近藤さんの助けを借りて、John Cookさんと会うことができました。(行く前に準備をしていかなかったのでご迷惑をおかけしました。)私の英語が怪しかったため、Cookさんはとても心配して、Central Stationまでわざわざ迎えにきてくださいました。家に着く前に、オーストラリアが初めて発見されたときの岬や空港の見える海をまわり、家についてからはおいしいお昼ご飯をごちそうになりました。彼は、ものすごくたくさんの写真を見せてくれて、自分が日本を訪問したときにいかにいい人たちに出会い、いい時間を過ごせたかを話してくれました。戦争中の話も本を見せながら話してくれましたが、それはいくら時間がたっても辛い出来事だったことには変わりないのだなと、思い知らされました。実際に体験した人の、重みのある言葉でした。

長くなりましたが、最後に印象に残った一人の生徒について。

今回の10人の中に、直前まで行くのをためらっていた男の子がいました。体長を崩し、学校を2ヶ月も休み、手術も終えたばかりだったので、不安だったのでしょう。体長を崩したのは、精神的な理由からだと思います。彼は、見かけはとても変わっており、だぼだぼのズボンをパンツが見えるまで下げてはき、髪は茶色で、ライオンのように毎日立てています。投げやりな感じがしたのですが、話してみると、とても気さくで優しい、人を気遣う気持ちのいい子でした。彼は、履歴書にも"I hate myself."と書いて送ったようです。私にも「自分が嫌い。」とよく言っていました。彼は、「日本に帰ったら学校を辞める。」と言いました。いいかげんに選んで決めた高校で、同じ中学からの友達がいなくて、どうでもいいやという気持ちで毎日過ごしていたら、悪いイメージが定着してしまい、気づいたら自分の居場所がなく、どうにもならない。勉強も楽しくないし、学校に行く理由が見つからない、と言っていました。彼のお兄さんは、反対に優等生で、いい大学に進学したそうです。お兄さんに対するコンプレックスも自己否定感を増長させる要因になったのでしょう。

今回の旅行の中で、私は毎日のように彼と悩みについて話し、それはそれでとてもよかったように思いました。話せば話すほど、彼は素直に自分の気持ちを話すようになり、本当はとても寂しがり屋であること、普段は反発しているけど、実は親御さんにはとても感謝していることなども話してくれるようになりました。

彼を受け入れてくれた家族はシドニーもカウラもすばらしく、本当に彼のことを心配し、実の子供のようにかわいがってくれました。特にカウラでは、Davidという同じ年頃の男の子と出会い、素直で優しいところが波長が合ったのか、Davidが少し日本語が話せることでうまく話すことができたせいか、一緒にいてとても楽しそうでした。Davidは初めて会ったときは、きちんと制服を着て真面目そうな印象だったのですが、帰りには、だぼだぼの服を着て、髪を立てており、2人なんだかそっくりになっていました。Davidに出合った事は、彼にとっては大きな出来事だったようです。カウラからの帰り道、彼は「あいつ、いいやつなんだよ。会えてよかった。また絶対にあいつに会いに来るし、そのために英語を勉強したい。」と話してくれました。

今回の旅の間中、私は彼の持っているよさについては、何度も何度も伝えてきたつもりです。本当に優しいし、小さい子供たちの面倒をよく見るし(向こうの学校ではいつも小学生に囲まれていました。)人を気遣う、とてもいい子だったのです。ただ、不器用でそれがうまく表現できなかっただけなのでしょう。また、今の環境で居場所がないなら、それですべてを投げないで、いくらでも自分を生かせる場はあることも話してきました。それは、日本を出て広いほかの国に実際に来てみて、多くの人と出会い、世界の広さを感じたことから、彼自身も実感できたことだったと思います。

最後の日に、ずっと自分のことが嫌いで、投げやりになっていた彼から「今回、オーストラリアに来られて本当によかった。少し、やりたいことが見つかった気がする。英語もちゃんとやってみたい。」との言葉を聞きました。自分なりのよさも、見つめなおし素直に受け入れることができたのかもしれません。うれしいことに、私の学校の話を聞いて「先生っていいね。俺は中学校の先生になりたい。俺には彼らの悩みが分かると思うから。」と言ってくれました。もし本当になれたら、とてもいい教師になるだろうと感じさせられました。今後、困難に負けないで本当にその道に進んでくれたらうれしいなと思いました。

私自身も、彼を含めて中高生と3週間過ごし、話し、いろいろな事を考えることができました。教員としての大切なことや、自分自身の生き方について考えることもできたように思い、今回の機会を与えてくださったみなさんにとても感謝しています。ありがとうございました。

今後とも、どうかよろしくお願いいたします。


Subject: [jasj-ml2:0419] 直人君の手紙
Date: Mon, 01 Oct 2001 13:09:00


ホームステイ事業の報告で触れた高校生の直人くんのホストファミリー宛ての手紙をUPします。(本人の了解済み)ホームステイ体験を通して、彼は自分を好きになれたと書いています。すごいことだと思います。彼の手紙を読んで、私はとてもとてもうれしかったです。
 


オーストラリアの家族のみなさんへ

みなさん、お元気ですか。僕はとても元気です。日本に帰ってから、また現実に戻ってしまい、すこし悲しいです。でも、僕はこのホームステイでたくさんのことを学びました。どの話からすればいいか分からない程いろんなことがありました。急にホストファミリーが変わったにもかかわらず僕を心から歓迎してくれて、僕は英語がほとんど分からないのにいつも真剣に聞いてくれて、本当にうれしかったです。

いつも弁当をすごいいっぱい入れてくれて、いつも笑っていたリンダ。毎日のようにビリヤードを教えてくれたマイケル。頭を触ったら逃げるかわいいラッセル。そして、僕が何かわからないことがあるといつも親切に教えてくれたクレイグ。みんなとても温かい人で、僕はこの家庭にホームステイできたことを心からうれしく思っています。皆さんにはなんていえばいいかわからないほど感謝しています。

最後に日に、リンダが「直人は、家族の一員なんだから、必ずまたオーストラリアに戻ってくるのよ。」と言ってくれて、僕は本当にうれしくてうれしくて、泣きそうになりました。

僕は、このホームステイに参加するにあたって目標が2つありました。1つは自分を好きになることです。この目標は、リンダが毎日のように僕のいいところを言ってくれたり、オーストラリアでの様々な体験をすることによって自分を見つめなおすことができたりしたおかげで、僕は少し自分が好きになれました。
 2つ目は英語を好きになることです。今こうして英語で手紙を書いていて、好きになったことに気づきました。なぜなら、もっともっと英語を勉強して、手紙で僕の思っていることを皆さんに伝えたいし、またいつかオーストラリアに行ってみんなといっぱい会話したいからです。

本当は今ももっともっとオーストラリアのことを書きたいんですけど、今の僕の英語力ではこれだけしか書けません。でもこれから僕は、これから一生懸命英語を勉強して、もっと書けるようにします。

最後に手紙が遅くなってすみませんでした。書きたいことがありすぎて、何から書けばいいか迷っていたのと、英語もあまり分からなかったので遅れました。ごめんなさい。

僕は、オーストラリアでのこの体験を絶対に忘れません。そして、遠く離れたオーストラリアにいる家族のことを絶対に忘れません。本当にいろいろとありがとうございました。

N.U.