オーストラリア訪問記2000
第6回豪日協会全国大会

2000年8月3日〜8月5日


第6回豪日協会全国大会
阿部 寿郎

今回の旅行の最大の目的は8月3、4、5日にカウラ市で開催される第6回豪日協会全国大会(The 6th National Conference of Australia Japan Societies held in Cowra on 3rd, 4th, 5th August, 2001)実行委員会のカウラ豪日協会から上越日豪協会へ送られた招待を受けて、大会にゲストとして参加すること、及び第57回カウラ慰霊祭(Cowra Breakout 57tth Anniversary Commemorations 4 & 5 August, 2001) に参加することでした。3日からの私どもの動きを含めた大会の主な日程は、次の通りです。

8月3日(金)
午前11時過ぎ、シドニー市内のRoyal Garden Hotelを出発。カウラ到着は夜の6時頃。6時半からCowra Civic Centerで市長主催の歓迎レセプションに参加。

8月4日(土)
朝8時45分から「平和の鐘」式典に参加。

10:00〜 第6回全国大会開始(会場 Cowra Services Club)
開会式 司会 Cowra AJS会長 Mr Tony Mooney    
歓迎の挨拶:副市長 Mr Bill Murphy
祝辞:オーストラリア駐在日本大使 畑中 厚 氏
基調演説:豪日交流基金理事 Ms Margaret Coaldrake

11:00〜 Working Session 1
参加AJS(豪日協会)の各代表者による紹介と活動報告(3分間)
>日本人ゲスト(招待された日豪協会のそれぞれの代表者1人)によるスピーチ(3分間)

<昼食・休憩>
AJS全国協議会(NATIONAL FEDERATION OF AUSTRALIA JAPAN SOCIETIES)の規約審議。会長他役員の選出、次期会場地の投票その他

15:30〜 Working Session 2
参加者全員が以下の3分科会に分かれてデスカッション
(1)会員確保と財政
(2)インターネットの活用
(3)各種奉仕活動

17:00 終了

18:30〜 懇親会(CONFERENCE DINNER at the Cowra Service Club)

ゲスト・スピーカー:退役軍人協会会長 Major General Peter Phillips

8月5日(日)
朝6時半からカウラ捕虜収容所跡地での暁の慰霊祭に参加。

 9:00〜 カウラビジターセンター見学
10:00〜 日本人及びオーストラリア人戦争墓地にての慰霊祭と和解解の式典に参加
11:30〜 日本庭園見学、レストランにて昼食

午後、キャンベラへ向けて出発。

現在オーストラリア全国には19の豪日協会、日本には43の日豪協会がある。今年度のカウラ大会にはオーストラリアは11、日本からは私どもの上越日豪協会を含めて7つの協会が参加しました。八木さんのスピーチは上記のスピーチの一つとして行われたものです。

日本から持参した英文の平和記念公園展示館のパンフレットを参加者全員に配布し、3分間という限られた短い時間内ですばらしいスピーチをされた八木さんに、会場から大きな拍手が贈られました。

Hiromu Yagi delivered a speech
スピーチをされる八木弘さん

さて、この大会はこれまで2年ごとに開催されてきましたが、全国的な組織や規約が作られていませんでした。今回の大会ではその組織や規約が事務局から提案され、審議、承認されました。その他に会長や副会長、書記、幹事などの選出、次期会場地の投票などが行われました。これらは昼食、休憩をはさんで延々と行われ、予定時間をかなり超過しましたが、私にとって日本での各種団体の年次総会などの様子と重ね合わせて、共通するところやまったく異なるところなどを知ることができ、大変興味深いものでした。

その中で私にとって特に興味深かったことを2つ紹介します。まず最初は、規約審議の過程で、規約の中の性差別を疑わせる文言について、数人の女性から厳しい質問や意見が出されたことです。

規約(案)"CONSTITUTION OF THE NATIONAL FEDERATION OF AUSTRALIA JAPAN SOCIETIES(DRAFT)"には日本と同じく、最初に「名称」"NAME"、続いて「目的」"OBJECTS"、そして「語句の定義」"DEFINITION"があります。問題となったのは3番目の"DEFINITION"の7、8番目の内容でした。具体例は以下の通りです。
(g) "He" means a person either male or female.(「彼」は男性又は女性のいずれかを意味する。)
(h) "Chairman" means a person either male or female.(「議長」は男性又は女性のいずれかを意味する。)
女性陣の正当な、粘り強い(?)攻撃にchairmanもタジタジで、ついにこの2項目は削除されることになり、規約中の"He"は"a person", "Chairman"は"Chairperson"に訂正されることになりました。

次に興味深かったのは、次期会場地の投票でした。日本ではいわゆる「順番」が決まっていて、次期会場地は一応提案され、賛成、決定されますが、まったく形式的なものです。ところがオーストラリアでは(と言うよりこの総会では)、次期会場地のAJSが総会で立候補し、ビデオや印刷物、そして代表者による開催誘致スピーチが行われたのです。まさにオリンピック総会なみでした。

今回はシドニーとブリスベンの中間にある観光リゾート地のCoffs Harbourと、サウス・オーストラリアの中心地で芸術とワインの街として有名なAdelaideの二つのAJSが立候補しました。両者とも用意したビデオや資料で懸命にPRに努めましたが、投票の結果は同数で、再度の決選投票の結果、アデレイドに決定しました。

これで次回2003年の総会はアデレイドで開催されることになったわけですが、聞くところによると、決選投票はわずか1票差だったそうです。落選したコフス・ハーバーAJS会長のMs Patricia Degens(パット・デイギンス)さんのがっかりした様子が、とてもお気の毒でした。

話が前後しますが、大会日程に書いたように8月4日午前10時からの開会式では副市長の歓迎挨拶、畑中大使の挨拶に続いて、豪日交流基金理事 (Member of the Board of the Australia-Japan Foundation) の Ms Margaret Coaldrake による基調演説 (Keynote Speech) が、20分間にわたって行われました。コールドレークさんはスピーチのなかでも触れていますがお父さんの仕事(教会の牧師)の関係で、1947年から数年間、神奈川県小田原市に家族で過ごしました。そのようなことから日本との深い関わりをもち、豪日間の文化交流に努めてこられた方です。スピーチのタイトル "Australia-Japan Cultural Interaction: Ties that Binds" (豪日文化の交流:かたくく結ばれた絆)が示すように、豪日間の外交、経済、文化の交流といっそうの促進を、自らの個人的な体験を交えながら話されました。

 

カウラスピーチ
八木 弘

上越市とオーストラリア、特にカウラ市とを結び付ける役割を果たしたのは、太平洋戦争中、同市の直江津地区にあった捕虜収容所でした。

そこに収容された300名のオーストラリア兵のうち、60名が寒気と、飢餓と、強制労働のために亡くなったのであります。

戦後、同所の8名の兵および警備員がBC級戦犯として起訴され、死刑を宣告され、刑死しました。

1988年に収容所跡地で、カウラ豪日協会主催の追悼式がトニー・グリン神父によって執り行なわれました。その式に出席した市民は、1944年のカウラ出撃で亡くなった234名の日本兵が、戦没者墓地に手厚く葬られている事実を知ったのです。これが契機となり、直江津収容所跡地に平和の像を建てる運動が市民有志によって始められました。

1995年には、跡地が小公園に造成され、豪日二国のために二体の天女像が建てられました。除幕式には、元捕虜とその家族32名の方々が出席されました。

1996年6月2日、上越日豪協会の新組織が設立され、次のような活動を行なってまいりました。すなわち、講演会、英語学習会、太平洋戦争終戦記念日である8月15日に行われる平和の集い、10月に行われる法務死した8人の警備員の供養、オ−ストラリアの人々との相互訪問、ホームページでの会の活動紹介、図書、小冊子、リ−フレット、会報の発行、などであります。昨年8月には、上越市と提携して平和記念公園展示館を開館しました。

私たちの活動が市当局を動かす結果になり、市では毎年夏休み中に中高生をオーストラリアに派遣しております。今年も10名の生徒が8月21日までこの国を旅行中であり、ここカウラには10日から12日まで滞在の予定です。

さて私は、わが協会の発展に大きく寄与した3名の方々のお名前をあげ、締めくくりといたしたいと思います。

第一に、ジャック・ミューディーさんで、1995年10月8日の除幕式に出席するため、32名の元捕虜とその家族の日本への旅行を組織した方です。ミューディーさんは、日本で捕虜生活を送る間に約50編の詩を書かれました。当協会ではうち19編の対訳詩集を出版しました。

第二に、ロッド・イェ−ツさんで、この会議に当協会からの客員として出席されています。イェ−ツさんは、元捕虜の子息として1995年にミューディーさんと共に直江津へ行かれました。毎年、私たち協会員がお宅に泊めていただきます。今回も私たちのためにミニバスを運転し、一緒にニューサウスウェールズを旅行中です。

第三に、やはりこの会に出席している石塚洋子さんです。上越日豪協会が発足する前から、洋子さんはオーストラリア訪問を開始し、元捕虜とその家族の方々にお会いし、カウラで開催された追悼式や会合に出席されました。今回は、洋子さんにとって10回目の貴国訪問の旅です。

ご清聴を感謝します。