今や宇宙旅行も夢ではなくなってきた時代。しかし、そこに至るまでには宇宙開発の歴史がありました。
古くは、中国で使われていた「火箭(かせん)」といわれる武器。これは、矢につけた竹の筒に火薬を詰めて導火線をだけただけの武器。これが後に宇宙開発のアイデアの元となっていくとは当時だれもかんがえてはいなかったでしょう。
この火箭が宇宙開発につながっていくには「宇宙開発の父」といわれたロシアのツィオルコフスキーによるところが大きいのです。
宇宙開発の父 ツィオルコフスキー
1857年にモスクワ郊外の町に生まれた彼は、教師を続けながらロケットと宇宙旅行に関する理論を発表していきます。独創的なアイデアを持つ人はたいていそうですが、彼も例外でなく、変人扱いされていたようです。
1897年に「ツィオルコフスキーの式」を発表し、ロケットによってこそ人類は宇宙に行くことができるということを科学的に証明。
ロシア革命前までは低い評価しか受けることのなかった彼ですが、その後、彼に対する評価は上がり、共産党政府のもとでロケットの研究に邁進します。
1920年代には多段式ロケットやジェットエンジンの理論を完成させ、当時すでに宇宙ステーションの概念も考案しています。驚くべき想像力ですね。しかし、1935年にこの世をさることになりました。
ツィオルコフスキーの式 |
V=cln(Wi/Wf)
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ロケットの最終速度(V) 点火時のロケットの重さ(Wi)
燃焼後のロケットの重さ(Wf) 噴射速度(c) |
ロバート・ゴダード
ツィオルコフスキーが宇宙開発の想像を膨らませていたころ1882年にアメリカでロバート・ゴダードが産声をあげました。後に「ロケット開発の父」と呼ばれる人物です。
この人もロケット研究に生涯をささげ1926年3月16日にマサチューセッツ州オーバーンの農場で世界で初めて液体燃料ロケットの打ち上げに成功しました。上の写真の黒っぽいのがロケットです。人間の腕ぐらいの大きさですね。飛行時間は2.5秒、到達水平距離56メートル、平均時速100キロでした。
1929年のロケット実験では、多くの人の注目を浴び新聞記事にも載るのですが、記事に載った内容は」ロケット実験は失敗」としたもの。実際は、ロケットが地面に落下する際に壊れてしまっただけでロケットは予定高度に達していたのですが、そのことを説明しても無駄。さらに悪いことにマサチューセッツ州でのロケット発射実験を禁止されてしまいます。
その後は、ミューメキシコのミズリー州で実験を重ねるゴダード。
ツィオルコフスキーとは違い死ぬまで評価されることのなかったゴダードですが、1960年にはアメリカ政府によりゴダードの214にのぼる特許は買いあげられアポロ計画にいかされることになります。
>戦争が生んだV-2ロケット
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