幕末の土佐に生きた漢学者・教育者
 東野先生之墓撰文の現代語訳
吾が友、東野先生は慶応2年7月1日、63歳で亡くなられた。
思い起こすと、先生の還暦祝いの宴を開くに当たり、門下生や付き合いのあった方々から、祝いに贈られた漢詩や絵画が、うず高く積まれていた。私はこの詩画集のために序文を書いた。
還暦祝いから僅か一年余りで、急に先生の訃報に接した。
ああ、昨日までの私は先生の富貴と長寿を喜んでいたのに、今は突然この様だ。知らず知らず涙と鼻水が入り交じり流れてくる。

先生は、初め土佐藩家老の桐間氏(蔵人)に仕えた。後に、(慶応元年、61歳の時)たまたま藩校・致道館の教官に欠員が出たので、広く藩士から選ぶことになったが、先生を超える者がいなかったため、先生が致道館の助教に抜擢された。これは、めったに無いことである。

先生の性格は、包容力があり、朗らかで、人と境なく接し、清濁併せ呑む度量を持っていた。また、当然のことながら、教え方にも熟達しており、時々滑稽なことを言って教えたので、児童に至るまで熱心に先生の話を聞いていた。そして、先生は授業に使う書物を余分に用意していて、手ぶらで来る者には貸し与えていた。先生の教えを受けた生徒は、ほとんど千人になる。そして、塾に寄宿する生徒は常に十数人いた。

土佐藩で名前の知られている者の多くは、先生の教えを受けている。安積(あさか)艮斎(ごんさい)先生が、かつて言われた。「土佐藩の学生で、私の教えを受けに来る者は、おそらく東野の教えを受けた者だろう。このことによってその盛んであることを証明できよう」と。陪臣(家老、桐間蔵人の家臣)から抜擢され、土佐藩の藩士になったのは、いかにももっともなことである。

先生は桐間氏に仕える前、学問をするため江戸に出て、佐藤一斎に入門し3年間修行された。土佐に帰ってからも先生の勉学意欲はますます強く、土佐藩校学頭の日根野鏡水先生の塾に入って、苦労して2年勉学に励んでいたところ、天保5(1834)年、日根野鏡水先生の推挙で家老、桐間大夫(蔵人)に仕えることになった。
(同年、成美塾を開き、子弟の教育にも当たった。)

その後、先生は自らを顧みて満足できなかった。天保12(1841)年、桐間大夫に休暇を願い出て、再び江戸に留学し、以前、教えを受けた有名な先生方を回って修行するほか、兵学を清水赤城氏に学んだ。

先生は経書(四書五経)を説く道は奥が深いが、晩年になって兵学を兼ねたため、その方はまだ詳しくない点があった。そのため桐間大夫が藩主の参勤交代に再びお供するごとに先生も同行し、以前の精通していなかったところも充実した。

先生は後に、桐間家の会計官に任命された。それは、もともと算数が得意だったからである。それからは、桐間家に仕えている人々は一致して感化され、日常の業務が盛んになったのは、もちろん先生の功績である。
顧みると儒者の立場で、桐間家の諸経済の事業に実力を発揮できたのも栄誉であった。

先生の名は修、字(あざな)は静夫、通称を節之進。竹村氏。香美郡野市村の人。父の名は正教。母は近森氏。配偶者(テイ)は国吉氏。男女を一人ずつ生んだが皆幼くして亡くなったので、弟、正久(愛之丞)の子、正則(元彦)を養い後継ぎとし、財産・扶持を継がせた。

先生が亡くなると、先祖の墓は東郡(香南市野市町)にあったので、新しく墓地を高知の城北の秦泉村(高知市
北秦泉寺)天馬山に定めた。送葬者が遠近から大勢集まり街にあふれた。
既に事を終えて、門人が相談して諡(おくりな)を「温知院循誘不倦居士」と決めた。

ああ、先生の学や徳は中に積まれ、そうして功績や業績は外に輝き、家に行い国に施すものである。たとえ召し出されることがなくても、この私でさえもその業績を顕彰して後世に伝えようと思う。まして諡(おくりな)にした「温故而知新」「循循然善誘人」「誨人不倦」(注)の精神に反しないのは言うまでもない。
先に門人と令嗣(あととり)と共に相談し、まさしく先生の功績の不朽を図ろうとした。そこで桐間大夫松雲君が墓石に「東野先生之墓」と大書された。

そこで私は銘を述べる。銘に曰う、

羽毛がやっと生えると、谷を出て移り、真珠や翡翠の髪飾りのきらめく女官たちに交じり、高官(桐間大夫)の列を飛び回る。その随従するのは高い雲のごとく、徳のある声を忘れなかった。
この上ない駿馬は骨を埋めても、そこには清らかな秦泉が湧いている。
ああ、どうして一代だけ栄えるにとどまるだろうか。それは子孫にも残される。
ああ、どうしてその身だけを善くするにとどまるだろうか。それは後世の人にも伝えられる。

慶応4年4月1日(陰暦)友人、岡本升(のぼる)文を作り、あわせて碑陰(墓碑の裏の文章)を書く。

(注):東野先生の諡(おくりな)「温知院循誘不倦居士(おんちいんじゅんゆうふけんこじ)」は論語の語句から付けられたと思われる。
故而新」=(ふる)きを(あたた)めて新しきを知る。【論語・為政】
循然善人」=循循(じゅんじゅん)然として善く人を(いざな)う。(順序よくたくみに人を導く)【論語・子罕】
「誨人不倦」=人を(おし)えて()まず。(人を教えて怠らない)【論語・述而】
 
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