『ワールド・イズ・ノット・イナフ』

監督:マイケル・アプテッド
出演:ピアース・ブロスナン。ソフィー・マルソー。ロバート・カーライル

石油王が殺され、以前彼の娘を誘拐した元KGBのテロリストのレナードの犯行であることが突き止められるが、彼の目的が誘拐事件の復讐であると思ったジェームズ・ボンドは彼女の護衛にあたるが、レナードの動きをつかみ密かに潜入した先は核研究所。そこでレナードに会ったボンドは確信が持てないまでも、レナードの真意をつかむが・・・
はぁ・・・なんて長い映画なんだ。おまけにあらすじも書きにくいくらいダラダラと複雑だ。レナードは頭に銃弾を受けて今は生きているがあとは死ぬのを待つだけとなっていて、しかも痛みも何の感覚も持たなくなっている最強のテロリスト・・・だそうだが、それが敵役として最強に恐ろしいものとして描かれず妙に哀愁を帯びたものとして描かれているのはどうもσ(^-^)の趣味ではないですね。派手なアクションもあるから娯楽映画としては面白くないかもしれないけど、どうもすべての設定が安直な気がする。プルトニウムもあっけなく盗めるし、潜水艦までいとも簡単に手に入っちゃう。ボンドが女性と寝るようにすべてが簡単だった。そのくせ映画は少し長いのはなぜ?ストーリーを練り過ぎたのでしょうか?

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『ワイルド・ワイルド・ウェスト』

監督:バリー・ソネンフェルド
出演:ウィル・スミス。ケヴィン・クライン

時代は西部開拓時代。常に自分の腕に自信を持つ肉体派のウェストと自分の頭脳に自信を持ち数々の発明品を駆使する頭脳派のゴードンの二人の連邦特別捜査官は大統領命令により協力し、合衆国乗っ取りを企むラブレス博士捕縛に向かうのだが・・・
アハハ・・・ばっかばかしい。な〜んにも考えないでガハハと楽しく観るにはいいかもしれませんが、σ(^-^)はだめだぁ・・・どうもいけませんね。この手の映画は。でも『メン・イン・ブラック』はすごく気に入ったんですよ。路線はどちらも同じような感じなんですけどねぇ。ハチャメチャすぎなのかな? あ、わかった。私はウィル・スミス好きじゃないんだ。(笑) で、『メン・イン・ブラック』には私の好きなトミ・リー・ジョーンズが出てるからだ。・・・って問題でもないような気はするんだけど・・・ま、いっか。そういうことにしておきましょう。

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『わが谷は緑なりき』(1941年・米)

監督:ジョン・フォード。
出演:ウォルター・ピジョン。モーリン・オハラ。ロディ・マクドウォール。

ウェールズの炭鉱地帯に生まれ50年をその村で過ごしたヒュー・モーガンは今まさにその地を後にしようとしていた。彼の心の中に深く刻まれた古き良き時代まだその谷が緑に覆われ、死んでいった者たちが生き生きと輝き息づいている思い出と共に・・・。
モーガン家は父と母、5人の兄、1人の姉。そして末っ子のヒューの9人家族。父と5人の兄はみんな炭鉱労働者で、いつも真っ黒になって帰ってくると裏庭で体を洗う。母と姉はそのためのお湯を運び、ヒューも必ずそれを手伝っていた。彼らの洗っても取れない体に染み付いた炭のシミは彼らの勲章だと彼らにあこがれるヒュー。家長の父の合図で始まる一家9人の食事。そんなある日隣の谷から長男の元に嫁いできたブランにあこがれるヒュー。しかし時代の流れと運命は仲のよい家族を離れ離れにしていく・・・。
古き良き時代を懐かしんでただきれいにまとめた作品ではない。理想的な家族の姿だけではなく、意見の食い違いで離れ、しかしまたまとまり、でも時代の流れは変えたくないものまでも変えていくという現実と、陽気で仲の良い村人たちも時には悪となり善となり、人間の持つ本来の姿を見せ付けられているような気になる。人間の善き姿と悪しき姿、家族の絆とそれだけではどうにもならない運命。押し付けがましくなくここまでのことを見せつける映画があったなんて・・・。世の中に悪しき人間はいないのかもしれない。人を裁こうとするとき、その人間は悪しき姿に変わるのかも・・・。なんだか身につまされました。人を裁こうとすること自体偽善なんですよね。しかし・・・あの副牧師・・・あれだけ悪人顔で、顔を見ただけでムカツキそうな牧師がいたら絶対にその教会には人集まらないと思うけど・・・(笑)。

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『我が道を往く』(1944年・米)

監督:レオ・マッケリー
出演:ビング・クロスビ。バリー・フィッツジェラルド。リーゼ・スティーズンス。

ニューヨークの下町にある小さな教会。そこの牧師フィッツギボンが45年かけて作り上げた教会だか今では献金も少なく借金も返すことが出来ず抵当権を行使される日も近いような状態だった。そこに副牧師として赴任してきたのは若いオマリー。元は音楽を志していたという彼の破天荒な行動に頑固な老牧師フィッツギボンは馴染めずおもしろくない。そこで彼は司祭にオマリーを転任させてくれるように頼みに行くが、実はオマリーは自分の代わりにこの教会を建てなおすために着任したということを知る。しかしそのことをきっかけにオマリーの優しさ行動力を認め始めるフィッツギボンとオマリーは見事に教会の再建を果たす。
老牧師はただ頑固なやつっていうだけじゃなくって、老人ってそういうとこあるよなぁと納得させられるキャラで、オマリーも嫌味のないキャラで、やさしい気持ちで観終わることの出きる映画でした。今風に言うと出来すぎって言われるストーリーかもしれませんが、σ(^-^)はこういうの好きです。いいじゃない出来すぎでも。重箱のスミつっつくような人の心の隅やら奥やらをどうこうといじくり倒して、人の心なんてそんな簡単なもんじゃないってスカして言っているような映画なんかよりこっちの方がずっといいな。老牧師が本棚の奥に隠しているオルゴールに入ったお酒の使い方がすごくいい。そしてこのオルゴールの曲アイルランド民謡「トゥラルラルー」がいい曲なんですよ。ラストもこの曲で終わるんですが、映画が終わった後もこの「トゥラルラルー」が耳から離れない。そういえば『野のユリ』のラストと似てるなぁ・・・。σ(^-^)ってこういうラストが好きみたい。(^^;)

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『私が愛したギャングスター』(1999年・英/アイルランド)

監督:サディウス・オサリヴァン。
出演:ケビン・スペイシー。リンダ・フィオレンティーノ。

アイルランドのダブリン。その街に暮らすマイケル・リンチは妻クリスティーン。妻の妹リサ(なんと彼女は実質上もう一人の妻)、そして3人の子供の良き夫であり父親である。事実上の定職を持たない彼は失業保険の給付を受けているのだが、実は彼はこの街で有名な強盗団のボス。警察に捕まり裁判にかけられるが、裁判官を裏で買収し、まんまと無罪を勝ち取る。なんとしても彼を捕まえたい警察をあざ笑うかのように犯罪を繰り返すリンチ。そんな中国立美術館のカラヴァッジオの絵画「キリストの逮捕」に魅せられた彼はその絵画を白昼堂々と盗み出す。ところが今までリンチに煮え湯を飲まされていた警察は遂に徹底してリンチを追い詰め彼を逮捕する強攻策へと出る。
今までにあった泥棒映画のようにそれこそあざやかに盗みを繰り返すのかと思いきや、おいおい・・・そんなバカな・・・という何とも喜劇のような盗みの手口。これがまた面白い。自分につきまとう警察を振り切るシーンも、これまた喜劇。ラストも今までよくあったパターンではあるのだけども、全体がおもしろおかしく作られているから、そんなことは全く気にならない。かっこいいハードボイルドを期待する人には全くむかない映画ではあると思うけど、σ(^-^)はこういうの大好きですね。ケビン・スペイシー扮するマイケル・リンチというキャラがすごくいい。お茶目でやんちゃでそのうえセクシー。決してA級作品ではないけれど、お茶の間のテレビの前で大笑いしながら観る事の出来るB級作品の秀作だと思います。

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『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』OPEN RANGE(2003年・米)

監督:ケビン・コスナー。
出演:ロバート・デュバル。ケビン・コスナー。アネット・ベニング。

アメリカの西部。草原から草原へと移動しながら牛を育てる“オープン・レンジ”という牧畜を行っている4人の男たち。リーダー格の初老の男ボス。彼の右腕ともいうべき拳銃の名手チャーリー。体は大きいが気の優しいモーズ。英語も話せずこき使われていたところを拾われたメキシコ人の少年バトン。そんなある日近くの町へ買出しに出かけたモーズが帰ってこないので様子を見に行くと、商店で暴れたのだと留置場に入れられていた。しかし気の優しいモーズが自ら喧嘩を起こすことなどありえない。留置場に入れられたモーズは殴られ重傷を負っていた。案の定“オープン・レンジ”に嫌悪感を示す町の顔役であるバクスターと彼の片棒を担ぐ保安官の嫌がらせだった。モーズを町の医者に見せ、なんとかキャンプへ戻る三人だが、遠くから彼らのキャンプを威嚇する覆面の4人の姿があった。その夜ボスとチャーリーは森で待機する4人の男たちを痛めつけるが、彼らは二人をおびき寄せる罠だった。キャンプ地に戻るとモーズは撃ち殺され、バトンは瀕死の重傷を負っていた。このままにする訳にはいかない。バトンを医者に預け、バクスターとの決着をつけに行く二人。
ネットでのお付き合いも長く私の好みを熟知しておられる KUMONOSのシューテツさんから 私好みの作品で『用心棒』『七人の侍』、『荒野の決闘』『真昼の決闘』『シェーン』のオマージュを詰め込んだ作品と言われちゃったら観に行かないわけいかないでしょう(笑)。まず、クレジットの序列に驚いた。ロバート・デュバルが先でケビン・コスナーがあとなんですよねぇ。今までさんざん「おれ様ケビン」なんて言われてたケビン・コスナーがロバート・デュバルよりも一歩引いている。このクレジット見ただけでやっぱりこの映画いけるのかも・・・という気がするから不思議です。『13デイズ』でも、おさえて少し引いた演技をしていたケビン・コスナーよかったですからねぇ。昔ながらの西部劇テイスト満載で、要らないキャラがいないくらいみんなしっかりキャラがたっていて、おきまりっぽい流れなんだけど、それがありふれてなくて嫌味がなくって、すごく面白かった。劇場がよくなかったので、映像の美しさや音の良さというのはイマイチ味わえなかったのですが、ロバート・デュバルがかっこいい。ケビン・コスナーもかっこいい。無敵のかっこよさじゃない。酸いも甘いもかみ分けて、弱さもちゃんと持っている。これが本当のかっこよさだぜ。というのを見せてもらいましたね。あぁ・・・ちゃんとした劇場で観られなかったことだけが本当に悔やまれます。

2004年7月19日(ホクテンザ2)

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『私の頭の中の消しゴム』(2004年・韓国)

監督:イ・ジェハン。
出演:チョン・ウソン。ソン・イェジン。ペク・チョンハク。

建設会社の社長の娘スジンは、妻ある上司との恋に破れたその日コンビニで1人の青年と出会う。傷心を抱えたまま過ごすスジンはある日父の会社の建築現場であの日の青年チョルスと再会する。やがて恋に落ちる二人。スジンの父の反対はあったものの目出度く結婚することになった二人は、チョルスが建築士の試験にも合格したことで幸せいっぱいの日々を過ごしていた。しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。スジンが若年性アルツアハイマーと診断される。
一緒に観に行った人は泣かれておりました。劇場でもすすり泣きが聞こえてました。・・・が、しかし私は泣くどころがなんだか腹立ってた。(^^;) まず、二人のラブラブの期間の描写が長すぎ!メインはアルツハイマー発症してからじゃないの?途中思わず時計見ちゃいましたよ。で、こんなに長々とラブラブ期間描いて大丈夫なのかなぁ〜と不安を覚えていたら・・・アハハ・・・思った通りだ。病気をなめてないかい?自宅への帰り道さえ忘れてしまうようになってる若年性アルツハイマーの患者に対してあの診断はないだろう?家族を呼んで今後の話し合いを持たなくちゃいけないっていうのは当たり前の話じゃないの?それを本人にだけ告知って・・・。おまけにそう診断された本人も家族に内緒って・・・。この時点で完全にふざけすぎ。癌で余命半年ですってのなら家族に内緒っていうのもわかるんですけどね。病気が病気ですからねぇ。自分だけの問題じゃないと思うんですが。しかも何も知らずに訪ねて来た元カレをボコボコにしてしまうチョルス。もうここで私は完全にキレてしまいましたね。愛する人が自分のことを忘れていく・・・あまりにも理不尽なこの病気に怒りを持つのはわかる。だけど元カレボコボコにしてしまうってことと全然繋がんないよ。人間としてこいつは最低だ。ってインプットされちゃった。そうなるともう映画観てるのが苦痛で、苦痛で・・・(^^;)。久々に罵詈雑言並べたくなる映画観ちゃいましたよ(笑)。

2005年10月24日(千日前国際劇場)

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