馬を虐待した神事                                         岡森利幸   2011/12/4

                                                                  

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2010/10/21 社会面

動物愛護の観点から競馬でのムチ入れを来年から規制する。

毎日新聞朝刊2011/7/4 社会面

「上げ馬神事」で動物虐待の疑いで5人を書類送検した。

動物愛護団体から10年5月、神事の習慣が動物虐待だとの告発を受けていた。

毎日新聞夕刊2011/9/26 社会面

スペイン・バルセロナで、伝統の闘牛が、最後の興行として行われた。闘牛は条例で禁止された

動物愛護は世界的に浸透してきている。競馬で、ゴールを目指して全力疾走させるために騎手が馬にビシバシ鞭を入れる光景も、だんだん見られなくなるようだ。サーカスなどで猛獣使いが動物にビシバシ鞭で叩く(実際は地面を叩くことが多いのだが……)のも、過去のことになりつつあるようだ。

そうはいっても、「上げ馬神事」で動物虐待の疑いで5人を書類送検したというニュースには驚いた。「上げ馬神事」とは、盛装した少年が騎乗し、崖のような急坂を走りのぼらせる行事だ。テレビ番組でもたびたび紹介され、悲壮な覚悟で馬に乗る少年の姿が映し出されたりして、私はテレビに見入ったものだ。馬が急坂に怖気づいたり、坂を上りきらず、途中で少年と馬もろとも転倒したりするものだから、危険な神事でもある。それをのぼり切れば拍手喝采なのだが、のぼるのに失敗したら周囲はがっかりし、少年はしょげかえる。だから、出走する前に、馬に気合を入れようとビシバシ叱咤激励する……。それが動物虐待の犯罪になるとは、「伝統の神事を止めろ」と言うのと同じだろう。

スペインでは闘牛も禁止されたのだから、驚くことではないのかもしれないが、動物愛護の高まりは世の中を変えていくようだ。動物愛護は、動物も痛みを感じるのだからという思いやりの心でもあるし、ヒトと動物は平等であるという精神から来ているのだろう。動物に対して差別意識が薄らいだのかもしれない。動物の地位が向上してきたわけだ。動物と人間との差が縮まっている。それに伴い、人間の尊厳は低下せざるをえない。人間は動物よりエライのだと思ってはいけないことになる。「人間としての誇り」が地に落ちるのかもしれない。

昔から神聖な動物とされる「生き物」はいるし、最近では絶滅危惧種が、人間社会(あるいは法律)によって丁重に扱われているのも特異的だ。パンダやトキは過保護なくらい……。アフリカや東南アジアで、不心得者が絶滅危惧種のサイなどを密猟しようものなら、レンジャーに撃ち殺されても文句は言えない。そんな世界では、動物と人間の命のどちらが大切かと言えば、当然前者の動物のほうなのだ。

 

 

一覧表に戻る  次の項目へいく

        東京電力関係者の悔恨