東京電力関係者の悔恨                                    岡森利幸   2011/12/3

                                                                  R1-2011/12/9

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2011/10/24 総合面

東京電力は23日、福島第1原発の全電源喪失を防ぐため、事故前の06年秋に安全強化策として検討し、1〜6号機の電源をケーブルで融通する対策を明らかにした。しかし、技術的課題があり、担当者の構想にとどまった。

毎日新聞朝刊2011/11/28 総合面

2008年に東京電力社内で福島第1原発に想定を大きく超える大津波が来る可能性を示す評価結果が得られた際、原子力設備を統括する本店の原子力設備管理部が現実には「ありえない」と判断して動かず、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったことが分かった。東電関係者が明らかにした。

(東電の評価チームは)明治三陸沖地震が福島沖で起きたと仮定、(従来の)想定水位5.7メートルを大幅に超え、最大で水位10.2メートル、浸水高15.7メートルの津波の可能性があるとの結果を得た。その際、設備を主管する原子力設備管理部は「そのような津波がくるはずはない」と主張。評価結果は学術的な性格が強く、深刻に受け取る必要はないとの判断だったという。同本部の上層部もこれを了承した。東電関係者は「評価結果をきちんと受け止めていれば、建屋や重要機器の水密性強化、津波に対応できる手順作りや訓練もできたはずだと指摘している。

原子力設備管理部は、06年に発覚したデータ改ざんの再発防止のため実施した07年4月の機構改革で「設備の中長期的な課題への計画的な対応や設備管理を統括する」として新設された。部長は発足時から昨年6月まで吉田昌郎現福島第1原発所長が務めた。(その後、病気のため退任。)

1、一つでも対策を打っていたら……

上の記事は、「東電関係者」たちの内部告発的な内容だ。東京電力が福島第1原発の事故について、地震と津波によって全電源を喪失した事態を「想定していなかった」と釈明したことは既知のとおりだが、それが「真っ赤なウソ」であることが次々と明らかになっている。それまでに、それらの可能性を指摘する外部の研究者たちがいたし、社内でも「東電関係者」たちによって、その危険性が考えられていた。しかし、東電の上層部がそれらを風説のごとく扱って、無視してしまった事実が浮かび上がっている。

07年〜08年に安全強化策を検討したことは、いい機会だった。東電やそれを監督する省庁が、安全強化を実施する機会を見逃してしまったことが、今回の大事故に結びつく。記事の中で、東電の上層部は〈評価結果は学術的な性格が強い〉から深刻に受け取る必要はないとの判断したとあるが、それでは何であれば、深刻に受け取るのだろうか。

(おそらく、彼らは『御上(おかみ)』つまり行政からの指示ならば、ほんきに受け取るのだろう。)

記事の中にあるように、

@1〜6号機の電源をケーブルで融通する対策

A建屋や重要機器の水密性強化

のいずれかの対策を打っておれば、今回のような大事故にはならなかった可能性があるから、東電関係者でなくても、非常に悔やまれることだ。

あの大震災は想定外だったと「真っ赤なウソ」をついたわけは、東電上層部の保身のためだろう。「想定していたのならば、なぜやらなかった?」と、経営責任を追及されたくなかったというのが真相だろう。

 

2、対策が棚上げされた

対策には費用がかかるのだが、東電は充分儲かっていたから、そのための費用を惜しんだわけではないだろう。〈技術的課題があった〉ことを、対策しなかった理由に挙げているが、私は半分疑っている。複数のメーカーが絡んだ、古い巨大システムなので技術的な困難が付きまとうことは確かだし、原発の稼動を停止しなければ、工事が不可能な技術的事情があったのかもしれない。そうであったとしても、要は、東電にやる気がなかったことが一番の敗因だろう。

対策するということは、「危険だから」という理由が付きまとう。「福島第1原発は安全である」と言い続けてきた東電として、それがウソになってしまうことは体面的にも不都合だったし、世の中に「福島第1原発が危険である」とほんの少しでも思わせてはいけない「東電の鉄則」にも反することになるから、気が進まなかったのだろう。あるいは、原発システムを改良するには、手続き上の問題もあるかもしれない。原子力行政の認可を得るには、気の遠くなるような煩雑な手続きや分厚い書類が必要だったりして……。

「約三十年も安全に運転して来ているのに、いまさら対策はないだろう」、「順調に動いているものをいじったりするとトラブルの元だ」と考えるような、現状維持にこだわる保守的な人が東電の幹部の中にいたのだろうと、私は推測している。

せっかくの見直し作業に関して、だらだらと時間をかけてやっていたのだし、おかみへの報告にしても、わざと遅らせたように私の目に映る。その見直しは「おかみ」に言われたからであって、ほとんど形式的な手続きを社内で行っただけであり、幹部たちは、見直しによる成果など期待していなかったようだし、それによって原発システムを改変しようとは少しも考えていなかったのだろう。なまじ「成果」が出ては、幹部にとって、まずかったのだ。

原子力の安全神話をゆるがすような事項が出てきたとしても、それに目をそむけるのは東電の習性のごとくなっている。周囲に原発に不安を持たせてはいけないし、たとえ不備や不具合があったとしても、どこかのメーカーとの守秘義務などを口実にして機密事項としてしまう。つまり、原発の危険性を公にしたくないとする東電の隠蔽体質と、硬直化した保守的な体制が一番の元凶といえそうだ。

 

3、原子力設備管理部がでしゃばった

そもそも、私が記事を読んで疑問に思ったのは、検討会議のメンバーに、設備を主管する原子力設備管理部を入れたことだ。検討会議で決めたことを具体的に実行するのが原子力設備管理部だろう。それが意思決定の場に出てきて、「そのような津波がくるはずはない」と発言すること自体がおかしい。「そのような津波のためには、こんな対策ができます。上層部の了承があれば、すぐ計画を立てますが、いかがでしょうか」と発言するのが、立場的に本筋だろう。

当時の原子力設備管理部の部長が吉田昌郎氏だったのは、〈皮肉なこと〉である。彼は、昨年6月から福島第1原発の所長になり、事故に直面した。その原子炉4基の建屋が次々に爆発で吹き飛んでいたとき、孤軍奮闘した。海水を原子炉に注水するなという本社側からの指示(内閣府の指示でもあった)を無視して海水での冷却を止めなかったという武勇伝の張本人だ。本人が語っているように、「感覚的には『もう死ぬだろう』と思ったことが数度あった」という体験をした人だ。その日の午前中まで、「そのような津波がくるはずはない」と思い込んでいた一人だった。彼にとって自分が所長である任期中に大津波が来ることは想定外の事態だったことは確かだ。

彼は11月に、放射能の影響が疑われるような病気で(公にはその影響は否定されている)退任することになった。

 

 

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