生徒に寄付を強請した中学校                               岡森利幸   2011/10/15

                                                                  

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2011/5/21 社会面

秋田県大館市の私立中学校で2年生の担当教諭2人が、東日本大震災の義援金を出さなかった生徒計20人の名前を、それぞれの教室の黒板に掲示していたことが20日わかった。

同校によると、生徒会が1人200円以上の寄付を任意で募った。締め切り後に、教諭2人が担当している各学級で張り出したという。掲示された後の18日、20人のうち15人の生徒が寄付した。保護者から抗議があり18日に外した。菊池校長は「懲罰という意味ではないが、配慮が足らなかったと思う」と話した。

義援金を出さなかった生徒の名前のリストを黒板に張るのも、一つの教育的指導なのだろう。保護者から抗議があると、すぐにひっこめる学校側の「信念のなさ」も、なさけないところだ。そもそも義援金は、任意で出すものであって、督促したり強請したりするものでないだろう。

〈掲示された後に、20人のうち15人の生徒が寄付した〉というから、効果てきめんだったことになる。つまり、その生徒たちは黒板に名前を出されたから、寄付したのであって、東日本大震災の被害者のために寄付したのではないわけだ。名前が張り出されたことで、その生徒たちは敏感に感じ取った。義援金を出さなかったことで、「恥さらし」の懲罰を受けてしまったわけだ。彼らの耳には、

「みんなが寄付しているのにあいつらは出さない、非協力的なやつらだ」

「被害者のことを思わない、非情なやつらだ」

「あいつらはケチだ、たった200円なのに、出せないのか」

などという声なき声が聞こえてきたことだろう。

 

担当教諭たちも、寄付が集まらないと、その指導力が疑われる体制になっているものだから、締め切り後にもかかわらず、寄付を強要したのだろう。寄付金の多寡が、その指導力の強弱に関係してくるようだ。つまり、寄付金が集まらないクラスの担当教諭は、校長からにらまれたりするのだろう。

職員室で一人の教諭が、隣の教諭に話しかけた。

「うちのクラスは、寄付の集まりが悪いな、どうしょう?」

「うちもそうだよ。学校全体から見て、うちらのクラスだけ少ないことが目だってしまっては嫌だな。うちの校長はこんな数値をよく見ているんだ。数字が大好きな人だから……。こんな金額が、そのうち教育委員会にも知れ渡るんだ」

「そうだ、寄付しないやつらの名前を黒板に張り出して、ひとつ、催促してやるか」

「そうだな」

そんな会話が交わされたと私は推測する。

保護者からの抗議の声も、私の耳に聞こえてくる――「寄付しなかったからといって、うちの子の名前を張り出すのはどういうこと?」

 

 

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