天国に逝かされたオグリキャップ                            岡森利幸   2010/7/23

                                                                    R1-2010/12/23

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2010/7/4社会面

オグリキャップ25歳、放牧中に脚部を骨折し、近くの診療所に運ばれたが死んだ。

毎日新聞朝刊2010/7/4一面

3日午後、北海道の放牧先で脚部を骨折し死んだ。07年で種牡馬を引退した後は、余生を送っていた。

朝日新聞朝刊2010/7/4社会面

オグリ逝く。3日午後、北海道新冠町の牧場で放牧中に転倒したものと見られ、右後ろ脚を骨折しているのが見つかった。すぐに診療センターに運ばれたが、治療が難しい複雑骨折だった。

日本の有力3紙は7月4日付の朝刊で、前日午後にオグリキャップが死亡したことをいっせいに報じた。競馬の一時代を駆け抜けた名馬の死を惜しむかのように、というより、むしろあっさりと伝えている内容だった。

これらの記事に私には引っかかるところがあった。〈死因は骨折だった〉というように読み取れるからだ。しかし、骨折したとしても、その日のうちに死んでしまうのはあまりに急すぎる。読売新聞の「近くの診療所に運ばれたが死んだ」、あるいは、毎日新聞朝刊の「北海道の放牧先で脚部を骨折し死んだ」という説明では、私は納得できないのだ。

オグリキャップのけがの状況を推測してみよう。オグリキャップは左後脚を痛そうにしながらも、立って歩ける状態で、牧夫たちに、もしかしたら、軽い骨折かもしれないという期待を抱かせるほどだったと思われる。診療所のX線装置にかけてみて、それが複雑骨折とわかったのだ。立って歩ける状態の馬が突然死ぬわけはない。診療所の獣医によってその場で薬殺されたという以外は説明がつかない。骨折した競走馬は薬殺されるのが一般的だから、このケースでは100パーセント薬殺と考えられる。

朝日新聞の「治療が難しい複雑骨折だった」という記述で、薬殺された理由が納得できるのだが、暗に薬殺されたことが示されているだけだ。3紙ともに、あたかも隠すかのように、薬殺のことを伝えていないことが、疑問なのだ。最近では、薬殺がおおっぴらにできない事情でもあるのだろうか。

オグリキャップには、熱狂的なファンが今でもついていて、北海道の牧場まで訪ねてその勇姿を眺める人が後を絶たなかったという。薬殺したとすると、熱狂的なファンが黙ってはいず、牧場側に怒りに満ちた抗議が殺到するのを恐れて、新聞社が配慮したものだろうか。あるいは馬主に、薬殺したことに後ろめたさがあって、「死因」を隠すように新聞社に頼んだのかもしれない。私がこんなことを書いているのは配慮に欠けることかもしれない。しかし、ファンに対しても一般に読者に対しても、脚を骨折した馬は、終末期にあり、薬によって安楽死させるのがベストだという認識を持たせることもメディアの使命だろう。ベストなことをしたのなら、なんら恥じることはない。オグリキャップが薬の注入によって安らかに逝ったことをそのまま報道していいところだった。しかし「安楽死」という言葉すらもタブー視して報道では使用しないのだろう。

競走馬、特にサラブレッド種は、走るスピードが極限まで求められるため、その骨は華奢で、軽くできている。骨が軽いことは速く走ることに有利になる。つまり、軽い骨は折れやすいという宿命を背負っている。過去に同様な事件があり、その馬は現役の有力馬だったがために再起を願い、薬殺を躊躇した馬主が、治療やリハビリにも失敗し、一カ月ほど馬を苦しませた挙句、悲惨な衰弱死をたどらせた例を私は記憶している(数十年前のことで、詳細は定かでない)。再起させたいと願うのは山々なれど、脚を骨折した馬には目をつぶって薬殺という判断が正しいのだろう。

オグリキャップの場合は、馬齢が25だったというから、とっくに処分されてもいいところだが、競馬で賞金を稼ぎまくった褒美として、これまで余生を伸び伸びと送らせてもらっていたのだ。オグリキャップとしては、骨折したことでもう走れないことを自覚していたはずで、最期は薬殺を感謝したと想像したい。

 

 

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