就任祝いの席で国会答弁の実情をばらした法務大臣         岡森利幸   2011/3/31

                                                                  R1-2011/4/11

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2010/11/17 政治面

柳田氏は11日に地元の広島市で開かれた法相就任を祝う会合であいさつを述べたなかで、「法相は二つ(の国会答弁の仕方を)覚えておけばいい。『個別事案については答えを差し控える』と『法と証拠に基づき適切にやっている』だ」とし、さらに「(どう答弁していいか)わからなかったらこれを言う。何回使ったことか」と続けた。

この発言に対し、自民党の河井克行氏は、16日の法務委で、「記録もあるし、録音テープもある。国会軽視も甚だしいし、歴代の法相に対する冒涜(ぼうとく)だ」と強く非難し、審議が紛糾した。

柳田氏は当初、「ちゃかしたかもしれないが間違っていない」と釈明したが、自民党が反発して5分近く審議がストップしたため、「誤解を与える発言をして、お詫び申し上げる。真摯(しんし)な答弁を心がけたい。ご迷惑、誤解を与えてすみません」と頭を下げた。

河井氏はそれでも、「あなたの本音が表れた。質問を続けるのは情けない気持ちでいっぱいだ」と怒りが収まらない様子だった。

就任祝いにしては、やや遅い時期だった。柳田稔氏が2010年9月に入閣してから約2カ月がたっていた。なかなか地元に帰る暇がなかったのだろう。ようやく地元での就任を祝う会合に出た柳田氏は、地元の面々に、日本の中枢ともいうべき国政の場で法務大臣として活動した数カ月を誇らしげに語りたかったのだろう。そして、リップサービスとして面白おかしい話をしてみたかった。本人も、「ちゃかしたかもしれない」と言っている。本来、それはユーモアとして聞き流すたぐいの言葉なのだ。それが失言とされて、大臣を辞任しなければならないとは、政治家のつらいところだろう。

就任を祝う会合に集まった人たちならば、彼らは気心の知れた、親しい仲間や、柳田氏を政治家として支援し、選挙の時には必ず彼に投票し、あるいは献金もしてきた人たちだろうから、気を許していたに違いない。柳田氏にとっては、政治資金や票のとりまとめで日頃からお世話になっている人たちばかりとみて、つい、いい調子になって本音を語ってしまった。〈答えにくい質問に対しては、こう言ってきりぬける〉という高等弁論術を披露してみせた。それは、政治家の間ではそう珍しくない答弁の仕方のようにも見える。しかし、彼の場合、そのセリフを使いすぎたようだ。

 

質問した側の自民党が、そんな答弁を〈何回も〉使われたことで、いらだっていたのだ。あの尖閣諸島沖で発生した漁船と巡視船の衝突事件で、起訴が予定されていた漁船の船長を〈ろくに取り調べもせずに〉那覇地検が釈放してしまった件で、「政府(民主党政権)が那覇地検に圧力をかけたのだろう?」と自民党が追求したのに、地検を管轄する法務省のトップであった柳田氏に答弁することを何度も迫っていたのに、その都度、はぐらかされていたのだ。

地検に圧力をかけた、あるいは指示を出したこととは無関係を装う政府と、圧力をかけたと言わせたい自民党。野党としてはぜひ知りたいことだったらしいし、政府としては絶対知らせたくなかったことらしい。

その件に関しては、あまりにもすさまじい中国の圧力(政治局幹部の直々の要請[何が何でもすぐに船長を釈放しろという強迫的要請]にもかかわらず日本政府が決断しないと見るや、いきなりレアメタルの輸出を禁止したり、各地で反日デモを煽ったりしてなりふりかまわぬ脅しを仕かけてきた)に押し切られて、政府上層部の判断で「超法規的」に那覇地検を説諭し、船長を釈放させる決定を促し、直ちに中国に返した、と理解するのが妥当なところだろう。政府は、政府の判断だと言ってしまうと、中国の圧力に押切られたと思われることになってしまい、沽券に関わるから、はっきり言わなかったのだ。

 

さて、人のよい柳田氏が自分を祝ってくれる者たちばかりと思っていた地元の会合で、その発言を一言も聞き漏らすまいと耳をすましながらメモを取り、また、こっそりと音声を録音している者が数人その会場内に忍び込んでいた。おそらく、自民党の差し金だろう。そのメモと録音テープは、直ちに自民党本部に送られた……というのが私の推測だ。

〈我々の質問にロクに答えないような法相は、何とかして足を引っ張って辞任に追い込んでやれ。辞任にでもなれば、民主党政権にとっても痛手になるはずだ〉と自民党の幹部は思ったことだろう。〈祝いの席でもどこでもいいから、へまなことを言ったらすぐ報告してくれ〉と党の地方支部に指示を出していたにちがいない。すると、願ってもないような言葉が本人の口から飛び出した。――東京に戻ると、早速、法務委の審議の場を利用してそれを取り上げ、日頃、はぐらかされた恨みを込めて怒ってみせた。ローカルな祝いの席で語られた言葉尻を見事にとらえて、あげつらった。結局、まんまと辞任に追い込むことができた。さすがに、自民党の政治家たちは、権謀術数においては民主党より一枚上手だ!

 

 

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