小京都の乱立                                            岡森利幸   2011/3/30

                                                                  R1-2011/3/31

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2011/1/28 社会面

湯河原町は1999年から「相模の小京都」を歌い観光PRを続けてきたが、キャッチフレーズに「小京都」を使わない方針を決めた。

富田幸宏町長「町民から『どこが小京都か?』という疑問の声もあった。現実的に街が小京都になじむかというと難しい。今後は町として使うことはない」と語り、事実上「小京都」を返上する。

「小京都」は京都と自然や景観が似ていたり、歴史的なつながりがあることなどを条件に「全国京都会議」(事務局・京都市観光協会)から加盟が認められれば、「小京都」を名乗ることができ、青森県弘前市や山口県萩市など全国約50カ所が小京都をうたっている。

湯河原町は京都出身の日本画家、竹内栖鳳画伯が晩年を過したり、京都・仙洞御所に同町吉浜海岸の「一升石」と呼ばれる浜石が献上されたことなどから、加盟が認められたという。

旅行会社などからも、「町とキャッチフレーズがあっていない」などの意見があったという。

たしかに、湯河原町が「さがみの小京都」だったとは、神奈川県人の私も知らなかった。町民が『どこが小京都か?』という疑問はもっともなことだ。湯河原町では、海に面してところでは砂浜の海岸が広がり、夏は海水浴ができるような日差しの強い場所だし、山間の奥まったところには、渓流沿いに温泉街があり、湯治場として名が通っているだけだろう。最近では、無秩序な新興の住宅が増えてきた。伝統的な工芸品類もなく、特産品としては魚の干物だろうか。その町の景観が京都に似ているとは思われないし、有名な名所・旧跡があるわけではない。

観光に力を入れている町であることが、京都と共通するかもしれない。「小京都」を名乗れば、観光客が寄ってくるだろうという安易な発想から、それを認めてもらうために、町が「全国京都会議」に加盟していたのだろう。

その加盟の条件として湯河原町が挙げたのが、京都出身の画家が晩年を過していたことと、御所に海岸の石を献上したことというのでは、それを知った他県の多くの人が、笑ってしまったのではないか。

「小京都」のキャッチフレーズに引っかかって湯河原町に観光客が寄ってきたとしても、小京都のイメージが少しもないのでは、がっかりだろう。中には「サギだ」といって怒り出す人が出るかもしれない。

「小京都」を名乗ろうとする方が安易なら、それを認める「何とか会議」も、安易すぎる。もう全国に約50カ所の「小京都」を認めてしまっていることに、その安易さがよくわかる。おそらく、加盟するためには、そんな条件をクリアするよりも、金次第なんだろう。「小京都」を名乗るのにも、お金が必要とは、おもしろい。かってに市や町が「小京都」を名乗ろうものなら、「何とか会議」がどこからか聞きつけて、文句をつけてくるのだろう。小京都と呼ぶにふさわしい町は、日本中を探しても、そんなにあるものではないから、その言い分はほとんど『正当なこと』に違いない。

この際、全国の50の町も、『小京都』を標榜することを見直したらどうだろう。「この町のどこが京都?」

 

 

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