死ぬまでがんばったサウナ大会                            岡森利幸   2010/8/13

                                                                  

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞夕刊2010/8/9 社会面

フィンランドで、サウナ我慢大会「サウナ世界選手権」でロシア人男性が死亡した。

(サウナ室は)温度110度で、30秒ごとに水を足して水蒸気を発生させる。

約1000人の観客が見守った今年の「サウナ世界選手権」では、世界15カ国から130人の競技者が参加し、決勝にロシアとフィンランドの二人が残った。そして一人が倒れたとき、主催者側としては、責任が問われる事態になってしまった。二人の競技者がサウナから救い出されたとき、その二人とも、裸の皮膚がところどころ破れ、血がにじみ出ていたという。全身やけどの状態だったというから、すさまじいことになっていた。

競技中、体中の熱さの皮膚感覚の信号が脳の中枢に集まり、最大限に警告を発していたことだろう。二人は、熱さのために自分の肉体がどうかしてしまうという恐怖にも(さいな)まれたことだろう。30秒ごとに熱源に水が注がれ、ジュワーという音とともに水蒸気の猛烈な吹き上がりが二人の体に襲いかかる。これがメチャクチャ熱い(と思われる)。地獄の責めか、あるいは極悪人に対する拷問か、と思えるような灼熱の狭い空間の中で頑張り続けたのだから、エライことだ。よくそこまでがんばったものだと感心させられる。拷問と違うところは、もう耐えられないと思ったなら、いつでも出られる自由があることだが……。

互いにライバルがいたことががんばりすぎた原因だろう。サウナ世界一の称号を得るために、互いに意地の張り合いになっていたのだ。世界一になりたいという欲望と、誰にも負けないというプライドや自尊心にかけて、あるいは出身国の威信と名誉にかけて、ぜったいにライバルにチャンピォンを譲るわけにはいかなかったのだ。

現役のアマチュア・レスラーだったという60代のロシア人男性が亡くなった。自分の肉体に自信を持ちすぎたようだ。肉体の限界を忘れてがんばりすぎたのかもしれない。一方の40代のフィンランド人は入院した。このニュースは、悲惨な事故というより「笑い話」的な出来事として世界に発信されたふしがある。亡くなった人には「お気の毒」だが、〈命を落とすまでがんばることはなかったのに……、ばかげたことだ〉と一部の人(あるいは多くの人)が思ったことだろう。我慢くらべには、自分の限界に挑戦することのメリットがあるのだが、〈失敗したら笑いものになる〉というリスクもあるのだ。

 

この種のすさまじい競技は他にもあり、極寒の清流の中に何分漬かっていられるか、潜水でどこまで深く潜れるか、水の中で何分息を止められるかの競技を思い起こす。それは想像するだけでも苦しそうである。耐久力を競う長距離走やトライアスロンなども人間の我慢の限界を競うスポーツであり、自分の肉体の苦しさとの戦いだろう。大食い競争も「我慢くらべ」の一種かもしれない。

ヒトは我慢することによってその精神力が鍛えられることは確かである。軍隊で行われる長距離行軍などの耐久訓練などは、そのいい例だろう。スポーツでは肉体も鍛えられるから一挙両得になる。肉体の限界を知り、その範囲内であれば、我慢くらべはおもしろい競技だろう。(私は参加しないれど……)

 

 

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