新道路建設の口実                                             岡森利幸   2011/6/9

                                                                  

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2011/5/28 総合面

国交省、道路着工の基準見直し、災害時の役割を新たに指標化し、費用対効果が低くても防災面で重要と判断されれば、着工される仕組みにする。

道路を作りたくて、うずうずしている業界を引っ張ってきたのが、国交省だ。ガソリン税から上がってくる道路特定財源(特別会計)という独自の予算をジャブジャブ使っているのに、さらに政府の一般会計でも、多額の予算を計上し、財政悪化の一因をつくっているのも、国交省だ。そのための国債発行に対しても、「建設国債は赤字国債とは違うんだ、生活に役に立つ形あるものが将来に渡って残るんだ」などと言い張り、恥じることなく国債の大量発行を後押ししてきたのだ。もちろん「道路族」議員の圧力もある。さすがに近年に国家の財政が危機的状況になってからは、新たな道路建設を費用対効果で査定し、道路建設の拡大に歯止めをかけるようにされたのだが(それでも、新幹線建設やダム建設などに見られるように、計画時の費用は少なめに、効果は誇大に算定されるのが通例)、その歯止めをはずすための、いい口実をみつけた。防災という大義名分だ。

それはきわめて抽象的な概念であり、それを数値で表す際に、いくらでも裁量が入り込みやすい。たとえば、「この道路は防波堤の代わりになる。一人平均1000万円の住民の財産がこれで守られる」、「避難した住民の補給物資をトラックで運べる。この道路がなければ、ヘリコプターで運ぶしかないから、ヘリコプターの費用に換算しよう。ヘリコプターを一回飛ばすためには、100万円かかるだろう」、「この道路で住民1000人が安全に迅速に避難できる。人の命はxx億円に相当するだろう」

いくらでも、防災的効果の数値をはじき出せそうだ。つまり、防災のために道路が必要だと言い出したら、お金がいくらあっても足りない状況になる。普段はめったに使われることもなく、防災にしか役に立ちそうもないような道路や橋などがあちこちに作られることになりそうだ。それでも、実際に防災に役立つのならいいが……。

今、東日本大震災の復旧を考えるべきであり、壊れた道路を復旧させるのが最優先だろう。新たに防災のための道路を作ろうとするならば、その後に行なうことだろう。しかし、国交省は、震災復興のための巨額の予算がつくのを見越して、どさくさにまぎれて、今まで抑えていた分まで、土木建設業者にどんどん道路をつくらせてしまおうとする魂胆なのだろう。財政危機なんか、どこ吹く風、ということか。

 

 

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