連帯責任を負わされた?双葉町の被災者                   岡森利幸   2011/6/6

                                                                  

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2011/6/3 社会面

福島第1原発事故で福島県双葉町から埼玉県加須市に避難していた男が児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で警視庁に逮捕されたのを受け、双葉町が被災町民への義援金支給を辞退を決めていたことが分かった。

逮捕された男は、自称祈とう師(57)で、3月22〜23日、都立高校の女子生徒(17)に「生き霊がたたっている。除霊するので裸の写真を送りなさい」などといって電子メールで写真を送らせたとされている。

井戸川克隆町長は1日、約1000人の住民集会で事件に触れ、「おわびの気持ちから義援金を辞退する」と表明した。出席した人からは「辞退はおかしいのではないか」との声も上がったという。

支給を辞退するということ自体、言葉の使い方としておかしい。辞退するのは、一般的に、参加したり受け取ったりするする資格のあるものが自発的に申し出た場合に使われる表現であり、支給する側が辞退するとは、適切な用法ではない。支給を「取り止めた」というのが実情に即した表現だろう。受け取る側の総意によって辞退したのなら、話は別だが、今回は、支給・配分する側の町長の意向を反映したものだ。被災町民全員への支給を取り止めた双葉町の町長の判断には、疑問符がつく。町長としては、自分の町の避難者の中から逮捕者を出したことで、義援金を出してくれた人たちに対して申し訳ないという気持ちがわいたのだろう。それは世間の目ばかり気にしたからであり、援助を必要とする町民のことを考えて「辞退した」とはとても思えない。義援金の支給を取り止められたことは、避難先でじっと耐えるしかない被災者にとって、二重の災難のようなものだろう。

この「辞退する」という発想は、たとえば、甲子園出場権を得た高校野球部が、直前になって部員の一人、あるいはその数人が起こした不祥事により出場を辞退するケースなどと同じだろう。学校の責任者などに「辞退」の圧力がかかることになっている。そして、不祥事にまったく関係のない他の部員たちが涙を飲む構図となる。彼らは、同じ野球部員だったということだけで、連帯責任を負わされるのだ。何も悪いことをしていないものを罰するようなやり方は疑問であって、それによる個々の部員たちの失望は大きい。チームワークで行動する団体にとっては、一人の行為の責任をチームで共有することは、そのチームの結束にとって、少しは意味のあることかもしれないが、連帯して責任を負わされるのは、やはり多くの者が納得できないことだろう。甲子園という晴れの舞台への出場を辞退すると、そのチーム内でのわだかまりが永遠に残りそうだ。彼らの同窓会では常に荒れることが思いやられる……。

 

ところで双葉町の場合、義援金が停止される彼ら、被災者たちは何をしたというのだろうか。逮捕された男とは、同じ双葉町に住んでいたということだけで、ほとんどの人たちにとって、縁もゆかりもない、見知らぬ男の一人に違いない。そんな男とは、近所づきあいが多かったわけではないだろう。一人のインチキな男のきわめて個人的な不祥事を理由に義援金の支給が止められたのだから、「たまらないこと」だろう。怒りが込み上がってくることかもしれない。逮捕された男に対してだけではなく、支給を取り止めた町長にも……。

「オレたちは受給を辞退したわけではない。そもそも、辞退する理由がない」というつぶやきが聞こえそうだ。この場合の支給停止は、無実の人たちを罰するようなものだ。

 

 

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