もんじゅ再開の見返り                                   岡森利幸   2010/8/27

                                                                  R1-2020/9/2

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞夕刊2010/4/26 一面

もんじゅ連休明け起動、14年ぶり。福井県の西川一誠知事が事実上承認した。知事は、県への財政支援、北陸新幹線の同県内への延伸など地域振興策の拡充を国側に要請した。

国策として開発が進められた原子力の高速増殖炉もんじゅが14年ぶりに再開できたことは、電力関係者や研究者にとって喜ばしいことだろう。忘れたころに、再開のニュースを聞いて、私も驚きと期待の感情が入り混じった。しかし、喜んでばかりではいられない。次の2点の問題点が浮かび上がる。

@長すぎた再開

事故の後始末に時間がかかりすぎる。ナトリウム漏れを起こし、火災に発展した事故の原因解明、整備の改善に14年の年月がかかったのは、いまどき悠長すぎることだ。一つのプロジェクトが10年以上、止まっていたのは異常だろう。どうしてそんなに年月がかかったのか、理解に苦しむ。関係者の腰が引けて先に進めなかったのだろうか。再開するための計画はどうだったのか。事故に関する隠ぺい体質が明るみに出て、世の批判を浴び、騒ぎを大きくしたから、ほとぼりが冷めるまで時間がかかったのだろうか。

関係者が慎重に対処してきたというより、スバリ、職務怠慢のせいだろう。彼らは何もしなくても、しっかり給料だけはもらっていたと思われる。

事業者の隠ぺい体質が問題視され、本来技術的問題とは離れたところで問題の解決が先送りされ、長年、再開のめどが立たない状態が続いていたのだ。14年もたてば、その責任者の顔ぶれも入れ替わり、やれやれといった面持ちで新任者にバトンタッチし、事故当時の責任者は誰もいなくなったと私は想像している。現場でも、やる気も失せた技術者たちが、眠ったままのもんじゅの「お()り」をしていたのだろう。

技術的には、新たに開発した設備や機器にありがちな、単純な「不具合」の一つで、すぐにでも直せそうな問題だった。そんな対策に14年もかかっていいのだろうか、と心配したくなる。新開発のシステムにはよくある話で、いくつもの課題にぶつかるのが一般的なのだ。改良に改良を積み重ねて、仕上がるのが新開発品である。一つの問題点を改良するのに14年かかっていたら、100年、200年はすぐに過ぎ去ってしまう。

発生直後に、すぐに原因は配管を流れるナトリウムの温度を測るための温度計の形状が長すぎたことで、異常な振動を起こし、それが配管を破損させ、ナトリウムが漏れ出したことが報じられていた。ナトリウムは漏れ、空気に触れたため、燃え出したのだ。そんな仕組みについて私にもわかる図入りの解説が新聞で報道されていたことを記憶している。配管の中を流れるナトリウムの温度を直接測るため、細長い棒状の温度計を配管に差し込むように取り付けていたが、それが長すぎたために、ナトリウムの流れの中で振動を起こし、配管を破損させ、ナトリウムが漏れ出した――と、当初から推定原因が解説されていた。そんな推定イメージで対応しては、技術的な話に疎い人たちには納得してもらえなかったようだ。〈また起きたら、どう責任をとるんだ〉とビビリまくりの、事なかれ主義の管理責任者の姿が想像される。軽々しい試行錯誤などは許されない雰囲気だったのだろう。(確かに、停止させておれば、事故などは絶対に起きないから、責任者たちは大過なく任期をまっとうできる。)

その対策は温度計に関して振動を起こさない形状にするか、部品の強度を高めればいいことだ。その改良品がもう絶対に事故を起こさないと保証できるものでないといけないが、机上計算による数値でそれを証明するのは難しそうだ。例えば、流体に対する振動現象はロケットのエンジンでも起りえることで、複雑な要素がからむために〈この程度の強度でいいだろう〉というあいまいさが常につきまとう。そんな技術的なあいまいさが、認可の遅れた一因かもしれない。本当に実証するには、実際にもんじゅを運転して確かめるしかないのだ。ナトリウム漏れをまた起こしたら、さらに改良すればいいことだ、と開き直るぐらいでないと、技術は進歩しない。

 

A 地元の政治的関与

もんじゅ再開の交換条件のごとく、福井県の知事が県への財政支援、北陸新幹線の同県内への延伸など地域振興策の拡充を要求したことが、私には引っかかる。承認する代わりに、国は福井県に対し、金(公共投資など)を落としてくださいと、おねだりしたわけだ。もんじゅを再稼動したい国の足元を見ているのだ。もんじゅ再開を条件にして国からの金を引き出すのは、どうみても、フェアなやり方とは思えない。〈認可してやるから、金を出せ〉といっているようなものだ。事故にかこつけた、こうした地方のやり方が、国の施策に金と時間をたっぷりとかけさせるのだろう。再開が14年も引き延ばされた一因になったかと思うと、やりきれなさを感じる。

こんな交換条件が持ち出されるのは、これだけではなく、米軍基地の対応などでも起きている。原子力行政で際立っていて、原子力関連の許認可は、地元に利益を誘導するチャンスになっている。地元で許認可の機会があれば、国に何らかの要請をするのが当たり前になっている。他の地域はどうであれ、自分の地域だけには国から利益を誘導したいという利己的な要求がすんなり通ってしまう。そんな要請がほとんど世の常識になってしまって、それを批判する言葉はメディアからも出ない。ある程度の交換条件はしかたないとしても……。

地域住民を説得するためには、科学的・理論的に説明して「原子力は安全ですよ」と大声で百万遍言うより、「代わりに金を出しますよ」と小声で一言、ささやく方がわかりやすいのかもしれない。

 

 

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