負けてくやしいガムいちもんめ                            岡森利幸   2009/11/21

                                                                R1-2009/12/2

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2009/11/18 一面・知りたい「スポーツとガム」

11月3日に行われたサッカーJリーグのナビスコカップ決勝戦で、川崎フロンターレは敗れた。川崎には初タイトルがかかっていただけに、選手たちの落胆は大きかった。数人の選手は表彰式で来賓との握手を拒み、しゃがんだり壁に寄りかかったり……。結果、Jリーグの関係者らの怒りを買った。

ガムをかむなどしてふてくされた森勇介選手は、クラブから当面の出場禁止を言い渡された。さらにクラブは準優勝賞金5000万円の返上を申し出たが、Jリーグは「地域貢献活動などに使うべきだ」と応じなかった。

試合後の表彰式での選手たちのふてくされぶりが、メディアにも大きく取り上げられ、批判が高まった。特に、そこで選手がガムをかんでいたことが不作法の象徴になった。

〈晴れがましい表彰式に、何たる態度〉という向きもあるかもしれない。しかし、それはプレーする選手の気持ちがわかっていないのだ。試合に負ければ、選手がふてくさるのは、自然な態度だろう。選手の心の中では、まだ試合の熱気が渦巻いて、決定的なチャンスを逃したことなど、悔やまれてならない思いでいっぱいなのだ。応援してくれたサポーターたちに顔向けできないという、〈穴があったら、入りたい〉心境でもあるのだ。観客たちは、選手が負けてふてくさっていれば、いたわりの対応をしてほしい。

だいたい、優勝決定戦が行われたあとすぐに、負けたチームを含めて表彰する方が(こく)なのだ。その選手たちは、試合に負けたのに、晴れがましい表彰式などに出る資格はないと思っているだろうし、表彰してもらう気持ちになれないはずだ。主催者が、負けたチームまで表彰してあげようとするのは、その選手たちにとって、ありがた迷惑なのだ。勝った相手チームの選手が燦然と輝く大きいトロフィをもらうのを見せ付けられるのは、耐え難いことだろう。準優勝でもらうトロフィなど、あからさまに小さい。表彰式には、優勝したチームだけ出せばよい。

くやしさバネに練習を重ね、次の試合に臨むのが、スポーツ選手だろう。負けても、表彰台でへらへら笑っている選手なら、それこそ失格である。特に、プロ選手は、生活がかかっているのだし、勝ち負けにこだわらなければいけない。一流選手ほど勝とうとする気迫があるから、負ければ、くやしい。そのくやしさが態度にあらわれるのは、ある程度しかたがない。試合に負けたのに、なんとも思わないような行儀のいい選手なら、それは、あらかじめ勝敗を決めていたような「いかさま試合」だろう。勝負に執着しないような選手は、試合に出なくていい。見ている方も応援のし甲斐がない。負けてもくやしがらず、さばさばしているのは、その選手の引退試合だけでいい。

ただし、ふてくされた選手たちを見て、主催者側が賞金として大金を用意したのに、選手たちが少しも喜ばなかったことで、メンツをつぶされたような不快さを感じたのは確かだろう。表彰では、選手は(つつし)んで(あるいは、作り笑いをして)受けるのがモラルなのだ。

 

それにしても、クラブの首脳部が準優勝の賞金5000万円を返上しようとしたのは、プロのチームらしくない。アマチュアのチームのような潔癖さである。選手たちの不作法に対する謝罪としては額が大きすぎる。クラブがJリーグ関係者やメディアに批判されたことに対する、過剰反応的な、非常に感情的な行為だと私は断定したい。選手たちに対する指導が不足しているなどという批判だ。クラブは選手たちに表彰台に立つ時の心がまえなど教えてこなかったらしいし、長いこと弱小チームだった川崎フロンターレはそれまで表彰台に立つ機会もなかったのだ。(笑)

5000万円の返上には、ふてくされた選手たちに対してだけでなく、批判の矛先がクラブの指導者側にも向けられたことへの怒りとあせりが感じられる。世の批判をかわすための、あるいはスポンサーの顔色を伺っての、やけっぱち的な方策だろう。〈選手の生活など、知ったことではない、チームの体面を(つくろ)う方が大事だ〉とするクラブの横暴ぶりがよく表れている。5000万円は選手たちのものでもあったのだ。

プロチームにとっての5000万円の価値をよく知っているチェアマン(Jリーグの元締め)は返納を断ったことからも、その行為が妥当でないこと(常軌を逸しているほど)がわかる。

 

 

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