混合診療の患者全額負担                                   岡森利幸   2010/7/30

                                                                  R1-2010/7/31

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞夕刊2010/4/28 社会面

東京医大八王子センターで、生体肝移植前に寄付金、2年間11人から計1200万円。混合診療のため?

「寄付金」という名目でありながら、実際は治療費の一部として医療機関が患者側に支払わせていたのだろう。医療機関は、生体肝移植という患者の生命に関わる医療を実施するに当たって、患者側に対して「寄付金を出さなければ、手術はしませんよ」という脅しをかけて、半ば強制的に寄付を募った様子がうかがえる。

生体肝移植するためには、混合診療が必要だが、そうすると保険の適用が効かなくなり、患者の全額負担になってしまい、そんな高額な医療費は支払えない恐れが出てしまう。混合診療を避けるために医療機関が負担する方策を採る(その具体的な方法は明らかにされていない)とすると、その分が医療機関の持ち出しになってしまう。医療機関としては赤字を出せないので、その分を寄付として患者側に負担してもらって帳尻を合わせていた。苦肉の策を弄することで、結果的に、患者と病院が互いに費用負担を少なくしていたわけだ。医療機関としてもそんな変則的な金集めをしたくはなかったはずだが、生体肝移植を実施するために、やむをえなかったのだ。

 

問題は、混合診療では保険が適用されず、健康保険から一円も出ないことだ。混合診療とは、保険が適用されない薬や治療法と、保険が適用される薬や治療法を併用しようとすると、本来保険が適用される分までも、保険適用外にされてしまうのだ。それでは患者の経済的な負担がずっと重くなる。

厚生労働省の言い分としては、混合診療は贅沢な治療法であり、公的には勧められないので、健康保険から費用を負担するわけにはいかない。保険が適用されない治療は、金がかかるものであって、そんな治療法の選択が、貧富の差で左右されては公平を欠く。それを含む「混合診療」についても同様で、それは特定の人(金持ち)のためのものであり、一般の人(貧乏な人)が受けるべき診療ではないから、万人のための健康保険の理念上、負担しない――という理屈をこねていると、私は受け取っている。

「公平を欠く」うんぬんというより、健康保険の負担をできるだけ少なくしたいのが、厚生労働省の本音だろう。あるいは、混合診療では保険の支払い計算がややこしくなる、というような口実があるのだろう。厚生労働省には、健康保険が火の車だから、混合診療まで健康保険から負担するとなると、健康保険のやりくりがますます苦しくなるという台所事情がある。つまり〈貧乏人は混合治療を選んではいけない、保険適用治療だけにしろ〉というのが厚生労働省の言い分(貧乏人は麦を食えというのと同じ発想)だ。これでは、だれでもが公平な医療を受けられるようにするという精神とは真逆(まぎゃく)の、混合診療を受けられるのは金持ちだけの特権ということになってしまう。

患者がとくに贅沢な治療法を求めるわけでもなく、最先端の医療を受けようとすると、まだ一般化していない特殊な治療法や薬を用いたり、それが保健適用の手続き中のものだったりするから、最先端の医療では混合診療になってしまう可能性が高くなるのだ。

保険適用されない薬などが使われるのなら、その分は患者が支払うのは仕方がない。けれど、保険適用されない薬が併用されたからといって、本来保険適用されるべき薬や診療の分も全額、患者負担になってしまうのは、どう考えてもおかしい。混合治療にそんな制限を加えているから、金の問題が生じ、患者にとって最善の治療法を選ぶことができない、あるいは、ためらわれているのが現状だろう。最先端の医療が混合診療になるために実施がためらわれ、その実績が増えないから、一般化せず、保健適用の認可も遅れるという悪循環に陥るのだ。世界ではあたりまえになっている治療法でも、それが保健適用までに時間がかかっていることの大きな一因だろう。

 

 

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