キレない哲学のすすめ                                      岡森利幸   2009/9/16

                                                                    R1-2009/9/17

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2009/9/11 学生面

『キレない哲学』早稲田大大学院・吉崎洋夫さん

私には「怒ったら負けだ」という人生哲学がある。高校を卒業する前からそんな哲学をいつの間にか持っていた。

たいした理由ではないが、感情的に怒っている人間を見ると、格好悪いと思う。私の中では「感情を持って怒る」=「オレの限界はここだよ」と自分の限界をさらけ出しているようで、嫌なのだ。

(中略)

25歳にしては少しおじさんかもしれない。だけど、怒らずに受け止める。そっちの方が限界を見せないし、次につながるし、良くないですか?

吉崎洋夫さんはいいことを言っている。(中略)の中にも、おもしろい逸話が語られているので、関心をもつ人は、当日の新聞を参照してほしい。

〈感情的に怒っている人間を見ると、格好悪い〉という感覚は、なかなかのものだ。怒るということは、時には醜態をさらすも同然だ。「怒り狂う」という表現もある。

なぜ怒るかの要因や怒りの対象者について列挙すると、

@ふがいない失敗をした、あるいは信頼を裏切ってくれたパートナー・仲間・部下に対して

A一族(あるいはチーム)の恥を晒した、あるいは不名誉な親族(チームの一員)に対して

B自分の自尊心を傷つけてくれた人に対して(差別的な扱いをしてくれる人や、愚弄する態度を示すひとを含む)

C不満を募らせるとき、その抑圧する上位者に対して

D自分の思うように行動しない下位者に対して

E物的損害を与えてくれた加害者に対して(特に、愛情を注いでいた物が壊された時。ただし、それは他人から見ると、たいした物ではなかったりする)

F自分の正義感に照らし、悪人とみなせる人や団体に対して

G不当な(アンフェアな)方法で利益や地位を獲得するものに対して

H敵意をもって自分を攻撃・非難してくるものに対して

I自分を不利な立場に落とし込もうとするものに対して

 

怒る要因は数々ある。いちいち怒っていたら、キリがない……。

怒りは、奮起を促したり、失敗を教訓とするための警告として、あるいは自分を高めるための刺激として有用な一面もあるのだが、いろんな問題も引き起こしてしまうから、やっかいだ。多くの暴力(暴言を含む)は、怒りから引き起こされるのだ。ヒトは怒ると、攻撃的になるから、はた迷惑なものだ。ただし、怒る人は、自分はむしろ被害者だと思っているし、怒らせるようなことをした「あいつが悪いのだ」と考えている。彼らは、攻撃は最大の防御だとも思っているのだろう。

社会的ランクや力関係で、自分より下位にいるものに対して怒るとき、その言動が暴力的になりがちだ。いじめやハラスメントになってしまう。たとえ元々は自分が被害者であっても、いつの間にか、自分が加害者としてふるまっているのだ。正義感にしても、あなたの正義感など、自分が思っているほど正しくはないのだ。私自身のことを棚に上げての話だが……。

吉崎洋夫さんは、「自分の限界」について語っている。これは何を意味するかというと、自分の心の奥に潜む怒りの感情を抑えるための「自分のこころの強さ」のことを言っているのだろう。自分のこころは、感情を抑えられるだけの理性を持っているかどうかということだ。不当な感情を抑えられないようでは、もう自分の限界が見えてしまうのだ。

人の脳の前頭葉で、そんな「こころ」を統括しているとされる。アルコールが入ったり、認知能力が衰えたりすると、感情を抑制する機能も低下してしまう。怒りっぽくなったら、それはあなたの前頭葉の機能が低下しているせいだろう。

 

 

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