家庭内暴力の深層 岡森利幸 2012/1/9
R1-2012/1/10
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞朝刊2011/12/20 くらしナビ面・DV防止法10年[1] 志村まさ代さん(37歳)、12年前に一緒に暮らし始めた直後、夫は「パーマや友人との会話は禁止」などと命じた。まさ代さんが友人の結婚式に行こうとすると、「俺の飯はどうなる」「つまらないやつと付き合うな」と怒鳴った。自分の思い通りにならないと、まさ代さんの髪をつかんで部屋中を引きずり回し、真冬の深夜、暖房のない納屋に「反省するまで出るな」と押し込めた。 山口みのりさん(47歳、仮名)、24歳で大学の同級生だった夫と結婚した。みのりは教師だったが、家業を継ぐ夫のため退職した。夫は食事が気に入らないと、「なんでこんなものを作るんだ」と何時間も責め立てる。「でも……」と一言でも口答えすれば、「うるさい!」と怒鳴ってテーブルをたたく。2週間以上、一切口をきかず、みのりさんが読んでいる本や友人らを罵倒し、「おまえはおかしい」「バカだ」と日々繰り返す。みのりさんは「何を、どのタイミングで切り出すか、よく考えてから夫に話さないとすぐに攻撃された。とにかく怖かった」という。地元のDV相談センターを訪ねたが、「身体的暴力がないと対応できない」と言われた。 |
毎日新聞朝刊2011/12/20 くらしナビ面・DV防止法10年[2] 吉田遙さん(30代、仮名)、高校時代、男子生徒と「ラブラブのカップル」だった。でも本当はとても嫌なことを我慢していた。会うたびにセックスを迫られた。避妊もいい加減だった。20代でその男性と結婚したが、「お前は最低の人間」など言葉の暴力が激しくなり、ついに離婚。「互いに束縛することが愛だと信じていた。人生の大事な時期を無駄にした」と遥さんは悔やむ。 交際中のカップルの間に起きる暴力は「デートDV」と呼ばれる。その特徴は、相手を束縛して、支配すること。被害を受けた女性の多くが「別れたいと思ったが、別れられなかった。相手の反応が怖かった」などと答えている。 |
毎日新聞朝刊2011/12/20 くらしナビ面・DV防止法10年[3] 笑顔がさわやかな長身の川野洋二さん(30代後半、仮名)、「今にして思えば、妻を力でコントロールすることが自分にとって一番楽だったんでしょうね」と話し始めた。30歳の時、7歳年下の妻と結婚。3年前に長男が生まれたが、当時は仕事が忙しく、帰宅するのは毎日深夜。育児も家事も手伝うことはなかった。ストレスから家にいると意味もなくイライラし、ドアを思い切りたたいたり、雑誌や新聞を壁に投げつけたりした。妻から話しかけられるとわずらわしく、「うるさい」「イエスかノーで答えろ」と怒鳴った。妻の言葉は無視するか、ことごとく遮るだけだった。一昨年2月、家族旅行に行った。直前、子どもが誤って炊飯器の湯気でやけどをした。川野さんは「なんで子どもをちゃんと見られないんだ!」と妻を怒鳴り、激しく責めた。宿泊先の宿でも、「(やけどの)包帯の巻き方が違うだろ!」などと怒って、妻の手の甲を思い切りたたいた。その後、妻は子どもを連れ実家に帰ってしまった。 同い年の妻と24歳で結婚した林義雄さん(62歳、仮名)の口癖は、「誰が食べさせてやってるんだ」「なんで俺の言うことがきけないんだ」「嫌なら出ていけ」の三つの言葉だった。2年前に退職し、一日中家にいるようになると、DVはエスカレート。風呂が沸いていなかったり熱すぎたりすると「なにやってんだ!」と妻を罵倒し、日常のささいなこと一つ一つに声を荒らげた。一年前に、妻が家を出てしまった。 |
毎日新聞は先月、DV(ドメスティック・バイオレンス、家庭内暴力や交際時の暴力を含む)を特集して連載していた。詳細な例や対応の方法など、参考になる内容も多くて、その取材や報道の姿勢に私は好感を持った。中で書かれていることは、すさまじい例がほとんどだが、身につまされるような、身近な例もあるかもしれない。多くの例がある中で、精神的なDVに関しては、世の中に理解されず、関心が薄すぎると、記者は指摘している。
男は会社などでまじめに働きすぎると、家庭に戻ったとき、気がゆるんでしまう。私もそうだった。(ただし、私がまじめに仕事をしていたかどうかは怪しい。) 川野さんのように〈妻から話しかけられるとわずらわしい〉という感覚は、私も持った。気がゆるんでしまうと、自分にとって安易な、一番楽な方法をとることになる。面倒なことは、すべて人任せにしてしまうのだ。自分は、怒鳴って家内に指図していればいい。素直に従わないなら、おどしつける……。妻にやり込められそうになれば、「うるさい!」
そして、妻や格下のものを罵倒することは、案外、男にとって気分がいいことなのだ。相手をバカにすることは、自分が賢いことを、あるいは格上であることを「確認する作業」でもある。罵倒する相手がいなくなってしまっては、さびしいことだろう。
酒を飲むと暴れる父親の例は多い。私の父は酒の飲めない体質だったようで、そんな苦難を身近には感じたことはないが、酒を飲むと、気がゆるむ例が多いことはよく知られている。そんな人の心の中では、理性によって制約されていたものがアルコールによって解き放たれてしまう。つまり、心の奥底に潜んでいた感性の部分、喜怒哀楽の感情が表に表れてくる。威張るのも、男の本性から来るものかもしれない。家で酒を飲むと、家に戻ることによって気がゆるむのと、アルコールとの相乗効果で、世の中の父はよく暴れるのだ。
社会では一兵卒として働くだけの男であっても、家庭内では男はボスとして統率力(リーダーシップ)を持たなければならない。それは人類の、あるいはそれ以前のサルのような祖先から引き継がれた伝統であり、遺伝された気質である、と私は考える。例えば、相手が浮気心を起こそうものなら、ビシバシやってきた(自分のことは棚に上げて……)。 サルの中でも、DV的な傾向のある群れも観察されている。つまり、DVによって家庭を統率・統制してきた歴史がある。男は、多かれ少なかれ、ボスザル意識を持っているのだ。時と場合によって、それが頭をもたげる。しかし、現代社会では、そのDVによって家庭を崩壊させるのだから、皮肉なものだ。
社会的な生活の中で、本性を表すのは、だいたいよくないのだ。
地域住民に気兼ねするF15戦闘機