韓国併合はなかった?                                   岡森利幸   2010/8/27

                                                                  R1-2020/8/29

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2010/8/22 総合面

日韓併合条約、きょう100年。条約について、韓国側は違法、日本は合法との公式見解で歴史認識の違いがある。北朝鮮は、なんら効力がない文書としている。

韓国・北朝鮮側は、そもそも日韓併合条約は成立していないのだから、韓国が日本と併合した事実もなかった、と主張しているのだ。韓国・北朝鮮側では、日本に併合された歴史はなかったことにしたいわけだ。そんな「ささいなこと」が、日本側と韓国側での、歴史認識の違いの一つとして、こだわりのもとになっている。

併合という言葉自体がおかしいという議論もある。おかしな言い方だという主張だ。たしかに、合併とどう違うのだろう。それはともかく、併合は「二つのものを合わせる」ことであり、主従関係を意味しない。連合するという意味に近い。日韓併合を、言葉どおり「日本と韓国が併合した」と解釈すれば、対等の関係を意味する。しかし日韓併合」の歴史では、明らかに韓国が従属させられており、実情に合わないのだ。言いかえれば、併合というのは、主従の関係をまったく示さず、対等的な立場で、ある意味で「韓国側を尊重した言い方」になっている。

しかし、実情は、ご承知のとおり、日本が武力で押し進めた戦略でふり、朝鮮半島を日本領として支配したものだ。「日本が韓国を併合した」という言い方をすれば、主従の関係を意味することになり、実情に近い。

日韓併合条約は、つまり、韓国・北朝鮮側に、一方的に条件をのませて、日本の支配を正当化するための書類で、形だけの合意文書であったことは確かだ。少なくとも日本の敗戦の1945年までは、それなりに効力を持っていたというのが「歴史的事実」だろう。日韓併合は、韓国や北朝鮮にとって屈辱的な歴史だった。彼らの自尊心に深く刺さっているトゲのようなものだろう。その言葉には、侵略国家・日本のイメージがまとわりついているのだ。朝鮮半島の人々日韓併合条約を快く思ってはいない。認識よりも感情に大きな違いがある。日本政府がいまでも合法だ、などと言っているのは、彼らの神経を逆なでするのだ。さらに言えば、併合ではなく、「植民地化」などという言葉に置き換えようものなら、逆鱗に触れることになりそうだ。

 

100年前の今日ということは、条約調印が1910年8月22日に行われたことになる。条約の前に、既定事実を作るかのように、1905年(明治38)に伊藤博文が韓国統監として任に就いた。朝鮮半島の人たちにとって、伊藤博文は、武器をちらつかせながら半島に乗り込んできて、わがもの顔で半島の美品を収奪し、日本流の体制や文化を押しつけてきた、とんでもない悪代官だったから、1909年にハルビンで彼を暗殺した安重根は、英雄と称えられている。伊藤博文は、韓国で嫌われている歴代日本人のワースト2に入るのだ。ワースト1は、――戦国の世に天下人(てんかびと)として君臨し、国内だけでは飽き足らず、朝鮮半島に武力で踏み込み、荒らし回った日本軍の総大将、あの人だ。

 

 

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