人体標本展示についての識者談話を改変した記者          岡森利幸   2011/4/7

                                                                  R1-2011/4/8

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日読売新聞朝刊2011/1/28 社会面

産経新聞は1月19日朝刊で、厚生労働省が「人体の不思議展」の人体標本は遺体に当たるとの見解を示し、京都府警が違法性の有無を捜査する方針を固めた――との記事を掲載した。その記事中に、末永恵子・福島県立医大講師の談話として「人の死には尊厳があり、遺体を安易に利用することはできない。標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか。……開催自体が死者への冒涜ではないか」とのコメント内容を組み入れていたが、彼女は、記事の一部は発言したことのない内容だと抗議した。

大阪本社社会部の記者が、昨年11月に京都総局の記者が取材したメモや、末長講師の論文などを加味してその内容を執筆したという。その記者と上司は26日、電話で謝罪、末永講師は受け入れた。

人体の不思議展」が京都で開催されていたことを私は知らなかったが、昨年辺りヨーロッパで本物の人体標本をいくつか展示する催しが開かれていたことは、ニュースで伝え聞いていた。それはヨーロッパでも批判され、ちょっとした騒ぎになっていた。その展示会が日本にも巡ってきたのだろう。

本物の人体を標本にして「見世物」にすることに反対をとなえる人がいるのは、想像できることだ。遺体に対する考え方では、キリスト教文化圏より、祖霊信仰の強い日本で特に、遺体を含む死者の尊厳が重んじられているから、反発が強そうだ。仏教系の教義でも死者の霊を供養することにポイントが置かれているから、こんな扱いでは浮かばれないかもしれない。多くの人々は、遺体を丁重に葬ってやらなければ、霊が成仏できないと考えるのだろう。

日本では、こんな展示会はどうなのか、観客の入り具合が気になるところだ。遺体展示に反発する人は、そんな展示会には見に行かなければよいのだろうけど、その遺体処理の完成度の高さを見てやろうなどと口実にして、興味半分で見たいという人も多くいることだろう。

その問題の人体の出所については、主催者が言っているように、合法的に入手したものというのは確かだろう。何しろ、中国では政府公認の「健全な遺体」の入手ルートがあるというのが、もっぱらの噂だ。その数も多い。それらは政府の管理下にあるというわけだ。

 

遺体展示が冒涜かどうかはともかくとして、識者のコメントが新聞社内で勝手に改変されたことがもう一つの問題だ。

識者や著名人が記者の取材を受けた後に、「多くのことを語っても、実際に取り上げられるのはほんの一部だけ」、あるいは「自分の言いたかったことが掲載されていない」などという不満の声がときどき聞こえてくる。記者は単に見てきたことや聞いてきたことをそのまま記事にしているのでなく、記者が期待していた見解を識者から聞き出して記事にする傾向があるのだ。問題意識の強い優秀な記者ほど、その傾向が強いようだ。そのために識者を選んだりする。ときどき記者自身の見解を巧妙に記事にすり込ませていたりしているのだ。その気持ちは、私にも理解できる。取材した内容をそのまま書くのでは、読む側にとっても、おもしろくも何ともない、味気ない記事になってしまう。公共放送が伝えるニュースのように、つまらない。

マスメディアの記事は中立でなければならないから、記者の思いは、識者にそれを言わせることで間接的に表現するしかない。それでもさすがに、発言したとされる識者に断わりもなく、「発言したことのない内容」まで加えたのは珍しいケースだろう。

 

 

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