一人っ子政策の威圧的な標語                             岡森利幸   2012/3/12

                                                                  R1-2012/3/30

以下は、新聞記事の引用・要約。

The Japan Times 2012/2/29 asia-pacific/world

中国は、厳格な一人っ子政策を推し進めるために、脅迫的な標語を用いるのは止めるように地方行政官に命じていることを国営メディアの上海日報が伝えた。中国政府は、「もしも規則に従わないなら、おまえの家族は皆殺しだ」あるいは「われわれは、第二子を持たせるぐらいなら、おまえの子宮をえぐり取ってやる」というような標語を禁止したいとしている。

中国は、世界で最多の13億の人口をもつ国で、1979年に一人っ子政策を導入した。その緩和が求められているにもかかわらず、役人たちは、その政策がまだ必要であり、人口過多が国の発展をおびやかしていると主張している。国家人口家族計画委員会は、邪悪な標語によって公共に害を与えたり、あるいは社会的な緊張を高めたりしないように、地方行政府に節度ある施策を採るようにさせたいとしている。

強制的に不妊にさせる標語として、引用された一つは「もしも、管(精輸管あるいは卵管)を結束(パイプカット)しないのなら、家が壊されるだろう」。もう一つは「捕まえたら、パイプカットだ。逃げたら、追い詰める。自殺したいなら、我々はロープまたは毒薬を用意しよう!」。その報道では、どこでその標語が使われていたかは明らかにしていない。

地方によっては、すさまじく強圧的・脅迫的な標語が叫ばれているという。まだ、一人っ子政策が徹底されていない面があるのかもしれない。しかし、そんな標語では外国から人権侵害だと批判されそうだし、国内からも反発が出そうだから、政府は「少しは表現をおだやかに」と指導したわけだろう。その記事の末尾に、「その報道では、どこでその標語が使われていたかは明らかにしていない」とあるが、政府側に反逆的な民族が多く住む地方に対しては、一人っ子政策の大儀名分の下に、厳しく産児制限施策を適用していることが容易に想像できる。新疆ウイグル自治区、チベット自治区……。

日本でのかつての標語「生めよ、増やせよ」というのも何だけれど、「一人しか生むな、二人目はまかりならぬ」とお(かみ)が押し付けるのは、庶民にとって相当に厳しいものだろう。今まで、よく反発されなかったものである。政治的統制力の強い中国だから、そんなことが可能なんだろう。子どもを生む数さえ、国家管理の下に置いているわけだ。

中国では、1979年から一人っ子政策を導入してから30年以上たっているけれど、まだ人口増加を抑制する必要があるのだろう。ヒトには子どもを生み育てたいという自然な欲求があるから、それを国家的なレベルで抑えることは、世界的にも珍しい政策だろう。人口は国の繁栄を示す尺度でもあるから、その繁栄に逆行する政策でもある。ともあれ、確かに人口抑制のブレーキが利いているようで、先進国並み(?)の増加率になっている。それでも13億の人口を超えた。世界では、中国の人口を越える勢いでインドがさらに人口を増やしており、近い将来、中国を追い抜くといわれている。

インドに関して、チャーチルの『言ってはいけなかった』逸話がある――「ミャンマーは、第二次世界大戦前、インドに年100万トンのコメを輸出していたが、戦争で止まり、インド人300万人が餓死した。そのとき、(宗主国イギリスの当時の首相)チャーチルはコメ支援を拒んだ。「インド人はウサギのように繁殖するから飢えるんだ」(毎日新聞朝刊2011/12/15 国際面より)

 

原則的に一家で一人の子しか育てられないという制約は、社会的な問題(副作用?)をいくつか引き起こしているし、将来にも影を落としている。その一つが男女比率の不均衡であり、ある地方では、一人っ子政策化で成長した若者たちの嫁不足が深刻になり、国境を接する他国から若い女性を拉致してくる、という報道記事を読んだこともある。女の子の数が、男の子より不自然に少ないのだ。中国では一家の働き手として家計を支えるのは男の子とみなされているから、「一人しか育てられないのなら、男の子」という必要意識が強まり、女の子は胎児や乳幼児の段階で、こっそり「間引き」されるなどして、全体で男女の人口比率が明らかに偏る事態となっている。政策を推し進めた政府としても、これは想定外の事態のはずだ。中国全土の各家庭で、最初に生まれてくる子が女の子と分かったとき、親としてつらい決断を迫られているのだ。「間引き」することを親の責任だけにはできないだろう。それでも、強硬な政府に対して庶民は文句も言えないわけだ。国家体制の下では、おとなしくそれに従っているほかない。産児制限にやかましい地方政府に逆らって二人目を生んだりしたら、どんな嫌がらせを受けるか、わかったものではないのだろう。中央政府がいさめるほどの、強烈な標語がそれをよく示している。

「オレの家だって、一人っ子だ。二人も生みやがって、テメーたち、非国民か。さっさとパイプカットを済ますんだ。ホレホレッ、パンツを下げろ!」――産院で、鬼のような顔の小役人たちに囲まれ、小突き回され、どやされる夫婦の姿が想像される。

締め付けの厳しい政府への抗議として、このところ、チベットで流行っている焼身自殺(最近の1年で26人)の要因の一つになっているのが一人っ子政策だろう、と私はみる。政府にたてつくような民族に対しては厳重にそれを適用するのだ。

 

 

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