鳩山由紀夫前首相の理想と現実                            岡森利幸   2010/6/10

                                                                  R2-2010/8/22

以下は、新聞記事の引用・要約。〈 〉内は私の注釈。

読売新聞朝刊2010/6/3 社会面

軽すぎた「最低でも県外」発言。

退陣「怒り増した」、混乱のツケ「不安」、沖縄県民「翻弄された」

甘えと幻想。公約の自縛、財政悪化。市場は「評価点なし」。迷走9カ月。

足りなかった資質、責任感。「政治とカネ」が政権につきまとう。

読売新聞朝刊2010/6/3 一面、総合面[検証 鳩山辞任劇]

6月1日夕、小沢らとの2度目の会談を終えた後、「続投か」と質問する記者団に、鳩山氏が左手の親指を立てて見せたことが思いもよらぬ波紋を広げた。党内で、「あの親指は何だ」、「参院の危機的状況がわかっていない」と反発を呼び、一気に鳩山不利に傾いた。

その後、午後10時に小沢氏が鳩山由紀夫首相に電話した。「参院が止れば、法案が1本も通らなくなる。政権運営なんて、できないんだよ」と説明した〈辞めろと恫喝した〉。

6月2日鳩山由紀夫首相が目に涙を浮かべながら退陣表明した次の日、6月3日の読売新聞朝刊の見出しには、彼をこきおろす論評でいっぱいだった。

悪評高かった自民党政権から変革を期待されて登場した鳩山由紀夫政権の「期待はずれ」は、国民の多くを失望させ、怒りを引き起こした。政権発足当時のあの高い支持率は何だったのか。(ほとんど根拠のない、まぼろしのような期待だったことになる。淡い期待をいだかせる方が悪い?)

「政治とカネ」については、小沢事務所が、談合まがいのことをして公共工事の受注を取り仕切ってゼネコンやその下請企業から「実利」を見返りに金を集めていたのとは違い、鳩山氏の場合、不正な政治資金の出所が実母だったわけで、私はクリーンな金であると思っている。高額な贈与税を国に払いたくないという、資産家特有の「悩み」だろう。小沢氏の場合は、出所とその目的が汚すぎる。業者たちは便宜を図ってもらうことでせっせと献金していたのだ。その貢献度によって実利が期待できた。なにしろ、小沢事務所に献金しないと、東北地方の公共事業の受注はおぼつかないというのが業界の常識だったのだ。

さて、見方を変えて、鳩山氏は国民にその言葉でわかりやすく発信していた、と私は思っている。鳩山由紀夫氏がスローガンとした「友愛」、「コンクリートから人へ」などは、私は〈なかなかのキャッチフレーズだ〉と好感を持ったほどだ。

@コンクリートから人へ

これは、土木・建設業界と深いつながりがある小沢氏を意識した言葉だろうか。

コンクリートとは、デタラメな需要予測に基づいて日本各地で競うようにつくってきた空港、新幹線、高速道路、橋脚、ダム……。そんな公共事業が政府の財力を低下させ、財政を逼迫(ひっぱく)させた一番の元凶だろう。地域住民はそれらができたからといって、便利になったと喜んでばかりはいられない。それらを利用するには、人びとは高い料金を支払わなくてはならず、コスト高の生活が強いられる。

人びとの暮らしは、そんな見せ掛けだけの繁栄の影で、ちっとも豊かにならず、社会保障もないような労働条件で低賃金にあえぐ人々がどんどん増えてきた。さらに、近い将来、財政のツケが人びとの前に増税となって立ちはだかる……。誰からでもまんべんなく取り立てることのできる消費税率のアップだ。国の借金を国民全員が払う構図となるのは目に見えている。結局はコンクリートのために、人びとの生活レベルが落ちていき、政府の財政は破綻の危険度を増してきた。

鳩山氏が辞任したあと、国土交通相は公共事業費を削らないと言い出しているから、またコンクリートに戻りそうだ。

A排出量25%減

2009年9月、ニューヨークで開かれた国連気候変動サミットで、鳩山首相は、日本が2020年までに温室効果ガス(温暖化ガス)の排出量を1990年比で25%削減することを表明した。温室効果ガス、主に二酸化炭素の排出量の削減目標値を世界に向けて高らかに(気持ちよく)ぶち上げたのだ。日本政府として地球の温暖化防止に積極的に取り込む姿勢を示したことは評価できる。

それに対し、中国は「よくいうよ。達成できもしないような、現実離れした数値だ」などと、いやみなコメントをつけていた。

それが大言壮語であっても、地球が危機的状況にあるのだから、目標を高く掲げることは、よしとしたい。ただし、政治家が義務や公約・約束事として公言した場合、達成できなかった時に何をいわれるかわからない危うさ(リスク)があるのは、もちろんだ。2020年はほとんど10年後のことだから、不確定要素はあるだろうが、プラス思考で達成に向けて努力すれば、道は開けるはずだ。

私は、例えば、やって努力して結果的に「できなかった」という部下には寛容でありたいし、その逆に、やってみようともせず机上の検討だけで「できません」というような部下にはきびしく指導したい。できないと最初から思い込んでダメ出ししたり、傍観した末、できなかった部下に対し「それ見ろ。オレが言ったとおりだろう」などと勝ち誇ったような言い方をしたりする人物は指導者として最低だろう。

ただし、一般的には、将来の展望や見込みがなければ「できない」と、しりごみするタイプが多いのだ。それでは進歩もないし、新たな発見もない。何もしなければ展望も開けない。そんな中で「できる」と言う人物は貴重かもしれない。できる見通しが「今は」ないけれど、やってみるという心意気を買いたい。未知の領域に踏み込むとき、チャレンジ精神、あるいは、ある種の「バカの精神」が旺盛でないと「できます」とは言い出しにくいものだ。

自ら低い数値を出して「わが国は達成した」では、少しも自慢にならないし、怠慢なだけで、他国についてとやかく言う資格はない。

「バカの精神」と言えば、今年2010年4月13日に閉幕した核安全サミットに出席した36人の各国首脳について、米ワシントン・ポスト紙が「このショーで最大の敗北者は、hapless and increasingly loopy(不幸で、ますますいかれた〈バカとも訳される〉)鳩山氏だ」と酷評したことが記憶に新しい。鳩山氏は、オバマ政権の高官たちに、信頼が置けない印象を持たれたらしい。英語は堪能のはずだったが……。

B最低でも県外

「最低でも県外」とは、沖縄・普天間の米軍基地を移設する場所のことだ。海外、あるいは沖縄県外に移設することが鳩山氏の理想論だった。

住宅地域のまっただ中にある基地移設の計画が持ち上がってから、それまで自民党政権下でも、もめにもめて、前政権が地元住民・首長(特に沖縄県知事)の拒絶や反対をなだめすかして、キャンプ・シュワブの沖合いを埋め立ててX字型滑走路を作る計画をやっとまとめた経緯がある。一度固まった計画をまたひっくり返すとなると、また逆の摩擦が生じることは、群馬県八ッ場ダム計画中止の例をみれば明らかだ。建設に反対していた地元住民までも、今では推進派に回っている。ただし、摩擦が生じようとも、既定概念にとらわれず計画の見直す勇気は常に必要だろう。

普天間基地がここまでずるずると遅れに遅れてきたのは、移転先の住民や首長に対する政府の対応のまずさだろう。遅れることによって、地元はさらに被害者意識を強めた。そして沖縄県民は、普天間基地をそのままにして置きたいのだろうか、と勘ぐられるほど、政府のやることにゴネてきた。ゴネねれば、ゴネるほど見返りが大きいことも確かだ。沖縄県民が最も強く叫ぶべきは「どこでもいいから、普天間基地を早く何とかしろ」だろう。

それで政府は、地域振興策として金をバラまくことしか考えず、これまでそうしてきたから、地元には見返りの地域振興策を期待させてしまっている。もはや政府には、地域振興策しか有効な手立てがないから、地元をなだめるには時間と金がかかっている。地元の感情を逆なでするようなこと(あるいはヘソを曲げられるようなこと)をしては、いくら金があっても足らなくなるのだ。

民主党政権に具体的な有力地が最初からあったとは思えない。岡田外相を始めとして閣僚の間でも、「思いつき」の候補地をそれぞれ言い出していた。鳩山氏は、辺野古の沖合、サンゴ礁の海を埋め立てるのは「冒涜だ」と表現したこともある。そのキャンプ・シュワブを移転先にするのを反対してきた、連立を組む社民党の強い要請もあって、鳩山内閣は見直しを進めた。「最低でも県外」と口に出したことが、あとあとまで重荷になる……。

鳩山氏の腹案は徳之島だった。徳之島では、地元を説得する方法のまずさが露呈した。徳之島を候補地として内密に検討していることが、地元に早々にばれて、「地元に相談もしないで、アメリカ軍基地を押し付けようとしている」ことで、完全にヘソを曲げられてしまった。その前に平野官房長官が徳之島の3人の町長と会う機会がありながら、そのことにすこしも触れず、すっとぼけていたことが、「信頼を欠く人間とは二度と合わない」と、その町長の一人に言わしめた。平野氏が早めに「根回し」していれば、全島民を上げての強硬な反対集会を開くようなことにならなかったとされる。平野氏には、他にも幾つかの場面で、官房長官としてのしくじりが目立った。官房長官は彼にとって大役すぎたようだ。彼だけでなく、政治主導で押し進めた民主党の、経験の浅い政治家たちが、これまで基地問題で地元をなだめ、手なずけてきた経験を豊富にもっている防衛省の高官などの、官僚側の意見を聞こうともしなかったことが、しくじりの一因だろう。

移設先の住民の反対、アメリカとの協議、「抑止力」としての防衛体制の維持(アメリカ軍が日本にいてもらわないと安心できないという変な特殊事情)、社民党への選挙協力の期待などを考慮しながら(ほとんど板ばさみ状態)、自ら定めた期限がせまる中で、むずかしい選択が迫られた。結局、辺野古の海の埋め立て案に戻った形になった。現実のあまりの複雑さの前に、鳩山氏の理想は挫折した。それでもなお「県外」にこだわった福島瑞穂氏も、高すぎた理想に挫折した一人だろう。あるいは民主党に失望した?

これで社民党との間に大きな亀裂が入った。辺野古案に決着を付ける閣議書にサインしない福島瑞穂氏を閣僚から罷免して普天間問題に決着をつけた。しかし、罷免によって社民党が連立を離脱した。これで今夏の参院選で社民党の選挙協力が得られなくなったのは、小沢氏にとって誤算だったようだ。

そして鳩山氏自身は、懸案の普天間問題に一つの解を得たとし、次に他の問題にも取り組む姿勢でいたようだ。その意欲の表れが、「親指を立てたポーズ」だろう。しかし、そんな迷走ぶりを見ていた世論が許さなかった。内閣の支持率をますます下げた。これでは、次期参議院選での多数派工作に執心する小沢氏もあきらめざるを得なかった。小沢氏は鳩山氏を首相の座からひきずり下ろすためにも、幹事長の座をしぶしぶ明け渡した。あるいは、金権政治を展開する上で惜しいポスト(党の金を意のままに差配できる)ではあったけれど、次期参議院選の敗北を予測し、その責任を取りたくないから、さっさと下りてしまったとも考えられる。

結局、鳩山氏の「最低でも県外」は、全くのうそになってしまった。ただし、その言葉に誠実であろうとしたなら、普天間移設はさらにドロ沼化したことだろう。彼の理想論や方向性が本質的に間違っていたとは思えない。言葉は不実であっても、対応は誠実だったと私は考える。ただ、鳩山氏の後ろには常に小沢氏が影を落としていた。鳩山氏の不幸の一つは、トラの威を借るキツネの役を演じてしまったことだ。「トラの威」を借ろうとしたが、うまく行かなかった。

鳩山首相が辞任を発表した時、涙ぐんだ。こころざし半ばで挫折したことの涙だろう。

 

 

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