原子炉から立ち上った黒い煙 岡森利幸 2011/3/24
R3-2011/6/26
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞夕刊2011/3/15 一面 経済産業省原子力安全・保安院は15日、東日本大震災(3月11日午後2時に発生)で被災した福島第1原発2号機で午前6時ごろ、水蒸気を水に変える原子炉格納容器につながる圧力抑制プール付近で爆発音があり、破損した恐れがあると発表した。 同原発1,3号機の水素爆発による原子炉建屋の上部外壁の破壊と異なり、格納容器自体が損傷した可能性があり、国内の原発事故としては最悪のケースとなった。 また東京電力は4号機で大きな音がし、原子炉建屋5階の屋根付近に損傷を確認したと発表した。また9時ごろにはその建屋の4偕付近で出火を確認。 |
毎日新聞朝刊2011/3/17 一面・総合 東京電力福島第1原発3号機から大規模な白煙が上っている問題について東電は16日、3号機の使用済み核燃料プールの水が沸騰し、放射性物質を含んだ水蒸気が立ち上がっている可能性が強いことを明らかにした。 東電は16日、新たな送電線を結んで東北電力の送電設備から福島第1原発に外部から電力を供給する方針を固めた。 |
毎日新聞朝刊2011/3/24 一面・総合 23日午後4時20分ごろ、東京電力福島第1原発3号機の原子炉建屋東側から黒煙が上った。東電は1〜4号機で電源復旧にあたっている全作業員11人を避難させた。3号機では同日夕に原子炉に外部電源で真水を注入する予定だった。 冷却水が失われ燃料棒が損傷したとみられる1〜4号機では、原子炉や使用済み核燃料プールに海水が断続的に注入されている。 横浜市消防局も同日午後4時半から、東京消防庁の屈折放水塔車を使って3号機に向け放水する方針だったが、3号機から黒煙が出たため中止した。 一方、東電は、同原発敷地正門で11日以降、中性子線が13回検出されていたと発表した。中性子線はウランやプルトニウムが核分裂する際に発生し、他の放射線に比べ透過力が強い。核燃料の一部が損傷している可能性が高まった。東電はこれまで検出回数を2回と発表していたが、計測器の数値の読み取りを誤ったのが理由と説明した。 |
1.伝えられない状況の深刻さ
黒い煙が上ったのに、放水作業を取り止めたのは、皮肉なものだ。普通は、黒い煙が上ったら放水を始めるものだろう。もちろん、この黒い煙がただものではないと推測されたからだ。3号機といえば、特別強い放射線を出すプルトニウムを含ませたMOX燃料を使用している。黒い煙は、かなり健康に影響するような放射線を出しているものと思われたのだ。
マスメディアは地震が発生した3月11日の時点で、「福島第一原発、原子炉4基、制御不能!」と報道しなければならなかった。多くの人が「これは大事だ」という認識に至ったのは、大地震の次の日に、早くも1号機の原子炉建屋で大爆発が起きて、建屋の上部が吹き飛んでからだろう。その残骸の映像を見て、私はこれまで、原子炉建屋は放射線をいっさい漏らさず、外部からの攻撃にも耐え得るような頑強なコンクリート(厚さ1〜2メートル)で覆われているという印象をもっていたが、何と脆弱な建築物だろうと愕然とした。そのコンクリート造りの建屋は、放射線を封じ込める役目も持っていたのに、これではどうしようもない。それなりの強度があったはずだが、上部が吹き飛ぶほど爆発の威力がすさまじいものだったわけだ。
その映像を見て私は、原子力のことは専門外であっても、過去にある原発で水素が配管にたまり、それが爆発し、配管が破断したという「事象」を聞いていたことなどから、すぐさま原因として水素爆発を思い起こした。原子炉が制御不能になれば、当然、水素爆発が起きる可能性が非常に高くなるのだ。しかし、それが水素爆発と報道されるようになったのは、その後しばらくたってからのことだった。制御不能になれば、水素爆発が起こりえることは、原子力の専門家ならば容易に予測できることだろう。中でも東電自身が、一番予測していなければならなかった。予測もできていなかった、あるいは想定していなかったなどと言い訳するなら、罵倒されても仕方がない。
そのとき、1号機の大爆発を伝えたニュースで記者会見に登場した、政府の責任ある人物が「何らかの爆発的事象が起きた可能性が否定できない」などという、まったく歯切れの悪い、あいまいな説明に終始していた。そんなことは映像を一目見れば、建屋が吹っ飛ぶような「大爆発」であったことがわかるのだから、水素爆発の可能性を示唆してもよかったところだ。内閣府には「原子力安全委員会」という原子力の学識を極めた専門家集団が付いていながら、はっきりと見解を述べない態度にはあきれてしまった。あるいは国民には知られたくない何かを隠そうとするかのようにもみえ、いらだたしくさえなったものだ。ただし、事の重大さだけは伝わってきた。
放射線が検出された時にも、「ただちに健康に影響するレベルではない」というセリフは聞き飽きた。真実を語ることを避けているように聞える。それは、彼らにとって何らかの不都合があるのだろう。それを言い換えれば「長期的には健康を害する放射線レベルが検出されている」ことなのだが、「健康に影響する」という肯定的な言い方は、口が裂けても言いたくないらしい。国民を不安に陥れないにようにするための配慮かもしれないが、そんな配慮が対応の遅れを招くのだ。そんなことより人々が知りたいと思う情報は、放射線量が高まりつつあるのかどうかという傾向や見通しだろう。健康に影響するレベルに近付いているのかどうかだ。見通しとなると、関係者は「わからない」と言うばかりで、はっきりと言わない。
2.説明できない関係者
緊急炉心冷却装置も作動せず、原子炉が完全に制御不能になったのに、手をこまねいて、あるいは、おろおろして何の有効な手立ても打てなかった東電を始めとする関係者たちの、無為無策の責任は重い。深刻な事態になるまで、彼らは何もしなかったように見える。何もしなかったことが事態をさらに悪化させたのだ。強い放射線を外部に出すようになると、その原子炉にはだれも近づけなり、手の施しようがなくなるのだ。
東電の記者会見では、参加した記者たちが大いにいらだったことだろう、東電は記者たちが知りたい情報を何一つ示せないのだから……。東電は実務作業を、下請け業者たちである「協力会社」に丸投げしているから、東電自身がよくわかっていないのだし、情報の伝わり方が遅いのだろう。知っていたとしても東電の隠ぺい体質は、筋金入りだから(皮肉を込めて)、自分らに都合の悪いことは決して口に出さないのだ。24日に報道された、中性子線が13回検出されたという発表に関しても、もっと多く検出されていたのではないかと疑ってみたくなる。
おたおたしている東電に代って、それを指導監督する立場の、国の原子力安全・保安院の人が物知り顔でしゃしゃり出て説明しようとしたのはいいけれど、ぜんぜん説明になっていなかったし、記者たちからの質問にもまともに答えられず、さっぱり要領を得ない状態だった。それが強い批判を浴びたらしく、その後、内情に詳しそうな別の人に代ってからは、まともな情報が語られるようになった。……彼らの目的は、不都合な情報が漏れないように情報統制するためだろう。あやしい放射性物質が原子炉付近からどんどん漏れ出しているというのに、「情報」だけは外部に漏れ出ないように執心しているようだった。
この原子炉のメーカーと称されているのが東芝であり、東芝が実際に製造に関わったのかもしれないが、もともと40年前にアメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)が設計したものだ。このタイプの原子炉についてよく知っている人は東芝にも日本にも一人もいなかったと思われる。急きょ、GEが応援の技術者たちを日本に派遣するという。それでは、何かが起きた時のための態勢がすぐには整わないわけで、判断が遅れたのも無理はないということのようだ。
この原子炉は、経済効率が優先され、稼動後30年のとき廃炉になるチャンスを失い(新たに原発を設置するのが困難だから、古い原発を長く使おうという苦肉の策でもある)、40年も稼動し続け、老朽化していた「おんぼろ原子炉」だった。それに、原子炉の基本設計が古いということが前から指摘されていた。原子炉格納容器の構造的な強度が低いことも、その古さの一つとして上げられている。格納容器の圧力が一定以上に高まれば、その破損を避けるために、なりふりかまわず、その気体(主に水蒸気)をもろに大気中に(フィルターを通さずに)排出する仕組み(ベント)を持っている。そのための専用の排気管が原子炉建屋の脇に立てられている。それは20〜30メートルの高さがあり、煙突のようにそびえ立っている。原子炉システムには炉内から排出する気体が含む放射性微粒子を取り除く装置があって、それを通す経路も備えているのだが、その装置は電気なしには働かないのだ。
今回の制御不能の事故では、圧力容器内の圧力が徐々に高まり、震災のあったその日の内に早くも危険な状態になり、1号機では翌日(3月12日)の午前11時30分ごろ、手作業でベントを開始した。ベントする機能だけはしっかり作動し、圧力容器内の高圧ガスを「排気管」から直接大気中に吐き出した。
いくらぼんくらな政府関係者でも、ベントすればどうなるかはわかっていて、ベントに先立ち、その日のうちに福島第1原発から半径10キロメートル圏内の住民(約5万1000人)には退避指示を出した。おそらく、そのとき住民たちには、ベントするためという事実は知らされなかった。「勧告」ではなく「指示」だったことに事の重大さが伺われる。緊急に退避指示が出されて、彼らを含め、国民の多くが「福島第1原発が相当危険な状態になっている」という認識だけは持ったことだろう。
そのベント作業のタイミングも遅すぎたとされている。最初に原子炉建屋内で水素爆発が起きたのは、その数時間後の午後3時36分だった。高温高圧の状態になった圧力容器を覆う格納容器のどこからか水素が漏れ出て、それが建屋内にたまったものだから、空気中の酸素と反応して爆発したものだろう。水素爆発とともに、建屋内の放射性の微粒子が一気に飛び散ったことになる。
あのMOX燃料を使用していた3号機でもベントした。原子炉の自己保全のために、あとは野となれ山となれ、ということか。パンドラの壺を開けたかのごとく、原子炉内で生成された各種の放射性の微粒子が高圧水蒸気とともに排出される。つまり地球の大気を汚染することなのだ。もっとも毒性の強いプルトニウム由来の中性子線もバンバン出されたことだろう。大量の放射性微粒子は、大気中に「花粉」のように漂い、風に乗ってどこまでも……。そのうち地上に舞い降りてくることだろう。そのときの風向きや風速によって、どの地域がどのくらい汚染されるかは容易に計算できるものだ。そのとき陸側から海への西風が吹けばいいというのは、人間の勝手な思いかもしれない。現実はきびしい――南東からの風が吹いて、原発から北西方面に微粒子が多く運ばれた。そして雨が降ると、雨滴が微粒子を吸い付けて降ってくるから、空気中はだいぶきれいになる。ただし、地表や水面にはその微粒子が集積することになる。
3.冷却されない燃料棒
冷却機能が失われると、原子炉が空だき状態になり、燃料棒が損傷するとともに、原子炉内部の圧力が高まって格納容器が危険な状態になる。燃料棒は常に水の中に浸して冷却しておかなければ、すぐに温度が高まり燃料棒の溶融に至ってしまう。
燃料棒は、原子炉内で制御棒の挿入により複数の燃料棒間の核分裂反応が抑制されたとしても、燃料棒の内部で核反応の「副作用」が続いているから、生成された各種の放射性物質が放射線を出すとともに長期間に渡って熱(崩壊熱という)を出し続ける。温度が約700〜800度以上になると、燃料棒を覆う被覆菅のジルコニウム合金が水蒸気と反応して水素を発生させ(そもそも、水素を発生させるような金属は原発に使うべきではない、と私は思う)、約2800度で融解が起きるとされている。燃料棒の役割の一つに、核分裂で生成された各種放射性物質のほとんどを燃料棒内に封じ込める働きがあるのに、高熱によって破損すれば、破れたところから周囲にその微粒子を拡散させてしまう。
格納容器の中での冷却水の循環が止まると、燃料棒が発する熱により炉内の冷却水は煮えたぎって蒸発し、その水位がどんどん下がってしまう。燃料棒を沈めていた水位が下がったことによって、1〜3号機では格納容器内の燃料棒が空気中にむき出しになった(露出した)。露出すれば、その部分の温度が急激に高まり、それにより燃料棒自体が破損してしまうことになる。原子炉停止直後の燃料棒が露出すれば、数分で2000度以上になるという。福島第1原発では蒸発して水が失われるだけでなく、地震で冷却システムの配管などが壊れた可能性があり、冷却水が漏れ出した疑いがあって、1号機などは水位が急激に下がったと思われる。
1、3〜4号機では、建屋の上部に設置された、使用済み燃料棒を保存しておくプールが沸騰し、水位が下がってしまい(プールの水は十分にあったはずだが……)、そこでも燃料棒がむき出しになったとされる。燃料棒がむき出しになれば、炉心の燃料棒と同じ状態になる。使用済み燃料棒といえども、核分裂によって生成された各種の放射性物質が放射線と熱を1〜2年間も出し続けるのだ。高熱で損傷すると、燃料棒の材料に含まれたジルコニウム合金が水蒸気と反応し、水素を大量に生成するようになる。水素が高温になれば、空気中の酸素と反応し爆発する。建屋をふっとばし、原子炉やその付随する設備(配管など)の破壊が進んでしまう。すると、高濃度の放射性物質を含む水も漏れ出すことになる。なお、使用済み燃料棒には、原子炉運転の際に副産物として生成されたプルトニウムを多く含んでいるという現実がある。
事故の発生から2カ月以上たってわかったことだが、4号機での水素爆発の真相は、3号機の原子炉をベントした際に、その排気管を4号機と共有し、一本にまとめているため、3号機からの圧力の高い排気が4号機の原子炉内に回り込んで流れてしまい、その中の水素が4号機の原子炉建屋内に充満したためと解明された。
その「煙突」の本数を減らした設計上の工夫が災いしたことになるのだろう。つまり、排気管を原子炉ごとに持っていたら、4号機での水素爆発は起きなかったわけだ。あるいは、3号機をベントするとき、4号機との排気管のバルブを閉じておくだけでよかったはずだ。おそらく、あわてて3号機のベントの作業をしたものだから、排気が4号機の原子炉建屋に回り込むのを失念したのだろう。それならば、作業の不手際で、あるいは手違いで4号機までも水素爆発で吹き飛ばしてしまったわけで、悔やみきれない人為的ミスということになる。
4.大津波に対する備えがなかった
福島第1原子力発電所の主要な敷地は海面から10〜12メートルの高さにあり、海岸線には5.7メートルの波に耐えられる防波堤が築かれていた。しかし、実際にここで発生した津波は14メートル以上だったから、そんな防波堤を軽々と越え、すべての施設は波を被って、2メートル以上の深さで水びたしになったわけだ。
想定外の津波が来たことになるが、何という想定の甘さだろう。関係者の想像力の貧困ぶりにはあきれてしまう。歴史的にみても、この地方に原発を設置するのに、5.7メートルの高さの津波に備えるだけでいいという結論には、とうていならない。おそらく、いいかげんな根拠で5.7メートルの高さにしたのだろう。
原子力関係者は、津波の研究者の意見など、聞く耳をもたなかったことになる。原子力の安全神話を信じる人々には、津波の不安など、ありえなかった。津波の研究者が「そのうち大津波が来るぞ」といくら警告しても、おそらく、「そんな大津波が来るはずはない」とせせら笑い、あるいは原発反対論者だと決め付け、うるさく思うだけで完全に無視していたことになる。あるいは、政府が原発開発を推し進めるためには、反対する意見や「不安の声」をあえて封じ込める必要があったのかもしれない。
福島第1原子力発電所を作った人たちは、「われわれの原発ではポンプや装置が水びたしになるような事態には(少なくとも、われわれが生きている間には)絶対にならない」という固い信念を持っていたようだ。
5.電源の喪失で制御不能になった
制御不能になったのは、主電源も予備電源も地震と津波によって使えなくなったことによる(なさけないことに、すべての号機で、非常用発電機や配電盤を含む電源装置が全滅した。ただし2号機の配電盤だけは水没を免れた)。この巨大システムで最も弱かった部分が電源系ということが、私の眼にも映る。それは、システム設計時の発想や工夫でいくらでも強化できる部分だし、いくらでも手を抜くことができる部分でもある。建設時に予備電源設備の建屋を海に近い低地にわざわざ建てたことが、津波に対して何の配慮もしていなかった証しだろう。配電設備に関しても弱点をさらけ出した。防水の配慮もされていなかった。主電源も予備電源もだめになって4、5日たった後、原子炉が暴走し始めてから、下請けの作業員たちが大量の放射線を浴びながら外部電源を敷設し始めるようでは、遅きに失するというところだろう。もっと早く外部電源のルートを準備できなかったものか。東電は原発内のすべての電源がだめになったとわかった時点で、まっさきにその作業を決断すべきだった。電源を復旧させることは東電の一番得意とする分野のはずだろう。電源さえしっかりしていれば、冷却機能が全面的に失われることはなかったはずだ。その電源関係の故障が原子炉の暴走につながったことになる。福島第1原発の6基のうち、5号機と6号機については、それらが電力を共有する非常用ディーゼル発電機の一つが唯一起動されていたため、かろうじて、使用済み燃料棒がプールから露出することは免れた。
同じように地震で停止した新潟の柏崎刈羽原発の教訓が何一つ活かされていない。安全を確保するために二重にも三重にも配慮するのがシステム設計だろう。原発を50年稼動させるつもりなら、100年に一度、あるいは1000年に一度の大津波を想定して、外部電源ルートを事前に敷設しておく配慮があってもいいところだった。電力会社なら、コストもほとんどかからず、わけなく敷設できるものだ。(東電が東北電力の電力線を引き込むことに抵抗感があったのだろうか。) ともかく今回の事故で、福島第一原発が、いかにおそまつなシステム設計をしたことが露呈してしまったわけだ。自然災害のせいにしては、システム設計者として失格だろう。彼らは今回の事故を新たな原発を設計する際の教訓として欲しい。
燃料棒の破損と溶融がさらに進めば、考えたくもない事態になりそうだ。最悪のケースでは、制御棒の効果も失われ、核燃料物質の核反応が始まってしまう。核反応が加速されると、圧力容器や格納容器さえ溶融し、いよいよ炉心全体のメルトダウン(炉心溶融)になるシナリオが考えられるのだ。あえて危機感をあおるようなことを言えば、黒い煙どころか巨大な「キノコ雲」が立ち上る可能性もすこしはある(ゼロではない)のだ。チェルノブイリやスリーマイル島原発の場合は、制御不能になったのは原発1基だけだったが、今回は4基とも制御不能に陥ったのだから、その規模が違う。いいかげんな(楽観的な)対応では、許されない状況になっているのだ。
米高官が自国の学生たちの前で沖縄県民の悪口