外国籍の婿に捨てられた花嫁2万人                         岡森利幸   2010/12/25

                                                                  R1/2010/12/27

以下は、新聞記事の引用・要約。

The Japan Times 2010/11/23 asia-pacific

アナンジョ・コールさん(22)は、2年前、インド・パンジャブ州の小さな村で華麗な結婚式を挙げた。カナダ・モントリオールに住んでいた夫は、結婚式の一週間後、彼女のビザのための書類を送ることを約束してカナダに戻っていった。しかし、書類が来ることはなく、コールさんの家族が彼女の夫にいくら接触を試みても、彼は彼女と再会することを拒んだ。「カナダにいる彼に120通の手紙を書き、500回の電話をしても、彼は動こうとしなかった」と彼女は言った。彼女は結婚式以来、慢性的なうつ病に悩まされている。彼女の父親はこの華やかな結婚のために1.6ヘクタールの農地を売っていた。彼女は、外国に出た男たちがインドに戻ってきて嫁を探し、結婚式を挙げた後に持参金(dowry money)を受取ると、その外国に一人で戻ってしまった男たちの、そのまま残された多くの花嫁たちの一人だった。

パンジャブ州の少数派政党によると、インド国籍を持たない(外国籍の)婿に対する被害届を出した嫁の数は2万2000人以上いるという。家族の恥を気にする保守的な背景があるため、被害届を出さない嫁も多く、実数は不明。持参金は1961年に不法とされたが、両親が婿側に現金や服飾、宝石を送ることが州の一帯で伝統的な慣習として根強く残っている。

結婚の季節には、カナダ、イギリス、その他の西側の国に住んでいる若いインド人たちで盛況になる。彼らは嫁を探しに故郷の村にやってくる。若い女性には外国への強い憧れがあり、それに応じてしまうが、多くのカップルは(持参金を受け渡すと)数日で終ってしまう。

自分一人で、せしめた大金を持って新天地でのうのうと暮らす、官憲の手の及ばない外国で――。あとに残された、先進諸国での結婚生活を夢見ていた花嫁たちの悲嘆は相当なものだろう。彼らは、花嫁の愛情とその親族の信頼を裏切り、善良な人々を不幸のどん底に突き落としたのだ。そんなことをすれば、二度と故郷の地を踏めないだろう。自分たちの親族からも「一家の恥さらし」として、友人たちからも「ふとどきなやつ」として絶縁されたにちがいない。これを実行するためには、これまでの自分の人生や、しがらみを一切捨てる覚悟が必要だ。でも、それが若い男にとって大きな魅力であったりして……。

彼らは、花嫁の持参金を手にすると、かねて準備していた外国へトンずらしてしまう。外国に働きに出た者が一旦インドに戻って花嫁を探し、結婚式を挙げた後、〈ビザがないからいっしょには行けない、必ず手続きして呼び寄せる〉と言いながら持参金を持って先方の国へ帰ってしまい、それっきり……。これから新婦との新生活を始めようとする矢先だ。何というとんでもない男たちだろう。この記事を読んで、私はその数の多さに驚き、その誠意のなさに憤慨してしまった。弱い立場の娘たちを踏みつけにして自分だけが文明社会の中で豊かな暮らしをするのが、そんなに気分がいいことだろうか。

そうとう計算高く、冷徹な神経を持っていないと、こんなことは出来ないだろう。それがインド人の国民性だろうか、と疑ってしまった。つまり、この男たちは、持参金目当てに娘たちに近付き、結婚式を挙げて、持参金を手に入れたとたん、姿をくらます。それまで、彼女たちに「紳士づら」して「偽りの愛情」を示し「うわべだけの誠実さ」をたっぷりと示す。彼らにとって、彼女たちの顔は「お金」に見えるのだろう。つまり結婚詐欺師たちなのだ。女の色香にも迷わず情にもほだされず、お金を得る一心で結婚式まで笑顔を見せる役者ぶりは相当なものだ。

一般的な日本の結婚詐欺師たちは、結婚をエサにして目標に近付き、それとなく〈結婚準備のために当面の資金が必要だ〉などといって金を求め、相手から引き出せるだけ引き出したら、結婚寸前で逃げる。それに対し、インドの詐欺師たちは盛大な結婚を挙げ、花嫁が持参金をもってきた後に逃げてしまう。日本の被害者には〈あんなヤツと結婚しないでよかった〉と自分を慰める余地があるのだが、インドの新婦たちにはそれもない。とんでもない男と結婚してしまったという後悔が残る。しかも、インドでは一度結婚してしまった女性は、もうほとんど嫁の貰い手がないという。うらぎられ、お金を持っていかれただけでなく、自分の人生を台無しにされたも同然なのだから、くやしさや悲嘆の度は大きい。もし、そんな目に会いながら、平然としている女性がいるとしたら、そんな女性は相当におかしい。

インド北西部のパンジャブでは、この地方の風習で結婚する娘にはたくさんの持参金をつけるという。〈娘を一生よろしく〉という親の思いが込められているのだ。財産の生前分与に等しいのだろう。若い娘が結婚資金を自分で貯めるにしても高が知れているから、親の中には自分の田畑を売ってまでして大金を工面することが多いらしい。その「財産」を目当てに、男たちが娘たちに求婚するのだ。結婚することは、嫁さんとともにその親の「財産」が手に入ることだ(少々うらやましい)。そんな地方だから、〈嫁さんは要らない、財産だけもらえばいい〉というふらちなヤカラが続々と暗躍することになる。そんな男たちにはもう「現地」にガールフレンドがいて、わざわざインドに戻って嫁を探す必要がない者たちが多いという。ガールフレンドに貢ぐための金が必要だったのだろうか。この男たちはインドを出ていってから長年、西欧諸国で暮らし、国籍もとって「西欧人」になりきっているから、金のためなら人をだますことも平気になった人たちと見受けられる。西欧での都会暮らしは、金がすべてだったのかもしれない。それはインド人の国民性でなく、「都会人」の国民性なのだろう。

 

このことが、ようやくインドで政治的にも取り上げられ、社会問題化され、国際的なニュースとして報道されるようになったから、なんらかの対策が講じられているはずだが、その記事には何も対策は記述されていない。被害者側の悲惨な状況を伝えているだけだ。被害届けが出されているのに、警察は動いていないようだ。被疑者たちは海外にいて、「嫁の持参金を(あるじ)のオレが使って、なにが悪い!」と開き直られたら、警察にしても取締りが難しいのかもしれない。

持参金の風習をやめれば、こういうことはなくなるはずで、悪弊として法律的にも禁じられたとのことだが、その法律は「建前」でしかなく、法的な効力をもたないようだ。新婚生活を始めるためには住まいを始め、所帯道具一式が必要であり、もの要りであるから、持参金をなくすわけにもいかないのだろう。

持参金をやめないにしても、新郎が持ち逃げするほどの高額ではなく、新生活に必要な分だけの持参金にするのが妥当かもしれない。あるいは、「持参金は男に渡すもの」という意識を変えて「持参金は新家族で使うもの」とし、嫁が持参金を銀行に預けるなどし、具体的な出費の都度、銀行から引き出すようにして、しっかりと管理すればいいだろうと私は考える。婿には引き出せないように、パスワードも教えないのだ。一家の財布の紐を女性が握るようにすればいいのだろうけど、インドでは、まだ男が実権を握り、一家の財政を管理しているようだ。しかし、嫁の持参金だけは嫁が管理する。それをぐずぐず言うような男だったら、結婚前に娘の両親が「持参金は娘が管理する」ことをきっぱりと言っておく。それで婿の愛情が冷めたら、もちろん、「この話はなかった」ことにしていい。

 

 

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