フォアグラとフカヒレ                                    岡森利幸   2011/12/4

                                                                  R1-2022/12/26

以下は、新聞記事の引用・要約・翻訳。

朝日新聞朝刊2011/11/11 国際面

フォアグラのために、ガチョウやカモを無理やり太らせる肥育法が「動物虐待だ」という批判にさらされ、生産をやめる国が増えている。愛護団体が各国に圧力をかけている。

The Japan Times 2011/11/23 business overseas

ペニンシュラホテル・チェーンはフカヒレの供給を来年1月から停止すると発表した。サメを保護することの運動家たちにとって画期的な出来事となる。ホテルグループのオーナーは、世界のサメの生息数がおびやかされている認識において決定したと話した。欧州委員会*1 がサメのヒレを切ることを禁止するように求めたことに応じた。

フォアグラとフカヒレといえば、高級食材として、世界的に評判を得ているものだ。ところが最近、批判が高まっている。それが政治的な圧力となり、禁止する方向に動いているから、それらを食べる側にしても、後ろめたさを感じるようになりそうだ。料理や味に問題があるのでなく、入手の仕方に問題があるというのだ。

フォアグラは、ガチョウやカモののどに管を入れ、無理やり大量の餌を押し込んで太らせる。すると、体の中の肝臓が大きく膨らむ。その大きいものほどおいしいとされる。その肥育法が虐待だと言われているわけだし、フカヒレは、サメの個体数が世界的に減少しているという資源の枯渇が口実になっているが、漁師がサメを捕獲したとき、原材料のヒレだけ切っておいて、切られたサメの本体を生きたまま海にポイポイ捨てる漁法が残酷だと思われてしまっているところに真の理由がある。ここでも、動物愛護の精神がかかわっているわけだ。

切り取ったヒレは加工してフカヒレとなる。いずれも手間ひまをかけて、グルメ嗜好の人のために作り出した高価な食材であり、世界的な食糧危機が迫っていることを考えると、なくてもいいかもしれない。異常に肥大化したガチョウの肝臓やサメのヒレなど「ゲテ物」的な食材で、食糧としての重要性は低く、主食にはなりえない。しかし、動物愛護のために食べるなと言われたら、反発を感じるところがある。ウシやブタ、ヒツジ、トリを食べておいて、一部の生き物を食べるなと言うのは、勝手すぎる一面があるし、「えこひいき」しているようなものだろう。

動物愛護によって、日本ではクジラやイルカを食べることさえ制限されているし(販売されているにしても高価である)、中国では、イヌを食べる文化も消えようといているのは、さみしい気がする。国際化する人間社会の中で、自分が食べる食材だけでなく、他人が食べる食材にも、文句を言う人が多くなっているようだ。

 

食材に関して私事を補足すると、

@ 私は少年の頃、わが家の食卓で、てんぷらにされたサメの肉をよく食べた。今では、サメの肉など商品価値がないとされ、出回らないのだろう。(当時は、海に捨てられていなかった?)

A 私は、一昔前、リフレッシュ休暇とらやの特別有給休暇を会社から与えられて、中国を旅した。本場の北京でペキンダックを食する機会があったとき、皮しか提供されなかったことに「うらみ」を持っている。私は皮など食べたくなかった。肉が食べたかったのだ。(日本人には、おいしいところを食べさせないつもりらしい)

B ハチミツを食べるときに、たまに念頭に浮かぶのは、花々からミツバチがせっせと集めたハチミツを人間がほとんど強奪に等しいやり方で、ハチの巣から横取りしたものだという思いだ。ミツバチは自分たちの「貯え」のために集めたのであって、人間のために集めたわけではないのだ。人間は搾取するのが得意なようだ。

 

*1 EUの政策決定機関で、カルテルをした企業に巨額の制裁金を課す決定をするなど、ヨーロッパでは強い権限を持つ。

 

 

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