防犯カメラの映像に似ていた男                             岡森利幸   2010/8/13

                                                                    R1-2010/9/3

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2010/6/5 社会面

金沢地裁は、防犯カメラ(に映された)男は「被告と別人」という鑑定を証拠採用する。無罪の公算が高まった。(その後、9月1日に無罪判決があった。)

読売新聞夕刊2010/6/5 社会面

〈取調室で〉防犯カメラ映像の人物は「自分とは違うと話した」と被告男性(62)は述懐する。捜査幹部の話や調書と食い違いがある。

読売新聞朝刊2010/6/12 社会面

供述では矛盾する証言をした被告男性「似ていたから、誤解されても致し方がないという気持ちがあった」

その調書では「映像に写されている人物は私が見ても私自身の姿で間違いありません」と答えている。

読売新聞朝刊2010/7/21 社会面

金沢地裁で、「防犯カメラ別人」の鑑定により、検察が無罪論告し(被告側に)謝罪した。

被告男性「警察でずっと『お前だろう』と聞かれ、とてもつらい思いをした」

コンビニ店の防犯カメラの映像に、盗難にあった人のカードを使って現金自動預け払い機(ATM)から金を引き出した男が映っていた。警察は聞き込み捜査を開始して間もなく、その映像の男によく似た男性を割り出した。その男性は、ATMが設置された地域の近くに住み、風貌がよく似ており、さらに、よく似た服を着ていたというのだ。警察の鑑定部署で、「その男性と映像の男は同一人物の可能性が高い」などとした鑑定書を得て、逮捕につなげていく。

刑事たちは男性を警察署に連れて行き(「任意同行」という名の強制連行)、防犯カメラの映像を何度も見せ付け、『自供』を迫ったことがうかがえる。

――「な? この男はオマエだろ?」

「似ているが、自分とは違う。第一、自分はネックレスをつけているが、この男はつけていない」

「すぐ外せるようなネックレスのありなしで、別人と言えるか? この映像の男が着ている服は、オマエも着ていたものだろ?」

「たしかに着ているシャツだが、こんなものはありふれたシャツだ」

「よし、証拠品として押収だ」

「でも、オレじゃないって」

男性が否定すればするほど、取調官の声は大きくなっていく。

「おい! テメー、シラをきるのもいいかげんにしろ! 違うといっても、テメーに似ていることは確かだろう? 誰が見ても似ているんだから、テメーが見ても似てるだろ?。テメーが見て、似ていることは間違いないな? それを認めれば、取調べは終わりにしてもいいんだ」

「へイ」――

 

結局、警察側は「映像に写されている人物は私が見ても私自身の姿で間違いありません」という自供調書を作り上げ、被告男性にサインをさせたのだ。「見た目は自分である」という言葉を引き出したのは、取調官のねばりの勝利であって、自白そのもので、起訴するに十分な証拠になるのだ。

しかし、その文章をよく考察すると、「見た目は私であることに間違いないが、中身は私と違う」という言葉が欠けていることに気づく。それならば男性の証言は首尾一貫し、矛盾するところがない。

警察側にとって不都合な「中身は私と違う」という言葉は、調書には書かれないのだ。男が何度も「自分とは違うと話した」ということについては省略されてしまい、「見た目は自分である」という言葉だけが強調されてしまっている。それが大きなキーポイントだろう。

「見た目は自分である」という調書にある言葉は、「映像の人物が自分に似ている」という言い方を言い換えた表現の一つであるのに、後半部分を省略するものだから「同一人物である」というニュアンスに限りなく近いものになっているのだ。つまり、「映像に写されている人物は私である」と自供したことにされてしまった!

今回は、再鑑定で、「映像に写されている人物は被告とは別人である(可能性が高い)」という結果が出たから、よかったものの、もしも「映像に写されている人物は被告と同一である可能性があり、別人であるとは言い切れない」などというあいまいさが残ったまま裁判になったら、押収されたシャツなどは大量生産されたもので有力な証拠とはなりえず、自供調書が一番の「決め手」になり、被告は有罪にされてしまったことだろう。

この事件では、男が他人のキャッシュカードをどうやって手に入れたかについて(キャッシュカードは市内の駐車場に停められた車から盗まれた)は罪にとわれず、ATMから金を引き出した点についての容疑だけで立件されているのも、証拠の乏しさから来ているのだろう。防犯カメラの映像が鮮明でなかったことも、鑑定の難しさがあったのだろう。すべては、同一人物であるどうかの確度が問題なのだ。防犯カメラの映像や人の目撃証言では、100パーセントの確度はありえないはずだ。

「間違いありません」という断定的な言葉が使われたりして、検察側の言い分では、100パーセントに限りなく近いの確度の表現に置き換えられているのだ。〈警察/検察とは「似た人物」を「同一人物」にしたがる人たちである〉ことを教訓としたい。

 

 

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