アボリジニの衣装で氷上を舞ったロシア・ペア                 岡森利幸   2010/2/7

                                                                    R1-2010/3/11

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2010/1/25 スポーツ

バンクーバー(カナダ)冬季五輪に向け、フィギュアスケート(アイスダンス種目)のロシア選手ペアが、前哨戦となるエストニアでの欧州選手権で、オリジナルダンスとしてオーストラリア先住民の衣装と踊りを披露した。審判団からは高い評価を受け、優勝した。しかし、オーストラリア先住民は「侮辱的で文化を冒とくしている」と非難した。カナダの先住民協会も不快感を示した。

オーストラリア先住民、すなわちアボリジニの人たちの怒りは心理的に興味深い。そんな非難に対し、ロシアペアも〈何が侮辱的だったんだろう〉と困惑しているという。「侮辱的で文化を冒とくしている」という言い分には、理解(理性)を超えたものがある。それは感情的な領域での議論だろう。

メディアは、アボリジニの言い分がもっともだ、ロシアペアは非難されるべきだという論調を伝えていたが、私はそうは思わない。ロシアペアが、オーストラリア先住民の衣装と踊りを取り入れたことは、そこに美的なものを見出したからであって、「侮辱的で文化を冒とくした」わけではないだろう。むしろ、それを敬愛し、その良さを示したかったからであり、もしも彼らが見下しているものであれば、芸術性も採点の対象となっているフィギアスケートの場でそれを披露することはありえない。アボリジニ文化のよさが、ロシアの人にも認められたわけであって、彼らはむしろ誇りに思ってよいことだ。彼らの文化を世界的に広めるために効果的であり、こういった競技の衣装に採用されるのは喜ぶべきことだろう。彼らは、ロシアの人がアボリジニの文化を世界に紹介する橋渡しをしたと考えていいのだ。その衣装と踊りがアボリジニだけのもので、部外のものには使わせないとするならば、アボリジニ文化は発展しないし、世界に広まることもないだろう。

アボリジニたちが憤慨したのは、

@ からかわれた

A マネされた

という二点にあるのだろう。

異質なものに対して人びとは敏感だ。例えば、他人の「身なり」が異なるものであれば、変だと思う。見下すような、排他的な感情も引き起こされる。同じ「身なり」ならば、目立たないけれど、安心なところがある。もう一方で、他の人たちが変なのではなく、自分が変だと気づかされたときには、恥ずかしく感じるものだ。アボリジニたちの怒りは、その「恥ずかしい」が基になっている。「仮装行列」のごとく珍奇な衣装の一つとして、ロシア・ペアは世界の舞台でアボリジニ特有の衣装を見せ付けたのだから、それは「侮辱的で文化を冒とくしている」ことになるのだ。

アボリジニたちは〈とにかく、まねされるのはイヤなんだ〉という感情も入り混じっていたのではないか、と私は推測する。〈おれたちがオリジナルだ。かってにマネすることはけしからん〉という言い分だ。

他人にマネされると、自分たちの優位さがなくなるというケースもあり、警戒が必要になるのは確かだ。(警戒が必要になるケースは、だいたい本能的にヒトは怒る。) たとえば、自分が工夫して作った強力な武器や、経済的に価値の高い特産物を持っているというケースがそれに当たる。それに対し、平和的な文化なら、他人にどんどんマネされていいだろう。文化とは先人の業績の上に積み重ねていくものであり、引用なしには文化の継承・発展はない。学界では、他の論文に引用される数が多い論文ほど価値があるものだ。それだけ注目に値する重要な論文であることの証明になる。

だから、一般の出版・音楽界で、「自書の中の数行、あるいはたった一節でも、引用したやつは盗用だ」と、目くじら立てて騒ぎ出し、実質的損害など、ないに等しいのに、腹いせのために損害賠償の訴訟を起こすような著者は、『文化』に反するのだ。

 

2010/02/22 バンクーバー・オリンピックでのアイスダンス・オリジナルダンス〈課題は、民族音楽〉の結果として、『問題の衣装』で演技したロシアペアは、前日の規定では首位だったのに、3位に落ちた。彼らの演技に観客は歓声や手拍子もなく、冷ややかだったそうだ。ちなみに、オリジナルダンスで1位になったのは、スペインのフラメンコを採用したカナダ・ペア。日本ペアは、変な和服衣装で踊って順位をほんの少し上げた。)

 

 

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