新型インフルの感染と不安の拡大                            岡森利幸   2009/5/22

                                                                    R2-2009/6/25

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2009/4/25 一面

豚インフル(新型インフルエンザ)、国境超え、拡大か。

ウイルスの遺伝子、米とメキシコ一致。

毎日新聞朝刊2009/5/6 社会面

診察拒否、全国調査へ。都への苦情92件に上った。東京都内の病院で発熱しただけの患者の診察拒否が相次いでいる。

毎日新聞夕刊2009/5/7 一面

WHO委員によると、60歳以上の新型インフルの感染はまれ。何らかの免疫がある可能性が指摘されている。

毎日新聞朝刊2009/5/18 一面・クローズアップ・スポーツ面・社会面

新型インフル、国内感染。大阪・兵庫で休校・閉鎖が広がる。

学校関係者が感染者の多数を占め、集団感染の様相。小学生や大学生が感染するなど高校生以外にも感染者が拡大した。いずれも症状は軽いという。

根路銘国昭・生物資源研究所長「新型ウイルスは、肺で増殖し重症化させるたんぱく質の構造が壊れており、感染力はあまり強くない。現在の患者数程度で休校するのはやりすぎだ。過剰反応は社会全体への不安を拡大させ、経済的な影響などマイナスの影響の方が大きくなってしまう」

毎日新聞朝刊2009/5/19 一面・クローズアップ・地方面、社会面

舛添要一厚生労働相は18日会見し、新型インフルエンザに関して「感染力や病原性などは季節性インフルエンザと変らないとの評価が可能」と述べた。

感染者は162人に達した。休校は4043校(幼稚園、大学なども含む)。

修学旅行の中止や延期、行き先変更など教育現場に影響が出てきた。関西方面に関するものが増えている。

4月25日ごろから、メディアが新型インフルエンザの感染の広がりを連日一面トップで報道している。それで、日本中が大騒ぎになり、さらに、その一連の騒ぎをメディアが報道しているから、人びとの不安がいっそう拡大・助長されている。「風説」の広がりにも似ている、過剰反応的な騒ぎとなっている。たかが「風邪」のために、日本中が(さらに世界中も)大騒ぎしていることが、私としては興味深い社会現象だ。日本人の集団的な過度の潔癖さと不安がいっきに広がった典型例だろう。

当初、世界保健機構の切迫した発表やメキシコを中心とした感染状況の報道を受けて、あわてた政府によって「水際作戦」が展開され、渡航者の検疫が強化された。航空機内で、感染者あるいは感染の疑いのある者が発見されると、機内でその患者の周辺に座っていた人たちまで、隔離(停留措置)された。一週間以上も隔離された人びとには同情したい。人権問題にもかかわるものだ。行政が「停留」という言葉に置き換えて、『隔離』という言葉の使用を避けているのは、人権に差し障りがあるからだろう。

概して動きが鈍く、一通り被害が拡大してから重い腰を上げていた厚生労働省が、今回は珍しく、すばやく動いたことは「よし」としたい。政府がすばやく動くのは、よい傾向でもあるのだが、今回は過剰反応のきらいがある。「水際作戦」は、それなりに意味があり、評価できるが、騒ぎを大きくした一因にもなっている。政府が率先して国民の不安を拡大させた形になったし、感染を抑えるのにやっきとなり、感染の拡大防止を最優先して「行動計画レベル」により国民の生活に数々の制限を加えている。何もしないよりはいいけれど……。

その後日本国内で、海外渡航とは無関係な人びとから新型インフルエンザのウイルスが検出された。各地で感染者が続々と確認されているのに伴い、感染者だけでなく、周囲の人びとも、隔離状態にされ、自宅待機させられ、その所属する学校や企業では、休校、休業が相次いでいる。その人びとは「風邪」で休む以上の、苦痛でもあるし、経済的・時間的損失をこうむる。学校の休校や職場や施設の閉鎖も、同様だ。さらには国内の団体旅行でも、取りやめるところがでてきた。行き先がメキシコならともかく、国内の修学旅行さえ、取りやめるのだから、すさまじい。そんな「心配性」の方がむしろ病的だろう。人びとは、感染が拡大することを恐れている。ほとんどパニックだ。感染者が出た地域の街を行く人たちは、みなマスクをする徹底ぶりだ。所属する学校だけでなく、都道府県単位の「全域休校」も叫ばれている。そのあわてぶりが「パンデミック」のようだ。

それらの管理者は、責任追求の矛先が自分に向けられるのが怖いから、無難な方策をとろうとしているだけだろう。感染者が出た施設や地域で、休校・休業やイベントの中止・自粛をしないところがあったら、責任者が非難されそうな状況だ。人びとの日常的な行動にさえも、「活動制限」が拡大している。それを「過剰反応だ」と言おうものなら、

「あなたは状況を認識しておらず、事の重大さがわかっていない」などと言われてしまいそうだ。〈人びとに、このインフルエンザの実態がよくわかっていない〉ことが、不安の大きな要因だろう。

専門家は、感染が拡大すれば、ウイルスが増え、その中のウイルスが変異して、さらに新種のウイルスが出現するかもしれないなどと人々をおどしているが、いつ出現するか分からないものにびくびくしていたら、多くのまじめで、潔癖症ぎみの人はノイローゼになってしまう。体が風邪をひく以上に精神的に病的になる方がやっかいだ。製薬会社やマスクのメーカーは儲かって、経済的効果が得られるかもしれない。現に、東京で5月20日に開催された「新型インフルエンザの講演会」に参加する際、マスク着用が求められたので、私はいくつのドラッグストアや駅の売店でマスクを探し回らなければならなかった。都内でも一斉に売り切れていたのだ。

 

だいたい、インフルエンザの感染拡大で「パンデミック」(世界的大流行)だと言うことが、おおげさな表現だ。ばたばたと何万もの人が死ぬような悪性の伝染病の際に、パンデミックと言ってほしい。

今回は、ウイルスが新型であることが、目新しいだけだろう。このインフルエンザが、日本だけで毎年平均的に1000万の人が感染している季節的インフルエンザとたいして違いがないことがだんだん分かってきた。今回の新型インフルエンザのウイルスは、弱毒性(低病原性)だということも分かってきた。鳥インフルエンザの強毒性を想定していたのは、間違いだったということになる。感染しても、ほとんど症状がでないこともあるというではないか。感染しても重症になることは少なく、多くは数日で治るレベルだという。初期にメキシコで感染が広まった時、重症者の割合が異常に高いとみられたが、軽症者が既存のインフルエンザに見間違えられ、あるいは感染してもほとんど症状がでない人の数が把握されていなかったので、それが際立って高く見えただけなのだ。

健康な若い人に感染することが多く見られるが、ウイルスの感染力の強さにも疑問が生じている。想定されるほど強くないということだ。感染したとしても、たかが「風邪」なのだ。感染した多くの人は、数日、熱やせきが出るといった風邪の症状に悩まされるだけですむことだ。ただし、一部の不健康な人は、他の疾患との相乗作用で重症(ウイルス性肺炎など)になる恐れはある。しかし、その致死率は高くなく、0.1〜0.4%と想定されている(1918年のスペインインフルエンザで2%)から、一般の人は恐れるに足らない。度を越した防御体制を敷くことは、国民生活に対する影響が大きすぎる。季節性インフルエンザ以上の対応は、そろそろ止めるべきだろう。日本には抗ウイルス薬「タミフル」や「リエンザ」腐るほど備蓄されていることだし、一般の「風邪薬」もたくさん市販されている……。

ウイルスが変異して新型となって現れるのは、珍しいことではない。生物の歴史上、しょっちゅうあったのだし、これからも新型が続々現れるのは確かだろう。たいした毒性のないインフルエンザの変異一つで大騒ぎしていたら、人びとの生活が成り立たない。ウイルスを避けて「無菌状態」で暮らしていたら、人々の体はひ弱になってしまうだろうし、そのための社会的コストも高いものになってしまうだろう。

私など、毎年のように風邪をひいていた年代があった。私にしかできない仕事があった(私だけの思い込みかもしれないが……)から、風邪をひいても、ほとんど休まず出勤した。大勢いる職場で、たえず鼻をかみ、せきをし、熱っぽい顔で仕事をしたものだ。しかし、今では、そんなことをすれば、周囲の者たちが眉をひそめ、私の体を心配するよりも、「風邪がうつるから、会社に来るな。ウイルスを撒き散すようなキミはもう会社に来なくてもいいよ」などと言いそうだ。

今回のインフルエンザでは、60歳以上の人は重症になりにくいという知見もある。過去に似たような種のウイルスに感染した経緯から、対応できる免疫を持っているのだろう。一般の哺乳類を含めてヒトには、すぐれた免疫機能があり、一度感染したら、その同じ型のウイルスで病気になることはほとんどない。重症になりうるような基礎疾患を持つ人は注意を要すが、だれでも一度は新型インフルエンザのウイルスに感染したらいいのだ。免疫を持たない人が感染し、一時的に風邪の症状が出るのはやむをえないところだろう。過保護すぎる対応は、ウイルスに対して弱みをにぎられるだけだろう。

 

 

一覧表に戻る  次の項目へいく

        親からの文句にびびる学校関係者