親たちの文句にびびる学校関係者                            岡森利幸   2009/5/5

                                                                    R1-2009/5/11

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2009/4/5 社会面

愛知県豊川市の私立豊川高校で、入学前の新1年生を対象に兄妹が老婦人を殺害する物語の感想を求める宿題を出していた。相馬三孝教頭は「高校生にふさわしい題材ではなく、配慮が足らなかった」と話している。

問題の物語は、国語科の春休みの宿題として出された。両親を亡くした兄妹をふびんに思ってパンを与え続けていた老婦人が、後に兄妹に殺される内容。亡くなった老婦人を踏みつけにする描写もあったという。

国語教諭が命の尊さを教えようと出題。教諭は「反省している」と話しているという。

毎日新聞朝刊2009/4/26 くらしナビ・女の気持ち、『常識』村田ナオミさん

教員をしている友人が生徒の素行を注意したところ、親が学校に文句を言ってきて、事を荒立てなくないと考えた校長が親に謝るよう指示してきた。校長の意向に従う教員が多い中、友人は「教育にならないから」と謝ることを拒否した。……こうしたことは小学校から高校、最近は大学でもあるらしい。

国語教諭が命の尊さを教えようと出題したのが、『兄妹が老婦人を殺害する物語』だという。殺害する描写が残忍で凄惨な表現だったという。恩をあだで返すような、兄妹の心の残忍さも相当なものだ。その物語が、高校生が読むのにふさわしいものだったか否かについて、その物語を読んでいない私としてはよく分からないが、「兄妹が亡くなった老婦人を踏みつけにした」のにも、それなりに理由があったからだとみる。宿題に出した物語が、本当に、生徒に読ませるべきでないほど残酷だったのだろうか。

私立豊川高校では、その宿題を出された生徒の一部が、親に不満を訴えたのだろうと想像できる。授業中に感想文を書くのならともかく、受験勉強からやっと開放された春休みに、まだ正式に入学もしていない学校の、おそらく初対面の教諭から、そんな「暗い物語」の感想を書くことが宿題に出されて、生徒たちは、不満たらたらで、親たちに言いつけたのだろう。それを受けて親たちが、「描写が残酷すぎる」と学校側に抗議したので、事件が発覚したわけだろう。

国語の時間に「命の尊さを教える」のは、教育効果として、国語と倫理の両面で「一石二鳥」という考えなのだろう。欲張りすぎるようにも思えるが、批判すべきことではないだろう。「命の尊さを教えようとした」という理由は、少し言い訳がましく聞こえるが……。

ところで、日本の昔話にも、タヌキが老婆を殺す『かちかち山』や、サルとカニが殺し合う『さるかに合戦』、民話の『安寿と厨子王』、山姥伝説などにも、かなりきわどい場面がある。残忍さには残忍さで報復するような、「すさまじさ」がある。日本では、そんなおそろしい物語を大人たちから聞きながら、子どもたちが育った伝統があるのだ。

殺害描写があるからといって、そんな小説が「高校生にふさわしい題材ではない」というのは、甘やかしすぎるだろう。そんなに甘やかしたら、逆に、人を殺害することを恐ろしいと思わないような「大人」になってしまうかもしれない。

 

親たちの抗議に対する学校側の対応が問題だろう。過保護な親たちが学校に文句を言ってきたとしても、ぺこぺこ謝ったりせず、学校関係者はもっと毅然として欲しい。教育のためなら、事を荒立てることも辞さないぐらいの信念を持ってほしい。「これは学校の教育方針の一つなのだ」というぐらいのことを主張して欲しい。私立学校では親たちが主要なスポンサーだから、学校側は親たちに頭が上がらないのだろうか。

次の項の、生徒の素行を注意した教諭に「親に謝れ」と指示するような校長は、論外だろう。それが教育的指導だろうか。彼は、教育者というより、自分の身を第一に考える、事なかれ主義者なのだろう。生徒の素行が悪くても、任期をまっとうするまで、見て見ぬふりをしているのだろう。そんな校長に従わざるをえない教員たちにしても、宮仕えの悲しさがある。

 

 

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