無精ひげのイチロー                                         岡森利幸   2009/5/4

                                                                    R2-2009/6/14

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2009/4/4 広告面

「ニッポンのビールが、もっとおいしくなりました。」

そのセリフと共に、紙面いっぱいに、鮮やかなカラー刷りで、ひげ(づら)のイチロー(アメリカ大リーガー、鈴木一郎氏)がビールを飲もうとしている写真が大々的に組み込まれている。

ビールがおいしくなったかどうかは知らないけれど、そのメーカーはビールの味付けを変えたのだろう。ビールがおいしいかどうかには、かなり主観的な要素が入り込むので、あなたは「おいしくなったこと」を期待して飲むとがっかりさせられるかもしれない。私は、メーカーが「おいしくしたこと」を値上げの口実にしたいのかもしれないと思ったりする。(価格に関しては不明。)

それはともかくとして、イチローの「ひげ面」がビールの広告にふさわしいものなのか、私は少し疑問をもった。その鮮明な写真では、もみ上げからあごにかけて、鼻の下から口の周りにかけても、5ミリほどの小さい黒い毛の一本一本が無数に生え出ているのが見える。それは、手入れの行き届いたものでなく、無精ひげの類である。無精ひげを公開することをはばからないのが、奇異に見えるのだ。一般社会の公の場では、無精ひげは「みっともない」ことの一つだろう。宣伝するものがだれであっても、無精ひげの男がビールの宣伝をしていることが奇妙なのだ。そして、日本の野球界を代表する顔がひげ面でいいのだろうかという素朴な疑問を私はもつ。無精ひげでは、外観的に品格が下がると思うのだ。

イチローの本来の仕事場である野球場であれば、ひげを剃っていても、いなくても関係ないことだろう。野球場では、プレーを見せる場所であって、顔で野球するわけではないから、ひげのあるなしは、どうでもいいことなんだろう。野球選手は、身なりにかまわなくても、結果を出せばよいのだし、とやかく言われる筋合いではないのだろうが、多くの人の前でビールの宣伝をするからには、もう少しすっきりした顔を見せた方がよいのではないか。

 

周囲の人たちも、広告のスポンサー側も、その無精ひげに関しては容認したようだ。先日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の「侍ジャパン」の主要メンバーだったイチローだから、野武士のイメージとして、無精ひげがむしろ似合うのかもしれない。無精ひげが似合うと思わせるのは、イチローが超一流の選手だからだろう。無精ひげで押し通すことが、一流選手の特権かもしれない。やるべきことをやっていれば、そんな自己流を押し通せるというものだが、そこには一流選手特有の自信と傲慢さに通じるものがありそうだ。

おそらくイチローは、「無精ひげを見せつけても、だれも文句は言わないだろう」という『確信犯的な思い』をもっていて、無精ひげを「みっともない」とは思わずに、むしろ、それを自分の個性、あるいはおしゃれの一つと考えている節がある。イチローは、自らの無精ひげを一つの美的感覚の表現として見せつけているのだろう。すなわち、ひげのあるなしは個人の趣味の範囲内にあることであり、うっすらとしたひげを見せることがイチローとしては「かっこいい」ことなのだ。おそらく毎日のように、わざわざ無精ひげに見えるように手入れをしているのだろう。しかし、本人が思っているほど、サマになっているとは思えない。

そんな広告を見て、「ぼくも大きくなったら、野球選手になってひげ面でプレーをしよう。そして、試合後にうまいビールを飲むんだ」などと、ひそみに倣う子どもたちが増えそうだ。世の中にひげ面が増えたら、それも宣伝効果があったということだろう。

 

 

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