罰則や義務による公共奉仕                                  岡森利幸   2009/4/21

                                                                    R1-2009/4/22

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2009/4/16 国際

自動車の緊急用発炎筒を風船に結んで飛ばし、UFO(未確認飛行物体)騒ぎを起こそうとした米ニュージャージー州の男2人が、それぞれ250ドル(約2万5000円)の罰金を科された。インタネットでてんまつを公表。治安を乱した罪で追訴され、ごみ拾いなど50時間の公共奉仕も命じられた。

煙を吹いている物体をつりさげた風船を見て、「UFOだ。いや、風船爆弾か?」などと考える人は少ないだろう。ただし、煙を吹く発炎筒が、燃えやすい建物や森林に落下でもしたら、火災の危険もあったかもしれないから、消防署や警察を騒がせただけだろう。

人々が騒ぐのを見て喜ぶような、ふらちな男たちに罰金を科すのはいいとして、ごみ拾いなどの公共奉仕をさせるのには、私は疑問をもつ。公共奉仕というからには、自発的でなければならないと思うからだ。罰として強制的に科したら、「感心な」奉仕でなくなり、「かっこ悪い」労役になってしまう。その姿が人の目にさらされることも問題だろう。罰として効果的かもしれないが……。刑務所の中ならば、人の目にさらされないだけよいと思う人もいるかもしれない。

そんな人が公共奉仕に加わるのであれば、自発的に公共奉仕する(つまり社会のために奉仕する)まじめな人が少なくなってしまうおそれがある。奉仕する人たちは、それを見た他の人に「罰を受けたから、やらされているのだ」と見なされてしまって、恥ずかしい思いをしなければならないだろう。市の清掃職員でもないのに、大勢の人の前で『ごみ拾い』などしていたら、さげすみの視線を浴びることになりそうだ。

道を歩く人たちが、互いに目配せしながら、ひそひそ話をする――「あの人たち、よくやっているわね。でも、社会奉仕する人の中には、罰としてやらされている人がいるのよね」、「あの人は、どうせ、何か悪いことでもしたんでしょ。雑にやっているから、いやいやながら、やっているんでしょうよ」

 

純粋に公共奉仕している人も同じ目で見られる。それでなくても、公共奉仕はおもしろいものではない。人のためによいことを行なっているという博愛精神だけが、つまらなさを和らげてくれるものだ。罰則に従って義務的にやるのでは、そんな心など芽生えそうもない。あるいは最近では、公共奉仕が体験学習として取り入れられているから、学生や生徒が学校の必修科目として『単位』ほしさに参加しているだけの場合もありそうだ。私には、『単位』ほしさに公共奉仕をやってもらいたくない、という気持ちもある。選択科目でなら、奉仕の精神に合うかもしれないが……。

そんな気が進まずにやっている人は、人の目が届かなければ、すぐにサボりそうだ。公共奉仕を命じられた人がまじめに「奉仕しているかどうか」をそばで見張っている人が必要になるだろう。そんな見張りは、別の罪を犯した人にやらせたりして……。

比較的軽度な、反社会的な行動をとったものに対して公共奉仕を罰則の一つとして科する風潮は、世界的に広がってきている。日本でも、欧米に習って、近い将来それが取り入れられそうだ。

 

 

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