車のドアをロックする音                                     岡森利幸   2008/10/31

                                                                    R1-2008/11/15

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2008/10/4 社会面・憂楽帳、「格差の本当の怖さ」國枝すみれ

……「格差の怖さはお互い憎しみあうようになることだ」。ハイチ移民のマックス・ラモウさんの話が忘れられない。

スラムと高級料理店が混在するフロリダ州マイアミ。ラモウさんの友人は無学だがいいやつだった。夜道を歩いていると高級車のBMWが停車していた。車中ではローレックスの時計とダイヤの指輪をはめた女性が携帯電話でおしゃべりしていた。横を通り過ぎるとき「カチャ」と音がした。女性がドアをロックしたのだ。その瞬間、彼の心にスイッチが入った。気が付いたら、窓を破って女性を殴り指輪を奪っていた。「襲う気は全くなかったのに」友人はそういい残して街から去った。

貧しさには慣れる。でも格差が生みだす人間不信はひどく傷つける。この毒は日本に蔓延してほしくない。

興味ある話なので、全面的に引用した。全面的な引用は、ものを書く人間として、やや気が引けるのだが……。

ラモウさんの友人は、「取り返しの付かないこと」をしたことになる。器物破損・暴行・強盗の罪(おそらく心身両方の傷害罪も)に問われることになるだろう。しかも、相手はか弱い女性だ。凶悪犯罪として極刑は免れないだろう。「街から去った」というが、逃げ延びたのだろうか。逃げ去ったとしても、ラモウさんの証言によって指名手配され、ほどなく逮捕されたと推測される。

ほんの小さなことで、心のスイッチが入ってしまって凶暴な人間に変身してしまうことは、よくあることだろう。いわゆる「キレやすい」性格がそれにあたる。自尊心が傷つけられたときなどに、それは起こりやすい。キレた心を制御することは、どんな聖人君子でも難しいと思う。逆鱗に触れるということなのだ。竜でなくても、ヒトは、逆鱗の一枚二枚は、持っているものだ。暴れ狂う心をなだめるためには、起因となった事象を忘れる(意識の中から消え去る)まで、時がたつのをじっと待つしかないようだ。

さて、ラモウさんの話はよくできている。ラモウさんがその友人から話を聞いたというよりも、いっしょに歩いていて直接見聞きしたような話になっている。そうだとしても、車中の女性がはめていたとするローレックスの時計とダイヤの指輪は、「犯人」でなければ分からないことではないか。どんなに目がいい人でも、歩きながらそれを一目見て識別することは、不可能に近い。それに、BMWのガラス窓が簡単に破られるとも思えない。鉄製のハンマーのようなものでたたかなければならないだろうし、数発打ち下ろす必要もあるだろう。その友人がたまたまハンマーを持ち歩いていたのだろうか。それに、女性が襲われているのに、ラモウさんは黙ってみていたのだろうか。どうして友人を止めなかったのだろうか。

ラモウさんも同じ思いをもち、ほとんど共犯のように、ふるまったのかもしれないという推測もある。でも、私は「友人が街から去った」という表現は、一つの幻想のように思える。

女性に拒絶されるようにドアをロックされ、「フン、あなたと私とは、住む世界が違うのよ。さっさと行ってちょうだい(Get away!)」と見下されたと感じたのは、ラモウさん自身だったのではないか。人の嫌がるような仕事にしか就けず、あくせく働いてもわずかな賃金しかもらえず、食べていくことが精一杯な自分らと、何の苦労もせずらくらくと高価なものを手に入れて遊び回っているような彼女たち……。

ラモウさんは一人で歩道を歩いていた。ふと、車道の端に止められたBMWに関心がいったとき、中の女性と目が合った。彼女はすぐに目をそらし、車のドア・ロックの操作ボタンを押した。ロックがかかった小さな音を聴いた瞬間、ラモウさんの心にもスイッチが入った。ラモウさんの分身がラモウさんの体から抜け出し、まるでハリウッド映画の悪役ロボットのように素手でドアをぶち破り、ローレックスに違いない時計と、ダイヤに違いない指輪を奪い取ったのだ。ラモウさんの分身が強盗したのであって、ラモウさん本人はじっとしていたのだ。

そんな自分自身の中の悪役を「無学の友人」に見立て、心の中の体験とアメリカの現状を、特派員の國枝すみれさんに話して聞かせたのだろう。自分の、そんな極悪非道な心の一面を恥じるかのように、他人事の話として……。

 

 

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