子どもたちの国民性 岡森利幸 2008/11/30
R1-2008/12/15
以下は、新聞記事の引用・要約。
毎日新聞朝刊2008/11/17 教育面・新教育の森 07年に国連児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力機構(OECD)加盟国を対象に実施した子どもの「幸福度」に関する調査結果で、「自分は孤独だと感じるか」という質問(対象は15歳)」に「はい」と答えた割合は、日本は約29.8%で、回答のあった24カ国中トップ。次いで多かったアイスランドでも10.3%。一方、オランダは2.9%で一番低く、低い方から順に、スペイン、アイルランド、ポルトガル、イギリス、イタリア、デンマーク、ドイツ、フィンランド、フランス、ベルギー……が続く。 この調査では「自己肯定感」にも顕著な差が出ている。「自分は不器用だと思う」と答えた割合も日本が18.1%で最も高かったのに対し、オランダは6.9%。40項目から、オランダは「幸福度」で総合1位を獲得した。 オランダでは自主学習と共同学習を柱にした「個別教育」を重視している。 (中略) オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんは、講演で「(日本でも)学力に偏重した改革ではなく、人間として総合的な発達を目指してほしい」と注文をつけ、「オランダの教育が最善だとは思わないが、幸福度調査の結果は少なくとも一人一人の子どもに耳を傾ける大切さを示していると思う」と締めくくった。 |
日本では29.8%が孤独を感じているのに対し、2位のアイスランドで10.3%、それ以下の国では10%未満だから、日本の子どもがダントツに孤独を感じていることになる。
この大きな差は、一言で言えば、国民性だろう。社会環境や、教育制度・教育内容の違いもあるけれど、日本人が団体行動を好み、仲間と同じ言動をする傾向が強いところから来ていると私は考える。現代人は、特に日本人は、一人でいることが不安なのだし、単独行動を好まないのだ。
日本の子どもたちの多くが孤独を感じるということは、人との関係が希薄になっていることでもある。学校においてはテストに次ぐテストで成績の上がり下がりで一喜一憂するような学力第一主義で子どもの頃から競争原理にさらされていること、放課後には遊ぶ場所がないという土地の狭さ、家庭に帰れば、兄弟姉妹が少ないという少子化、おじいさん・おばあさんと顔を合わせる機会が少ないという核家族化にも原因があろう。他国と比べて人口密度が高い方だから、遊び仲間が少ないというわけではないだろうが、家に帰れば、自室(ことに高層ビルの一室)に閉じこもりがちな子どもが多くなっているようだ。
私なども、その昔、母親に「外で遊んでらっしゃい」と言われた方だが、今どき、「家で勉強などしていないで、外で遊んでらっしゃい」などという親は少ないようだ。事件・事故に巻き込まれるよりは、子どもが家にいた方が親として安心らしい。
コミュニケーションの上手い・下手でも、孤独感が違ってくるだろう。近年、孤独な子どもたちがケータイ電話を手にしたことは、コミュニケーションのツールとして、孤独感をいやすためのいい手段かもしれない。なお、孤独感が友(悪友を含む)や伴侶を求める起因ともなるから、社会生活を営むヒトにとっては必要な感情であることは確かだ。
毎日新聞夕刊2008/11/25 社会面 東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊心を高める指導方法について研究を始める方針を固めた。 日本の子どもは最近の学力テストや国際調査で自己肯定感が低いことが分かっている。いじめや不登校など教育問題の根底にも子どもの自尊心が少ない点があるともみられ、向上策の開発に着手する。子供にどのような働きかけをすれば自尊感情が高まるかを探る。 日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大体満足している」と答えたのは米国53.5%、中国24.3%に上ったのに対し、日本は9.4%にとどまっている。 また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よいところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3年生の39.6%が否定的な回答をしていた。 |
以上の記事で、日本の子どもたちは、「自分は不器用で、よいところもなく、満足していない」という思いを強く持っていることになる。
確かに、自分に自信がもてないと、他人の優位性に妬みや嫉妬をいだき、いじめとして行動に現れるかもしれないし、自信を失って落ち込んでしまい、学校にも進んで行きたがらないケースもあるのかもしれない。いじめや不登校の原因はそれだけではないのはもちろんだが……。
ただし、あまり自尊心が高くすぎては、他の仲間を見下したり、できない子を差別したりすることがあるし、鼻持ちならない態度を示して周囲から嫌われたりすることもある。その自尊心が傷つけられると、深く傷ついたり、逆に凶暴になったりするから、しまつが悪い。
「自尊心は高い方がよい」というのは一般的なアメリカ人に信じられていることであり、自尊心が低いと出世しないとも言われているらしい。社会的に成功する人は、高い自尊心を持っているとされ、自尊心が積極性を持たせ、社交的でスマートな人を作るのだと――。自尊心を高める研究は、欧米でも進められている。自尊心が学力の向上に結びつくかどうかも、研究課題になっている。
けれど、自尊心が高いと、自己満足に陥りやすく、自分の現状に満足してしまい、向上心がめばえないという向きもある。自分に不足しているものを追い求め、弱いところを強化しようとするインセンティブが起こりにくい。自分に不満を持っている方が、やる気が起きやすいのだろう。「私は自分に大体満足している」割合が日本では9.4%というのは、低い数値かもしれないが、これから向上していくためには、必ずしも悪いとは言えないのだ。90.6%の中学生が自分に不満を持っているわけだ。そんな不満が、意外と「大和魂」の本質に近いかもしれない。(冗談半分)
07年度の国の学力テストでの「自分には、よいところがあると思いますか」との質問では、ざっぱくすぎて、回答する側としては、答えにくかったろう。「よいところ」というのは、姿かたちのことか、性質や能力をいっているのか、はっきりしないし、他人と比べて優れているところという意味なのかが、よく分からない。ともあれ、結果的に、比較すると肯定的な回答の方が多かったことになるのだが、アメリカ仕込み(?)の東京都教育委員会としては、その数値では物足りないのだろう。団体行動が大好きな彼らは、他国(特に先進国とされるOECD諸国)と同列でないと気がすまないのだ。でも、「肯定的な回答が期待されている設問である」と勘ぐって「はい」と答えた、テスト慣れした生徒もいたに違いないから、自己否定論者の実数はもっと多いかもしれない。
自己肯定感が低くても、それは国民性である、あるいは個性であると割り切って、変にすかしたりおだて上げたりする必要はないと私は思う。自尊心が高い子どもには低くするように、低い子どもには高くするぐらいの指導がよさそうだ。他人との優劣に敏感になるのは仕方ないにしても、自分自身の評価について実力以上に高くみたり、それ以下に低くみたりせず、自分の現状を正しく見る目を持つこと、つまり現状を認識させることが大事だろう。
それにしても、「自己を否定する」とか、「自己を肯定する」とかいう言葉には、私はなじめない。「自己を否定する」ことには、存在が否定されるような大変な意味にも受けとれるし、「自己を肯定する」ことには、何をやっても自分を正当化するようなニュアンスが感じられる。「自己」は、否定したり肯定したりするものではないはずだ。従来よく使われていた「劣等感」や「優越感」が差別用語として敬遠されているとしたら、「言語が否定される」気分だ。
犬の気管にビニールを詰めた獣医