軽トラックで歩行者をはねた少年                            岡森利幸   2008/12/15

                                                                    R1-2008/12/19

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2008/11/11 社会面

土木会社員の少年が、千葉県香取市小見川の県道を歩いていた成田市七沢の銀行員、澤田智章さんを後方からはねた。少年はいったん現場から逃走したが、直後に近くの交番に自首した。警察は面識のない通行人を軽トラックで故意にはねたとして逮捕した。

毎日新聞朝刊2008/11/12 社会面

県警香取署は少年が「誰でもいいから人をひこう」と明確な殺意を持って澤田さんをはねたと判断。

近所の住民によると、少年は中学校を卒業後、父親が経営する土木会社に作業員として働いていた。「無口で、コミュニケーションが苦手な子だった」という。自宅からはたびたび父親が怒鳴りつける声が聞こえてきたという。

毎日新聞朝刊2008/12/2 社会面

軽トラ殺人、千葉地裁が少年(19)を家裁送致。

同僚に暴力を振るったのを社長の父に知られ、帰宅を命じられた直後に事件を起こした。少年「父に怒られ、いらいらした。誰でもいいからはねようと思った」

少年は118日、職場で50代男性の顔を数回殴り、けがをさせた。10日午後7時半ごろ、父が電話で「すぐ帰ってこい」と命令。少年は直後の午後750分ごろ県道を歩いていた澤田さんを時速7080キロではね、死亡させた。

少年は、歩いていた人に軽トラックをぶつけたことで、いらいらが解消できたのだろうか。

こういうことを「ヤケクソ」の「八つ当たり」というのだ。まったく無関係な歩行者をはねて、しかもかなりのスピードを出してぶつけ、走り去ったのだから、正気の沙汰ではなかろう。この少年の心の中で、凶暴な、煮えくり返るような感情が渦巻いていたと推察される。その攻撃の矛先が、たまたま歩いていた歩行者に向けられたのだから、悲惨なことになった。19歳にもなって、自分の心(感情)も抑えられず、後先(あとさき)を考えず、直情径行に走るのでは、どうしょうもない。

そんな怒りの感情は「敵」に向けられるべきものであって、皮肉を込めて言うと、この少年には、勇敢な兵士としての素質があるのかもしれない。(いや、敵味方のみさかいのない怒りの持ち主は、内務班でもいざこざを起こし、戦場では、敵にやられる前に真っ先に背中から弾を受けるに違いない。)

 

社長の息子が中学を出て、高校にも行かず、父の会社で働いていたということに、私は違和感をおぼえている。父としては、将来、自分の後を継がせて社長にしたかったはずだ。できれば、大学の経済学部にでも行かせたかったのだろう。おそらく、少年には学校に行きたくなかった事情があったかもしれない。少年は、小中学生のとき、不登校だったのだろうか。

少年は「無口で、コミュニケーションが苦手な子だった」そうだから、自分の気持ちを言葉で表現できず、学校生活にもなじめなかったと推察される。それに、「自宅からはたびたび父親が怒鳴りつける声が聞こえてきた」というから、父は、少年が子どもの頃から、ふがいない息子を叱り飛ばしていたのだ。

結局、〈学校へ行け〉という父の厳命に反抗して、少年は進学しなかったのだろう。そして〈学校に行かないのなら、働け〉となるが、まともな働き口もなく、しぶしぶ、父の会社に勤めていたのだろう。その会社で「同僚に暴力を振るったこと」が事件のきっかけだったという。社長の息子ということで、上長や同僚たちは、特別な扱いで、少々のことは目をつぶっていたに違いないが、今回は目に余る暴行だったようだ。殴ってけがをさせたのだから、おおごとだろう。仕事中にけがをしたのなら、労働災害になるし、警察に連絡すべき傷害事件にもなる。同僚といっても50代の男性だから、少年にとっては大先輩に当たる人だ。50代の男性が、おそらく仕事上のことで若造に殴られたのだから、精神的ショックも相当に大きかったにちがいない。

なぜこの人が少年を激怒させたのか不明だが、仕事上のミスで叱責するような言葉を吐いたのかもしれない。それとも、侮蔑的な態度を示したのだろう。普段は優しい人であっても、仕事上で問題が起きたときには手厳しいものだ。その言動が少年のシャクに障った。言い返すこともできず、激怒した少年が、ほとんど無抵抗な人に手を出したのだろう。激高した少年の心は一発二発のパンチでは治まらず、他の同僚や上長がその騒ぎを聞きつけ、かけよって止めに入るまで、殴り続けたと私は推測する。上長としても、もう手に負えないと考えて社長に連絡したのだ。

少年は、職場内でのわだかまりがまだ残る中で、おそらく少年に味方するものは一人もいない、孤立した中で、父に電話で呼び出され、きつく帰宅を命じられた。おそらく、次のような言い方だったろう。

――「事情は部長から聞いた。また工場で問題を起こしたそうじゃないか。お前一人だけが悪いとは言わないが、よく話を聞こうじゃないか。電話では顔も見えん。後の仕事はいいから、家に帰って来い。すぐにだ」

少年は、父に言いつけた部長を憎んだ。よそよそしく、冷たい職場の人たちにいらだった。社用の軽トラックで家に向かう途中、少年は思った。

〈家に帰れば、鬼のような顔の父が待っている。父は、ボクが一言、口を開けば、いつものように怒号を発するのだろう〉

バッキャロー、そんなことでヒトサマを殴りおって、テメェー、殴られた痛さをまだ知らんのか〉という父のダミ声が聞こえてくるようだ。

〈ボクはヒトサマではないのか、クソッ〉

不満と憤りと恐怖で、少年の心は煮えたぎっていた。前方の道路の脇を歩く歩行者の背中を認めると、怒りをぶつける対象を見つけたかのように、反発心をふるって少年は軽トラックのアクセルをおもいっきり踏みつけた――。

 

 

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