ダライラマに冷たくあしらわれた?石井慧                   岡森利幸   2008/11/10

                                                                    R1-2008/11/15

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞夕刊2008/11/7 一面・近事片々

「時には長いものに巻かれるべきか」とプロ格闘家転向の石井、ダライラマに問う。

「自分で判断しなさい」

悩める石井慧。10月23日皇居での秋の園遊会で天皇陛下にはきっぱりと「(次のオリンピックを)目指しません。別の方向に進みます」と言ったはずなのに、柔道を続けるべきか、プロの総合格闘技の道に進むべきか、まだ迷っていたようだ。石井は21歳の若さで北京五輪の100キロ超級で金メダルを取ったのだから、次のロンドン大会でも、金メダルが期待できる逸材だ。親や柔道を指導してきたコーチ・監督、学校の関係者などが、石井にあれこれ口を挟むのは当然かもしれない。

それはそうと、ダライラマが「自分で判断しなさい」と言ったことに、私は首をかしげるのだ。メディア的には、うじうじ悩んでいるような石井を「からかう」ように、ダライラマが「自分で判断しなさい」と、カツを入れる構図がおもしろおかしいのだろうが、そんな冷たく突き放すようなことを言うのは、一般的にアドバイスする側として、変調であると私は感じた。ダライラマが言ったことを見直してみよう。

毎日新聞朝刊2008/11/7 社会面

チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(73)が6日、東京都墨田区の両国国技館で行った講演後、柔道の石井(さとし)選手がダライラマに進路選択について相談する一幕があった。

質疑のコーナーで2番目に立った石井選手は「今、自分の中で全く分からない世界に来ている。いろいろな人からアドバイスをもらっているが、最後は自分で決めた方がいいのか、長いものに巻かれるというやり方も時には必要なのか」と質問した。

これに対し、ダライラマは「たくさんの方のアイデアを取り入れることもためになると思うが、仏教的な観点から答えれば状況をよく調べ、考えてみることだ。それによって自分自身で判断を下すことが最終的になさねばならない道だと私は思う」と答えた。

翻訳が正しいと仮定して、ダライラマがここで、もっとも強調したのは、やはり、「状況をよく調べ、考えてみること」だろう。「自分自身で判断を下すこと」が、最終的な、つまり結果的に必要になることだと言っている。多くのメディアがあげつらったように「冷たく突き放した」とするのは、的が外れている。「自分自身で判断を下すこと」ばかりに耳目を注いで、文脈をとらえていないのだ。

人々の意見を聞くことも、状況をよく調べることの一つに入るのだから、石井がいろいろな人からアドバイスをもらったり、ダライラマに質問したりしたことは、正当な方法だろう。

人生の進路を即断的にすぱっと決めるのは、かっこいい決め方だが、そんな軽々しく思い込むのは、だいたい失敗するものだ。ある人の意見に従うのかどうか、つまり長いものに巻かれることも決断の一つだろう。すべては自分の判断だ。それで失敗したからといって、その人のせいにすることはできないのはもちろんだ。状況をよく調べていなかった自分の考えが浅かっただけだ。石井慧には、大いに悩んで「かっこ悪い決め方」をしてほしい。

 

 

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